第150話 新たな試練
夜が明けきっても、亀裂から魔物が這い出してくる勢いは衰えなかった。
「くっ……」
紬が膝をつきかけ、魔銃を支えにしてどうにか踏みとどまった。
周囲を見渡せば、誰もが似たような有り様だった。バルドの大剣でさえ、振り下ろされるたびに少しずつ重さを増しているように見える。剣を振るう者の足はもつれ、詠唱の声は途切れがちになっていた。
「もう、限界が近いです」
リエラが掠れた声で告げた。その後ろでは、フィーネとセレアが青ざめた顔のまま、それでも時を鈍らせる魔法を紡ぎ続けている。
「わたしたちも……そろそろ」
ミナの声からは、いつものゆるさがすっかり消えていた。隣のリナも、黙って得物を握り直している。ガイルとリンドウも肩を並べて息を切らしながら、武器を下ろそうとはしなかった。
エルフィは戦線を一望し、短く息を吐いた。
「このままでは押し切られる」
誰にともなく呟いて、その視線をすずなに向ける。
「すずな」
「はい」
「南のギルドに戻り、東と西のギルドへ応援を求める知らせを出させろ。私たちだけでは足りない。行けるか」
その声には焦りが滲んでいたが、それでも冷静さは失われていなかった。
「一番早く往復できるのは、お前だけだ」
「分かりました」
すずなは即座に頷いた。夜通しの戦いのあいだに、転移の反動はどうにか引いている。皆から少し離れた場所へ移ろうとすると、紬が心配そうにその背中を見た。
「先輩、無理しないでくださいね」
「はい。すぐに戻ります」
足元へ霧を呼ぼうとしたその時、頭の中に声が響いた。
『Thorn bound Fateの試練が開始されました』
次の瞬間、全身から一気に力が抜けていった。
「え……」
立っていられず、すずなはその場に片膝をついた。視界の端がじわりと滲み、抗いようのない眠気が、頭の上から覆い被さってくる。
「先輩!」
紬が真っ先に駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか、何が……!」
「分かり、ません……」
言葉を紡ぐのもやっとだった。瞼が鉛のように重い。心春も慌てて駆け寄り、傾きかけたすずなの体を支えた。
「すずなさん、しっかりしてください」
その声が、薄い膜を一枚隔てた向こうから聞こえてくるように感じられた。剣の触れ合う音も、魔物の唸り声も、少しずつ遠のいていく。
エルフィが目を見開いた。
「まさか」
その視線が、亀裂の方へと向けられる。よく見れば、地面のあちこちから、黒く細い蔓のようなものが這い出してきていた。蔓には小さな棘が並び、枯れ草を絡め取りながら、じわじわとこちらへ伸びてくる。
「Thorn bound Fate。眠れる森の美女の試練だ」
エルフィの声が、これまでにない緊張を帯びた。
「試練って……」
紬が呆然と呟いた。
「五つのうち、まだ残っていた、最後の……」
「なぜ、今なんだ」
バルドが亀裂を睨みつけた。
「この規模の異変そのものが、引き金になったのかもしれん。試練は、時と場所を選んではくれない」
エルフィが低く答え、すずなの肩を強く掴んだ。
「すずな、聞こえるか。眠ったら、どうなる」
「分かり……ません。でも」
朦朧とする意識の中で、すずなはそれでも声を絞り出した。
霞んでいく視界の中に、紬の顔があった。泣き出しそうな目で、こちらを覗き込んでいる。何か言わなければと思った。大丈夫だと、すぐに戻ると、伝えなければいけない気がした。
「紬、さん……私……」
その先を言い切る前に、瞼が完全に閉じてしまった。
「先輩!」
紬の叫ぶような声が響いた。心春が慌ててすずなの体を抱きとめ、そっと地面に横たえる。
「息は、しています。ただ、まったく反応がありません」
心春が震える声で告げた。紬はすずなの手を取り、指が白くなるほど強く握りしめた。握り返してくる力は、どこにもなかった。
「先輩、起きてください。先輩……!」
バルドが亀裂の周辺を鋭く見渡した。
「蔓はまだ広がっている。他の連中にも、影響が及ぶかもしれん」
「全員、後退しろ。蔓には触れるな」
エルフィが鋭く指示を飛ばした。冒険者たちが慌てて距離を取っていく中、紬はすずなの傍らから動こうとしなかった。
「先輩を、置いていけません」
「分かっている。だが、まずは状況を見極めなければならん」
エルフィの声にも、これまでにない焦りが滲んでいた。
すずなを取り囲むように、黒い蔓が少しずつその輪を狭めてくる。紬はすずなの手を握る指に、さらに力を込めた。離さないと決めた手を、今度は自分が離すわけにはいかなかった。




