第155話 閉じぬ綻び
すずなのRose Fallが降らせた赤い光に、黒い蔓はほとんど消え去っていた。わずかに残った蔓の切れ端も、光の粒に触れるたびに崩れ、土に還っていく。
それでも、亀裂の奥の綻びは閉じていなかった。奥から漏れ出す闇は依然として濃く、その縁からは異形の魔獣が這い出し続けている。数こそ明らかに減っていたが、途切れる気配はまだなかった。
「蔓は片付いたが、こっちはまだか」
バルドが剣を構え直しながら舌打ちする。
「Rose Fallが払ったのは、眠りの残滓だけだ」
エルフィが亀裂を見据えたまま言った。
「綻びそのものを閉じるには、別の力がいる」
「別の力……」
紬が息を呑む。すずなも、体の奥に残るだるさを抱えたまま、亀裂の奥を見つめていた。
「目を覚まして、蔓は消せました。でも、綻びはまだ開いたままなんですね」
「眠りはお前の内側で起きていたことだ。この世界に開いた傷とは、別のものと考えていい」
エルフィの言葉に、紬が眉を寄せる。
「じゃあ、蔓を消しただけじゃ、根っこは何も変わってないってことですか」
「そうだ。だから、まだ気は抜けん」
その時、亀裂の奥から一際大きな唸り声が響いた。
地面がわずかに揺れ、縁にいた小型の魔獣たちが一斉に脇へ退く。その間を割るようにして、これまでとは明らかに桁の違う巨体が這い出してきた。全身を覆う漆黒の体表から粘つくような瘴気が絶えず立ち昇り、足を一歩踏み出すたびに、周りの小石がかすかに跳ねる。実力者たちの間に、目に見えて緊張が走った。
「あんな図体、今まで見たことないぞ」
ガイルが得物を握り直しながら唸る。リンドウも、鋭い視線を巨体に向けた。
「動きに無駄がありません。力任せに暴れるだけの相手ではなさそうです」
「あれ、狙って当てられる気がしません〜」
「隙が見当たらないです〜」
ミナとリナが、珍しく硬い声で呟いた。フィーネとセレアも、互いに顔を見合わせる。
「時空魔法での足止め、効くでしょうか」
「試してみる価値はあると思います。ただ、あの瘴気ごと止められるかどうかは分かりません」
二人のやり取りを背に、バルドが巨体を睨みつけたまま、ゆっくりと前に出た。
「デカブツの相手なら、俺の得意分野だ。だが、甘く見るつもりはない」
エルフィがその隣に並び立つ。
「あれが綻びを繋ぎとめている核だとすれば、倒さない限り綻びは閉じない」
「つまり、あいつを倒せば」
紬が魔銃を構え直しながら尋ねた。
「本丸ということになる。だが、確証はまだない」
エルフィは慎重に言葉を選んだ。
「倒してみて何も変わらなければ、また別の手を考える」
「時間との勝負、ということですね」
心春の言葉に、エルフィは短く頷いた。
心春の肩の上で、フィンがぶるりと身を震わせた。その隣では、小さな炎が落ち着きなく揺れている。
「フィン、バーニル。あの魔獣の気配、分かりますか」
「あいつ、すっごく嫌な感じ。ほかのより、ずっとずっと重たいもん」
フィンは心春の髪の陰に半分隠れながら、巨体の方をちらりと覗いた。心春の胸の内には、バーニルの低い声が響いている。あの瘴気は周りの空気ごと歪めている、うかつに近づけば呑まれる、と苛立ったような口ぶりだった。
「バーニルも、近づきすぎるのは危ないと言っています」
心春がすずなの方を振り返る。
「すずなさん、気をつけてください。あの瘴気に触れたら、何が起きるか分かりません」
「はい、気をつけます」
すずなが頷くと、紬がそっと隣に並んだ。
「先輩、さっきまで眠ってたんですから。本当に、無理しないでくださいね」
「もう大丈夫です。眠っていた分、かえって体は休めましたから」
紬は何か言い返そうとして口をつぐみ、照れ隠しのように魔銃を握り直した。
エルフィが、改めて全体を見渡した。
「すずな、まだ動けるか」
すずなは腰の剣に手をかけ、柄の感触を確かめるように握り直した。
「はい。まだ、やれます」
「なら、次はあれを片付けるぞ」
エルフィの視線が、亀裂の縁で身を起こした巨躯へと向けられる。周りの実力者たちもそれぞれの得物を構え直し、新たな戦いに備えて息を整えた。
巨躯がゆっくりと首をもたげると、鼻を突く瘴気の匂いが一段と濃くなった。腹の底に響くような低い唸りが地面を伝い、すずなの足裏まで届いてくる。すずなは剣を抜き放ち、その切っ先を巨躯へと向けた。




