第144話 巻き添え
夕食の支度が始まる少し前、紬が居間に顔を出した。今夜は心春も夕食に誘われて訪ねてきていて、長椅子でくつろいでいる。
「先輩、スマホを充電したいんですけど、バッテリーとケーブルってどこにありますか?」
「私の部屋の机の上にあると思います。使ってください」
台所で手を動かしながらすずなが答えると、紬は頷いて廊下の奥へ向かった。
机の上では、すずなのスマホがバッテリーに繋がれたまま置かれていた。ケーブルを外そうと手を伸ばした拍子に指先が画面に触れ、ぱっと明かりが灯る。
「あれ?」
ロック画面には、見覚えのない写真が映し出されていた。白いレースを幾重にも重ねた衣装を纏い、胸元に小さなリボンをあしらった誰かが、姿見の前で少しだけ照れたように立っている。その顔立ちには、はっきりと見覚えがあった。
紬は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
「先輩、これ……」
居間に戻って画面を差し出した途端、すずなの顔色が変わった。
「あ、それは……その」
菜箸を持ったまま固まるすずなの反応が、何よりの答えだった。
「心春さん、ちょっと来てください」
呼ばれて長椅子から立ち上がった心春は、画面を覗き込むなり目を丸くした。
「これ、エルフィさんですよね」
「はい。間違いないです」
紬と心春は、ゆっくりと互いの顔を見た。この前三人で額を寄せ合って話したことが、二人の頭にも同時に浮かんだらしい。
「やっぱり、そうだったんですね」
「エルフィさん、本当に自分で着たかったんですね」
心春がしみじみと呟くと、紬がくるりとすずなの方へ向き直った。
「先輩、いつ撮ったんですか」
「えっと、それは……」
「しかも、待ち受けにしてるじゃないですか」
「待ち受けにするつもりはなかったんです。見返しているうちに、いつの間にか設定が変わっていて……」
しどろもどろに言い訳を重ねるすずなを前に、紬の目がすっと細くなった。
「この前、どこに行ってたのか聞いた時、買い物って言ってましたよね」
「言い、ました」
「これを買いに行ってたんですか。エルフィさんと二人で」
「その、えっと……」
「わたしたちが確かめようって話してたこと、先輩も知ってましたよね。知ってて、黙ってたんですか」
詰め寄られて、すずなは菜箸を握りしめたまま肩を縮めた。
「エルフィさんに、誰にも言わないでほしいって頼まれたんです。約束したので……」
「わたしにも、ですか」
「紬さんにも、です」
紬の頬が、目に見えてふくらんでいく。エルフィの秘密そのものより、すずなが自分の知らないところで誰かと出かけていたことの方が、よほど引っかかっているらしかった。
ちょうどその時、玄関の戸を叩く音が響いた。心春が扉を開けると、エルフィが立っていた。
「すずな、夕食の支度は――」
居間に足を踏み入れたエルフィの言葉が、途中で止まった。紬の手にある画面と、そこに映る自分の姿を認めた瞬間、その顔から表情が抜け落ちる。
「な……」
「エルフィさん、これすごく可愛いです」
紬が、さっきまでの膨れっ面をどこかへやって詰め寄った。
「いつの間に、こんな服を」
心春も興味津々といった様子で、画面とエルフィを見比べている。
「いや、それは」
弁明しようとした声が上擦った。助けを求めるように向けられた視線の先で、すずなは気まずそうに目を伏せる。
「すずな。誰にも見せるなと言ったはずだ」
「見せてはいないです。見られてしまっただけで……」
「同じことだ」
「エルフィさんまで先輩を責めないでください。先輩は、わたしにまで黙って、エルフィさんとの約束を守ってたんですから」
「それは、私が頼んだからで」
「だから、エルフィさんのせいでもあります」
思わぬ方向から矛先を向けられ、エルフィは言葉に詰まった。秘密を暴かれた上に、自分のせいですずなまで責められている。さすがのエルフィも居たたまれなくなったらしく、その視線が床の上をさまよった。
「エルフィさんばっかり、ずるいです」
紬が口を尖らせると、心春がその隣で小さく頷いた。
「私たちも、着てみたいです」
二人に続けて言われた瞬間、エルフィは自分の失態を悟った。
「待て、それとこれとは」
「先輩、今度みんなで行きましょう」
紬の提案に、すずなは申し訳なさそうな顔をしながらも小さく頷いた。
「エルフィさんも、一緒に選んでくれますよね?」
心春に問いかけられ、逃げ場を失ったエルフィは項垂れるしかない。
「返事は?」
笑みを含んだ紬の声が、追い打ちをかける。エルフィは深く息を吐き、観念したように顔を上げた。
「分かった。一緒に行けばいいのだろう」
「やった」
心春が小さく拳を握り、すずなはほっとしたような、それでいて申し訳なさそうな顔で、ようやく菜箸を置いた。
「ただし、行くなら近いうちだ」
エルフィの声が、わずかに低くなった。
「南の外周は、まだ広がり続けている。メイルから知らせが来れば、しばらくはそれどころではなくなるだろう」
心春の顔から笑みが消え、すずなと紬も表情を引き締めた。
「分かりました。近いうちに行きましょう」
「ああ。それでいい」
短く頷いたエルフィは、そこでようやくいつもの調子を取り戻したように腕を組んだ。
「エルフィさん、今度は二人だけでこっそり、なんて無しですから」
紬に釘を刺され、エルフィはふいとそっぽを向いた。
「善処する」
「善処じゃなくて、約束です」
エルフィは何も答えず、すずなが台所から運んできた皿へ、真っ先に手を伸ばした。




