第158話 封印
クリスタに見据えられ、エルフィはすずなの肩から体を離した。ふらつく足取りで亀裂の前まで進み、凍りついた縁に片膝をつく。
「クリスタ、氷をもう少し厚くできるか」
「できるけど、一つ必要なものがあるわ」
「なんだ」
「エルフィちゃんを膝に乗せないと、できないわ」
「嘘をつくな」
「本当よ」
クリスタが、わずかに口の端を上げる。
「封印の性質に合わせる必要があるの」
エルフィは疑わしげな目で見返したが、クリスタは涼しい顔を崩さなかった。
「本当に、要るのか」
「ええ」
短い沈黙の後、エルフィは額に手を当てた。
「一度だけだぞ」
渋々といった様子でエルフィが歩み寄ると、クリスタは再び氷の椅子を作り出して腰を下ろし、その膝にエルフィを収めて満足げに頷いた。
「よろしい」
すずなたちは何とも言えない顔で、その光景を見つめていた。
「エルフィさん、さっきはあんなに逃げてたのに」
紬が思わず口を挟む。
「うるさい」
エルフィが低く遮った。心春はそっと口元を押さえ、肩の上のフィンは「エルフィ、ちっちゃい子みたい」と無邪気に笑っている。エルフィの眉間の皺が、一段深くなった。
クリスタが片手でエルフィを支えたまま、もう片方の手を綻びの方へ差し向ける。凍りついていた地面から、さらに分厚い氷の層が幾重にも重なって盛り上がっていった。透き通った氷が、綻びの縁を余すところなく覆い尽くしていく。
「これでどう?」
「それでいい」
エルフィは懐から、小さな水晶のようなものを取り出した。手のひらに収まるほどの大きさだったが、内側からうっすらと光を放っている。
「何をするんですか」
紬が問いかける。
「封印の術式を、この氷に重ねて刻む」
エルフィは水晶を掲げながら答えた。膝の上という体勢のまま、器用に指先を動かしていく。
「クリスタの氷は、並の氷とは比べものにならないほど固い。この上に術式を定着させれば、ただ空間に刻むよりずっと崩れにくくなる」
「氷そのものが、術式の器になるということですか」
リエラが感心したように呟いた。
「そういうことだ」
エルフィが水晶を氷の中心へ押し当てるのを、すずなは息を詰めて見守った。その時、ふと、クリスタの手に目が留まる。エルフィの背に添えられたその手のひらから、淡い青の光がゆっくりとエルフィの体へ流れ込んでいた。さっきまで浅く速かったエルフィの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
すずなが顔を上げると、クリスタと目が合った。クリスタは唇の前に人差し指を立て、片目をつぶってみせる。
「起動する」
エルフィが短く告げると、水晶から放たれた光が、氷の表面を這うように広がっていった。複雑な紋様が幾重にも描かれ、氷全体が淡く発光し始める。
光が引いていくにつれて氷はさらに透明さを増し、内側に幾何学的な模様を宿したまま、明滅をぴたりと止めた。宙に残っていた闇の筋も、その奥に閉じ込められて見えなくなる。
「終わったぞ」
エルフィが膝の上から降り、大きく息をついた。足取りはまだ重いものの、さっきのようなふらつきはない。
「数年は保つ。その間に、もっと根本から手を打たなければならんがな」
「数年……」
すずなが呟く。エルフィは氷の奥を見つめたまま、それ以上は何も言わなかった。
周りの実力者たちの間から、少しずつ安堵の声が漏れ始めた。ガイルがその場に座り込み、リンドウがその肩を叩く。ミナとリナは手を取り合い、「終わりました〜」「終わりましたね〜」と声を揃えた。バルドが大きく息を吐き、剣を鞘に収める。
「やれやれ。今回ばかりは骨が折れたな」
「ああ。本当に厄介なのは、ここからだ」
エルフィの言葉に、バルドは黙って頷いた。
「よくやったわね」
クリスタが、エルフィの頭にぽんと手を乗せる。
「クリスタ」
「今日だけは、素直に褒めさせて」
エルフィは何か言い返そうとして口を開き、そのまま閉じた。頭に置かれた手を払いのけることもせず、氷の奥へ視線を逃がしている。
「嘘じゃないわよ」
クリスタが、すずなの方を振り返って小さく笑った。
「膝に乗せないとできない、って話。半分はね」
すずなは思わず小さく吹き出し、それからエルフィの横顔を見た。言い返す言葉を探しているのか、エルフィの唇がもごもごと動いている。その足元で、封じられた氷が冷たい気配を放ち続けていた。




