第135話 四人の食卓
草地での再会のあと、心春を連れて家へ戻ると、ギルドから帰ったばかりの紬が戸口で目を丸くした。荷を解く間もなく顔を合わせて喜び合った三人は、その日の夕方、エルフィが予約した店へと揃って向かった。
街の中心から少し外れた場所にある、こぢんまりとした食事処だった。木の扉を開けると、暖かな灯りと香ばしい匂いが三人を出迎えた。
「こっちだ」
先に着いていたエルフィが、店の奥の席から片手を上げた。
「エルフィさん、今日はありがとうございます」
すずなが頭を下げると、エルフィは軽く頷いて三人に席を勧めた。
「三人揃うのは、久しぶりだな」
「本当に久しぶりです」
微笑んだ心春の纏う雰囲気には、以前にはなかった落ち着いた芯のようなものが加わっていた。卓に置いた手の甲では、紋章が店の灯りを受けてかすかに光っている。
「心春さんの精霊、ちゃんと見せてもらってもいいですか? さっきは嬉しくて、それどころじゃなかったので」
紬が身を乗り出して尋ねた。
「はい、もちろん」
心春が軽く手をかざすと、その周りに小さな風の渦と、揺らめく火の粒が同時に現れた。
「こっちがフィンで、こっちがバーニルです」
「君が紬? ミハルから聞いてた通りだね。すずなの話を始めると、止まらないんでしょ」
「心春さん、何を話したんですか……!」
「ありのままを、少しだけ」
紬が慌てて心春の方へ向き直る横で、火の粒が心春の肩のあたりでぱちりと小さく爆ぜた。心春はくすりと笑って、胸元へ視線を落とす。
「バーニルが、騒ぐな、だそうです」
「騒いでないよ。聞いたままを言っただけだもん」
「契約したばかりの頃は、二体とももっと気難しかったんですよ。特にバーニルは。今ではすっかり仲良しです」
「仲良しじゃないよ。バーニル、すぐ怒るんだもん」
心春の言葉に重なるようにフィンが即座に言い返し、火の粒がまたぱちりと爆ぜた。すずなは口元を押さえて笑いをこらえた。
「仲良し、なんですよね……?」
「はい。たぶん」
ひとしきり笑ったあと、紬が背負っていた魔銃をそっと卓の脇に立てかけた。
「わたしも、見てほしいものがあるんです。クレアさんから、修行を終えた証にもらいました」
「かっこいいです、紬さん」
心春は感心したように銃身の傷を眺め、それからすずなの方へ顔を向けた。
「すずなさんも、火と風と闇を実戦で使えるようになったって、エルフィさんから聞きました」
「まだまだです。時の理も少しだけ扱えるようになりましたけど、荒削りで……」
照れくさそうに答えるすずなを、エルフィが腕を組んだまま眺めた。
「三人とも、いい顔つきになった」
ちょうどそこへ、料理が次々と運ばれてきた。湯気を立てるスープに香ばしく焼かれた肉、彩りよく盛られた野菜が卓の上を埋めていき、紬が声を弾ませた。
「これ、全部エルフィさんの奢りですか?」
「当然だ。三人分の修行の成果を労う席だからな。好きなだけ食べていけ」
三人は顔を見合わせ、小さく笑みを交わした。
食事が進むにつれ、話はそれぞれの修行の思い出へと移っていった。すずなは鍋の熱を思い浮かべて初めて火を灯した時のことを話し、紬はクレアの「浅はかな考えだ」を声色まで真似てみせ、心春はバーニルの炎に手を入れた試しの話をした。どの話にも互いの知らない数か月が詰まっていて、相槌を打つたびに、まだ見たことのなかった顔が一つずつ見えてくる。
「そういえば、紬さん」
心春が匙を置いて口を開いた。
「街で、真の闇の使徒が帰ってきたって噂になっていて。やっぱり、紬さんのことですよね」
紬の顔が一気に赤くなった。
「心春さんまでその話……!」
「気になって、つい」
「それとこれとは話が別です……! あれはクレアさんの修行の一環で……!」
必死に弁解する紬の向かいで、エルフィは杯を口元へ運んだまま、なかなか下ろそうとしなかった。杯の縁の向こうで、目尻だけがわずかに下がっている。
「エルフィさん、それ隠してるつもりですか」
「喉が渇いただけだ」
紬は頬を膨らませて料理に視線を落としたが、やがて何かを思いついたように顔を上げた。その目に、さっきまでとは違う光が宿っている。
「隠してるといえば、エルフィさんですよね。先輩に黒い衣装を着せた件」
今度はすずなが顔を赤く染める番だった。
「つ、紬さん、それは……!」
「私は初めて聞きました」
心春が興味深そうに身を乗り出す。
「エルフィさんが、クレアさんの流儀だって言って、先輩に黒い服を持ってきたんです。でもクレアさんは、エルフィさんが自分の名前を借りただけだって」
「クレアの記憶違いだと言った」
「予備まで用意していたのに、ですか?」
すずなが小声で付け足すと、エルフィの手がぴたりと止まった。
「予備は、予備だ」
「答えになってないです」
エルフィは黙って肉を一切れ口に運び、それ以上は何も言わなかった。
「すずなさんのそんな姿、見てみたかったです」
心春がしみじみと呟くと、紬が胸を張った。
「わたしは昨日、見ました」
「えっ」
「すごく可愛かったです」
「紬さん……!」
両手で顔を覆うすずなの隣で、心春がゆっくりと紬の方へ向き直った。
「ずるいです」
「心春さんまで、それを言うんですか……!」
すずなの抗議に、紬と心春が顔を見合わせて吹き出した。エルフィだけが、恥ずかしがるすずなを肴に満足げに杯を傾けている。
料理がひとしきり行き渡った頃、エルフィが杯を卓に置いた。
「これで三人とも、力をつけた」
さっきまでとは違う声の低さに、三人は自然と背筋を伸ばした。
「南の綻びは、記録の上では今も少しずつ広がっている。数日後、お前たちにも現地を見てもらう」
店のざわめきが、少しだけ遠のいたように感じられた。すずなは膝の上で手を握り、それから顔を上げた。
「大丈夫です。私たち三人一緒なら、きっと乗り越えられます」
紬と心春が、それぞれ力強く頷いた。
「はい。先輩と心春さんと一緒なら」
「私も、そう思います」
エルフィは何も言わず、三人の顔を順に見ていった。
「なら、今日は食え。冷める前にな」
その言葉にすずなと紬が慌てて皿へ手を伸ばす中、心春だけは落ち着いた様子で匙を取った。すずなの椀のスープはとうに冷めかけていたが、心春の椀からは、話し込んでいた間もずっと湯気が立ちのぼっていた。
「心春さん、それ……」
「バーニルが、温めていてくれたみたいです」
すずなと紬は顔を見合わせ、すっかりぬるくなった自分の椀に、そろって目を落とした。




