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【完結】おとぎ話の試練を全部クリアしたら、異世界が帰る場所になりました  作者: ごまだんご
第十一章 南の護り手

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第143話 秘密の休日

 エルフィは自分の家の居間で、卓に肘をついたまま、ぼんやりと宙を眺めていた。


 思い浮かぶのは、すずなに着せたあの衣装のことだった。黒地に赤いレースと刺繍をあしらい、裾が幾重にも重なって広がる一着を、すずなは恥ずかしそうに纏っていた。その姿を思い出すたびに、胸の奥がざわつく。


「わたしも……」


 言いかけて、口を噤んだ。誰に聞かれたわけでもないのに、咄嗟に手で口元を覆っている。


 マスターランクの中でも古参に数えられる自分が、あんな可愛らしい服に憧れているなどと知られたら、いったいどんな顔をされるだろう。考えただけで、耳の先まで熱くなった。


 これまで、自分のために服を選んだことは一度もなかった。旅装も戦いの装束も、いつも動きやすさを優先してきたし、今着ている青いローブも、長年着慣れているという以外に理由はない。それでも、日本の街角で初めてあの服を見かけた日から、憧れだけはずっと胸の隅に居座り続けていた。


 窓の外から、隣の家の戸が開く音が聞こえた。ギルドへ出かけていく紬の足音が、少しずつ遠ざかっていく。


 エルフィはしばらく迷ってから、意を決して立ち上がった。


◇


 戸を叩く音に扉を開けたすずなは、そこに立つエルフィを見て首を傾げた。


「エルフィさん? どうしたんですか」

「すずな。少し、話がある」


 居間の椅子に腰を下ろしても、エルフィはなかなか口を開かなかった。何度か言葉を探すように視線を泳がせ、やがて卓の木目を見つめたまま、ぽつりぽつりと話し始める。


 ずっと前から、ああいう服に憧れていたのだと、エルフィは言った。自分ではこれまで一度も持ったことがなく、日本へ行って、自分のための一着を買ってみたいのだとも。そして最後に、紬にも心春にも、今はまだ黙っていてほしいと付け加えた。


 すずなは目を丸くして聞いていたが、胸の内では「やっぱり」という声がしていた。この前、紬と心春と三人で額を寄せ合い、エルフィさんは本当は自分が着たいのではないかと話したばかりだった。確かめてみようと笑い合った二人の顔が、頭をよぎる。


 それでも、目の前で卓の木目から目を上げられずにいるエルフィを見ていると、その企みを口にする気にはなれなかった。


「私でよければ、一緒に行きます」


 その返事に、エルフィは詰めていた息をゆっくりと吐き出した。


◇


 すずなの足元から黒い霧が広がり、二人を包み込んだ。霧が晴れると、そこはすずなが以前住んでいたアパートの近くの路地だった。そこから駅まで歩いて電車に乗り、池袋へ向かう。


 吊り革に手が届かないエルフィは、すずなの袖を掴んだまま、窓の外を流れていく景色を黙って見つめていた。


 駅を出た途端、押し寄せるような人波に、エルフィは一瞬怯(ひる)んだ。行き交う人々の歩く速さも、頭上で光る看板の眩しさも、どこからか流れてくる音楽も、何もかもが落ち着かない。


「エルフィさん、こっちです」


 すずなが先に立って歩き出す。事前に調べておいた店の場所を確かめながら進むその背中に、エルフィは黙ってついていった。


 目的の通りに足を踏み入れると、空気ががらりと変わった。黒や白のレースのワンピースを纏ったマネキンが、ショーウィンドウの中に並んでいる。エルフィは足を止め、しばらくその場から動けなかった。


「すずな。あれは、何と書いてある」


 エルフィが店先の看板を指差した。すずなはその文字を読み上げる。


「ゴシック・ロリータ、です。略して、ゴスロリって言います」

「ごすろり……」


 エルフィは、その響きを確かめるように小さく繰り返した。


「あの日お前が言っていた、あれか」

「はい。あれです」


 店内に入ると、棚に並ぶ服を、エルフィは一着ずつ食い入るように眺めていった。白いレースを幾重にも重ねたワンピースは、裾に向かってふわりと広がり、胸元には小さなリボンがあしらわれている。エルフィは手を伸ばしかけては引っ込め、また伸ばした。


「エルフィさん、絶対似合うと思います」


 すずなに背中を押されるようにして、エルフィは試着室へ向かった。カーテンを閉めて着替え、鏡に映った自分を見た瞬間、言葉を失う。白いレースに包まれたその姿は、いつもの自分とはまるで別人のようだった。


「すごく綺麗です」


 カーテンの隙間から覗いたすずなの声が、素直に響く。エルフィの頬が、我知らず緩んだ。


 次に袖を通した黒い一着も、同じくらい心を掴んで離さなかった。白とはまた違う深い色が、自分の輪郭を柔らかく縁取っている。


「どっちも似合いすぎて、選べないです」


 すずなが真剣な顔で腕組みをする。その様子がおかしくて、エルフィは小さく笑い声を漏らした。


 迷った末に、両方とも買うことに決めた。値札の数字をすずなに読んでもらい、会計を済ませて紙袋を受け取る。その手が、わずかに震えていた。


「今日のこと、誰にも言わないと約束してくれるか」


 店を出たところで、エルフィが低く尋ねた。すずなは少し考えてから、小さく頷く。


「秘密は守ります。でも、いつか紬さんと心春さんにも、見せてあげてください」


 エルフィは目を見開き、それから何も答えないまま、紙袋の持ち手を握り直した。けれど口元が緩むのを堪えきれず、俯いたまま雑踏の中を歩いていく。


◇


 すずなの転移で戻ってくると、エルフィは「少し待っていろ」とだけ言い残して、自分の部屋へ引っ込んだ。


 居間で待つすずなの耳に、紙袋のがさがさという音と、何かを確かめるような小さな足音が聞こえてくる。しばらくして、扉の向こうから声がした。


「すずな。来い」


 部屋に入ると、白い衣装を纏ったエルフィが、姿見の前に立っていた。くるりと一回転すると、裾がふわりと広がる。店の鏡で見た時よりも、その姿はいっそう馴染んで見えた。


「せっかくですから、写真を撮りませんか」


 すずなは懐から、日本から持ってきたスマホを取り出した。


「それは」

「スマホです。こちらでは写真を撮るくらいしか使えませんけど、綺麗に撮れますよ」


 エルフィは一瞬迷うように視線を逸らしたが、結局は黙って姿見の前に立ち直した。すずなが構えたスマホから、小さな音が響く。


「見せろ」


 覗き込んだ画面の中の自分は、確かに見慣れない誰かのようで、それでいてどこか満ち足りた顔をしていた。エルフィはしばらくそれを見つめてから、低く念を押す。


「誰にも見せるなよ」

「はい」


 笑いを堪えて頷いたすずなは、エルフィの家を辞して隣の自宅へ戻った。玄関の戸に手をかけたところで、懐のスマホがやけに重く感じられる。


「おかえり、すずな。どこ行ってたの?」


 居間から、ギルドから戻ったばかりの紬の声が飛んできた。すずなは懐の上から、そっとスマホを押さえた。


「ちょっと、買い物に」


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