第148話 現地へ
黒い霧が晴れると、目の前には南の森の入口が広がっていた。天幕の並ぶ野営地の明かりが、ほんの少し前と同じように揺れている。
「え……?」
「もう着いたのか?」
初めて転移を経験した冒険者たちが、戸惑ったように辺りを見回した。ついさっきまでギルドの会議室にいたはずが、気づけば南の森の前に立っている。
「馬鹿な。一瞬で移動したっていうのか」
「なんて加護だ……」
驚きと感嘆の入り混じった呟きが、あちこちから漏れた。紬はその様子を眺めて、少し得意げに口元を緩める。
「先輩、すごく注目されてますね」
「あまり見ないでほしいんですけど……」
照れくさそうに答えたすずなの膝が、ふっと揺らいだ。十五人を超える人数を一度に運んだ反動が、遅れて体の芯に押し寄せてくる。すずなは剣の柄に手を添えて、どうにか踏みとどまった。
すぐ隣にいたエルフィだけが、その揺らぎに気づいていた。
「無理はするな。しばらく魔力を休ませろ」
「はい。大丈夫です」
低く囁かれた声に、すずなは小さく頷いた。
「エルフィ様」
野営地の天幕から、涼やかな声が響いた。姿を現したリエラの後ろに、フィーネとセレアも続く。
「状況は」
「先ほどより、さらに範囲が広がっています。ガイルたちが交代で監視に当たっていますが、そろそろ限界かと」
リエラの表情には、これまでにない緊張が滲んでいた。入れ替わるように、少し離れた天幕からガイルとリンドウ、ミナとリナも駆けつけてくる。
「おいおい、すごい数を連れてきたな。今のは嬢ちゃんの転移か? 便利すぎるだろ、それ」
ガイルが目を丸くしてすずなを見たが、その軽口もいつもの半分ほどの勢いしかなかった。
「あ、使徒さんだ〜」
「使徒さん、こんばんは〜」
ミナとリナがのんびりと手を振ると、紬はがっくりと肩を落とした。
「その呼び方、ここでも定着してるんですか……」
小さな笑いが漏れたのも、ほんの一瞬だった。ガイルがすぐに表情を引き締め、森の奥へ顎をしゃくる。
「冗談はここまでだ。エルフィ様、あの中、本当にまずいぜ」
「内側の反応が、尋常ではありません」
リンドウが硬い声で続けた。
「わたしたちも、ずっと見張ってました〜。けど、数が増えてます〜」
ミナの声は普段通りのんびりとしていたが、その手は自分の得物をしっかりと握りしめていた。
すずなたちは、リエラたちと軽く目礼を交わした。この前、南の封印を見に来た時に顔を合わせた面々は、あれからずっとこの最前線に立ち続けていたのだ。
「案内しろ」
エルフィの短い指示に、リエラが頷いて先導する。木々のまばらになった一帯を抜けると、粘つくような闇が漏れ出す亀裂が、視界に飛び込んできた。
地面に走っていた淡い光の筋は、もはや光と呼べるものではなくなっていた。裂け目の奥から滲み出す暗がりが、周囲の枯れ草を黒く染めている。前に見た時よりも、その範囲は明らかに広い。
「魔力の濃さが、報告よりも上がっている」
エルフィが低く呟いた。紬は魔銃を構え、Lunar Sightで闇の奥を探るように目を細める。
「気配が……多いです」
「私も、同じです」
心春が短く同意した。Silent Stepを解いたまま、耳を澄ませているのが分かる。肩のあたりで、淡い風の輪郭がぎゅっと縮こまった。
「ミハル、いっぱいいる。こっち、見てる」
「うん。分かってる」
心春が小さく頷いて応えると、胸元の紋章がほのかに熱を帯びた。
「バーニルも、構えています」
亀裂の奥から、低い唸り声のようなものが響いてくる。一つではない。いくつもの何かが、闇の向こうで蠢いている気配があった。
「前に来た時は、こんな気配、ありませんでしたよね」
紬が声を潜めて言うと、エルフィが頷いた。
「ああ。以前の比ではない。慎重にいくぞ」
エルフィが手を上げ、全員を制する。
「まだ動くな。位置と数を確かめるのが先だ」
二十名を超える実力者たちが、緊張した面持ちでそれぞれの得物に手をかけた。すずなも剣を抜く。転移の反動はまだ体の奥に残っていたが、手の中の刃の重みが、少しずつ意識をはっきりさせていった。
「シェイラさんたちへの連絡は」
すずなが尋ねると、エルフィは亀裂から目を離さないまま答えた。
「すでに知らせは飛ばしてある。他のマスターランクも、順にこちらへ向かっているはずだ」
その言葉に、張り詰めていた場の空気がわずかに和らいだ。だが油断できる状況でないことは、誰の目にも明らかだった。
闇の奥で、何かが動いた。




