第22話 また金曜日
水曜日の朝、二人は遅めの朝食を済ませると身支度を整えて外に出た。
「今日、天気良いですね」
「はい、お出かけ日和です」
紬はすっかり元気な様子で、すずなの隣を歩いていた。もう仮病の気配は、どこにもなかった。
最初に向かったのは駅前の小さなカフェだった。すずなが以前から気になっていた店らしい。
「ここ、前から来たかったんです」
「珍しいですね、先輩がそういうの言うの」
「たまには、こういうのも」
店内は落ち着いた雰囲気で、窓際の席に案内された。二人はそれぞれドリンクとケーキを注文した。
「先輩、これ美味しいです。一口どうぞ」
紬がフォークに乗せたケーキを、すずなの口元に差し出した。
「あ、自分で食べられますけど」
「いいから、いいから」
すずなは少し困りながらも結局口を開けた。周りの客が微笑ましそうにこちらを見ているのに、すずなは気づかなかった。
「美味しいです」
「でしょう?」
紬は満足そうに自分のケーキも口に運んだ。
カフェを出た後は近くの商店街を二人でぶらぶらと歩いた。休日らしく人通りは多く、あちこちの店から賑やかな声が聞こえてくる。
「先輩、あそこ本屋さんです。寄ります?」
「いいんですか」
「先輩の好きなもの、見たいので」
本屋に入るとすずなはいつもより少し弾んだ足取りで、文庫の棚へと向かった。紬はその後ろを微笑ましそうについて回る。
「先輩、真剣な顔してますね」
「あ、すみません、つい」
「いいんです、そういうの好きです」
すずなは結局二冊の文庫本を選んでレジに向かった。会計を終えると紬がすかさず袋を持とうとする。
「私が持ちます」
「大丈夫ですよ、自分の荷物ですし」
「いいから、いいから」
すずなは少し笑いながら袋を渡した。
本屋を出ると次は雑貨屋の前で足を止めた。紬が店先のディスプレイに目を留める。
「先輩、これ可愛くないですか」
紬が手に取ったのは小さな鈴のついたキーホルダーだった。
「本当ですね」
「先輩の名前と同じ音だから、なんか運命感じます」
「そんな大げさな」
「大げさじゃないです。買います」
紬はそう言ってあっさりとレジに向かった。すずなはその勢いに少し呆れながらも笑ってしまった。
店を出ると紬は買ったキーホルダーを早速自分の鞄につけた。
「先輩とお揃いにしたかったので、もう一個買ってもいいですか」
「いいですけど、二個もいるんですか」
「いります。先輩の分」
紬は再び店に戻り、もう一つ同じキーホルダーを買ってきた。
「はい、先輩の分です」
「あ、ありがとうございます」
すずなは少し照れくさそうにそれを受け取った。
その後も二人はいくつかの店を覗きながら商店街をゆっくりと歩いた。途中、小さな和菓子屋で団子を買い、ベンチに座って分け合って食べたり、古着屋で紬が、すずなに似合いそうな服を無理やり試着させようとしたりした。
「紬さん、これ私には少し派手じゃ」
「そんなことないです、絶対似合います」
「本当ですか」
「本当です。試着だけでも」
結局根負けしたすずなが渋々試着室に入る羽目になった。出てきたすずなを見て紬は目を輝かせた。
「やっぱり似合います。買いましょう」
「そんな、急に」
「先輩の新しい魅力、見つけてしまいました」
そんなやり取りを繰り返しながら、いつの間にか鞄の中には、いくつかの袋が増えていた。
夕方が近づく頃、空が少しずつ赤みを帯び始めていた。二人は紬の車を停めてある、駅前の駐車場へと向かって歩いていた。
「先輩、今日楽しかったです」
「私も楽しかったです」
「もう少し、一緒にいたいです」
紬が名残惜しそうに言った。すずなは少し困ったように微笑んだ。
「私、明日仕事なので」
「分かってますけど……」
紬は少し口を尖らせた。
駐車場に着くと紬は車の前で立ち止まったまま、なかなか鍵を取り出そうとしなかった。
「紬さん」
「まだ帰りたくないです」
「気持ちは嬉しいですけど」
「もう少しだけ」
「金曜日には、また会えますよ」
すずながそう言うと紬は少し驚いたように目を瞬かせた。
「金曜日……そうですね、また一緒に行けますね」
「はい。だから今日は、ここまでにしましょう」
紬はしばらく名残惜しそうにしていたが、やがて素直に頷いた。
「分かりました。じゃあ金曜日、楽しみにしてます」
その声には、もうさっきまでの寂しさは、あまり感じられなかった。切り替えの早さに、すずなはまた少し笑ってしまった。
「気をつけて帰ってくださいね」
「はい。先輩もお仕事、頑張ってください」
紬は車に乗り込み、窓を開けて、もう一度こちらを見た。
「先輩、鈴のキーホルダー、鞄につけてくださいね」
「はい、つけます」
「絶対ですよ」
「絶対です」
紬は満足そうに笑うとエンジンをかけた。車がゆっくりと駐車場を出ていく。すずなはその場に立ったまま、車が見えなくなるまで手を振り続けた。
車が完全に見えなくなると、すずなは鞄から鈴のキーホルダーを取り出し、そっと取り付けた。小さな鈴が控えめな音を立てる。
金曜日が、少しだけ待ち遠しく感じられた。




