第132話 真の闇の使徒の帰還
運悪く――というべきか、街の角を曲がったところで、買い物帰りのエルフィと鉢合わせした。
「ぐふっ……」
紬の姿を見た途端、歩きながら頬張っていた串焼きが喉に詰まったらしく、エルフィはその場で激しくむせ返った。
「はぁ、はぁ……」
「大丈夫ですか、エルフィさん」
慌てて駆け寄った紬が、その小さな背中をさする。
「大丈夫だ。あまりの衝撃に驚いただけだ」
涙目になりながらもなんとか呼吸を整えたエルフィは、串焼きの残りを握りしめたまま、紬の全身を頭の先から足の先までじっくりと眺め回した。
「どうやら、無事に修行を終えたようだな。し、しん……真の闇の使徒よ」
震える声には、笑いを堪えきれない愉快さが隠しようもなく滲んでいる。
「エルフィさんまで、その呼び方……!」
「呼び方も何も、お前が自分で名乗っていただろう」
「それは、その、勢いというか……!」
「勢いにしては、ずいぶんと作り込まれていたな」
羞恥に頬を染めて抗議していた紬が、ぐっと言葉を詰まらせる。視界の端では、すずなが隣で必死に笑いを堪えていた。
「先輩、笑ってますよね……?」
「わ、笑ってないです」
慌てて表情を取り繕おうとしても、すずなの口元は明らかに緩んでいる。そんな二人のやり取りを眺めながら、エルフィは串焼きの最後の一口をようやく飲み込んだ。
「街中でその格好は、なかなかの見物だぞ。子供が何人か、遠巻きに見ていた」
「え……」
恐る恐る周囲を見渡すと、少し離れたところで数人の子供たちが興味津々な様子でこちらを覗いていた。その視線に気づいた瞬間、紬の顔が一気に赤く染まる。
「か、帰って着替えてきます……!」
「その必要はない。もう街中に知れ渡っている。今さら隠しても遅い」
「そんな……!」
頭を抱えた紬は、力なくすずなに縋りついた。
「先輩……助けて……」
「私には、どうしようもないです……」
苦笑いを浮かべて紬の肩をぽんぽんと叩くすずなを眺めながら、エルフィは串の先を咥えたまま満足げに目を細めている。その顔を恨めしげに見上げていた紬が、何かを思い出したように瞬きをした。
「エルフィさん。そういえば、エルフィさんこそ先輩に黒い衣装を着せたって聞きましたよ。クレアさんの名前を借りて用意したって」
咥えていた串が、ぽろりと落ちかけた。
「ごほっ……!」
本日二度目のむせ返りだった。すずながすかさず背中をさする横で、紬は畳みかけるように身を乗り出す。
「先輩には、クレアさんの流儀だって言ったんですよね?」
「誰に聞いた」
「クレアさんです。闇は全てを見ている、だそうです」
「あいつめ」
エルフィは短く吐き捨てると、咳払いを一つして、何事もなかったかのように串を持ち直した。
「クレアの記憶違いだ」
「本当ですか?」
「本当だ」
きっぱりと言い切る横顔を見つめながら、すずなは口を挟まずにいた。前もって「二着だ」「予備だ」と言い置いていたことや、箱を届けに来た日にもう一着を大事そうに持ち帰っていったエルフィの姿を思い出すと、どうにも言葉通りには受け取れない。
「それより」
話を断ち切るように、エルフィは紬の背中へ串の先を向けた。
「その銃は、クレアのものだな」
「はい。修行を終えた証にって、いただきました」
紬が魔銃を下ろして差し出すと、エルフィは受け取りこそしなかったものの、銃身に刻まれた細かな傷を一つずつ確かめるように目で追った。
「クレアが、使わせていた銃をそのまま持たせたか」
「何か、おかしいですか?」
「あいつは道具を手放さない。人に使い込ませたものなら、なおさらだ。どこを持てば癖が出るか、どう扱えば狂うか、全部覚えているからな」
エルフィは銃身から目を上げ、紬の顔を正面から見た。
「それを持たせたということは、お前の腕なら狂わせないと見たということだ。胸を張っていい」
紬は目を見開いたまま、しばらく何も言えずにいた。からかわれ通しだった頬に、さっきとは違う赤みがゆっくりと差していく。
「ありがとうございます……」
「ただし、格好の方は別の話だ」
「せっかくいい話だったのに……!」
抗議する紬を横目に、すずなは小さく笑った。紬が両手で魔銃を背負い直す仕草は、出がけに見送った頃よりもずっと手慣れていて、その手つきだけでも、離れていた間の日々がどれほどのものだったかが伝わってくる。
「それと、シェイラから便りが届いていた」
続けて告げられたその名前に、すずなと紬は同時に顔を上げた。
「心春さんのことですか?」
「ああ。シェイラのもとで、修行は順調に進んでいるらしい。近いうちに戻ると書いてあった」
「本当ですか……!」
声を弾ませたすずなに、エルフィは串を指先で回しながら付け加える。
「心春も、随分と逞しくなったようだぞ。フィンとバーニル、二体の精霊とすっかり息が合っているそうだ」
「楽しみです」
目を輝かせて頷く紬を、エルフィがからかうように見上げた。
「その様子だと、しばらくその格好のままか?」
「ち、違います……! 今すぐにでも着替えたいです……!」
「まぁ、着替えは家に戻ってからでいい」
すずなたちに背を向けて歩き出したエルフィが、肩越しに続ける。
「積もる話は、歩きながらでもできるだろう。ついてこい」
「え、どこに行くんですか」
「決まっている。三人が修行を終えて揃う日のために、店を予約しておかねばならん。ふさわしい店をな」
顔を見合わせたすずなと紬の胸に、心春の帰りが近いという実感がいよいよ湧いてくる。
「エルフィさんって、意外とマメですね」
「意外、は余計だ」
紬の軽口にそう返して、エルフィはすたすたと先を行く。後を追って歩き出すと、道行く人が一人、また一人と振り返った。そのたびに紬はすずなの肩の陰へ半身を隠そうとするが、背中の魔銃がはみ出して、かえって人目を引いてしまう。
「エルフィさん、せめて裏道を……」
「遠回りになる」
「先輩、手を繋いでもいいですか。一人で歩くより、少しはましな気がします」
「え、あ……はい」
差し出した手を、紬がぎゅっと握り返してくる。前を歩くエルフィが、ちらりと振り返った。
「仲がいいのは結構だが、その格好で並ぶと、ますます目立つぞ」
「エルフィさんのせいです……!」
紬の抗議に、エルフィは振り返らないまま、空になった串を指揮棒のように軽く振ってみせた。道の脇から子供たちの声が上がるたびに、その串の先が少しずつ楽しげに揺れていくのを、すずなは見逃さなかった。




