第142話 伝えたいこと
「今日は、すずなさんと紬さんに聞いてほしいお話があります」
心春の家に招かれたすずなと紬は、その改まった様子に自然と表情を引き締めた。居間の卓を挟んで座った心春は、膝の上で何度も手を組み直している。
「心春さん、どうしたんですか?」
紬が身を乗り出して尋ねた。
「大丈夫です。悪い話、というわけではないので」
そう言って微笑んだものの、心春の声にはいつもより硬さがあった。肩のあたりでは、淡い風の輪郭が落ち着きなく揺れている。
「ミハル、がんばって」
小さな声でフィンが囁くと、心春は肩の上へちらりと目をやり、深く息を吸った。
「シェイラさんとエルフィさんから、父のこと、それから私自身のことを聞きました」
心春は、ゆっくりと語り始めた。
父の正一が若い頃にこの世界へ足を踏み入れ、ヘキサゴンまで上がっていたことを、心春はまず話した。そこで一人の女性と出会って生涯を共にすると決め、その女性が心春自身の母だったのだと続けると、すずなと紬は息を詰めた。
「私、こちらの世界で生まれたそうです」
「こちらで、ですか……?」
すずなの声が、かすかに上ずった。
「全然、知りませんでした」
紬も目を見開いたまま呟く。
「私も、つい最近知ったばかりです」
心春は一つ息を整えて、先を続けた。母が三十年前の侵攻の中で命を落としたことも、父が生まれたばかりの心春を抱えて日本へ帰ると決めたことも、そして父が辛い記憶を抱えたまま心春を育てずに済むよう、自分から記憶を手放したことも、一つずつ言葉にしていく。
すずなは何も言えずに、心春の顔を見つめていた。穏やかな声で語られる一つ一つが、どれも軽いものではなかった。
「それと、もう一つあるんです」
心春が顔を上げた。
「父と私を日本へ送り届けるために、エルフィさんが石碑を作ってくれたそうです」
「石碑……?」
紬が聞き返した。心春は二人の顔を順に見て、小さく頷く。
「日本の山の中にある、苔むした石碑です。すずなさんと紬さんが、こちらへ来る時に通ってきた」
すずなの手が、膝の上でぴたりと止まった。
「まさか、あの石碑ですか」
「はい。エルフィさんが、そうだって」
居間の空気が、一瞬で張り詰めた。すずなの脳裏に、初めてあの場所に立った日の光景がよみがえる。登山道から外れた細い道の先に、苔むした石碑がひっそりと立っていた。表面には見慣れない文字が刻まれ、紬が差し出した鍵が淡く光っていた。
「じゃあ、心春さんは……」
紬の声が、かすれていた。
「わたしたちより、ずっと前に。赤ちゃんの頃に、あの石碑を通っていたってことですか」
「そうみたいです。もちろん、何も覚えていませんけど」
心春が困ったように笑うと、紬は両手で口元を覆った。
「嘘……わたし、何も知らないで、先輩をあそこに連れて行ったのに」
「私たち、同じ場所を通って、ここに来ていたんですね」
すずなが呟くと、心春は少し照れくさそうに目を伏せた。
「エルフィさんから聞いた時、私も、すぐには信じられませんでした。なんだか、最初から同じ道の上にいたみたいだって」
三人の間に、しばらく言葉のない時間が流れた。けれどそれは、重苦しい沈黙ではなかった。
「心春さん、大丈夫ですか。いっぺんに、こんなに色々」
紬がそっと尋ねた。
「はい。最初は正直、混乱しました。でも今は、不思議と落ち着いています。知らなかったことを知れたのは、辛いことばかりじゃありませんでした」
すずなはほっとしたように、小さく息を吐いた。
「話してくれて、ありがとうございます」
「わたしたちにも話してくれて、嬉しいです」
紬が卓越しに手を伸ばし、心春の手をそっと握った。
「一人で抱え込まなくて、よかったです」
「はい。ありがとうございます、すずなさん、紬さん」
心春は、握られた手を見下ろして小さく笑った。
「それと、南のことなんですが」
心春は卓の上に視線を落として切り出した。
「シェイラさんのところで、南のギルドから届いている記録の写しを見せてもらいました。あの綻びの外周は、もう三割ほど広がっているそうです」
すずなと紬の表情が引き締まった。
「母が亡くなった侵攻を封じた封印が、少しずつ緩んでいるんですよね」
心春の声が、わずかに震えた。すずなは背筋を伸ばし、まっすぐに心春を見た。
「心春さんのお母さんが守ろうとしたものを、私たちも一緒に守りたいです」
「すずなさん……」
「わたしたち三人、これからも一緒ですから」
紬が、握ったままの手に力を込めた。
「はい」
心春は深く頷いた。
「僕もいるよ。バーニルも、いるって」
肩のあたりで、フィンがくるりと渦を巻いた。胸元の紋章が、それに応えるように小さく灯る。
「三人じゃなくて、五人ですね」
心春が泣き笑いのような顔で言い直すと、すずなと紬も顔を見合わせて吹き出した。




