第130話 先に戻る者
すずながエルフィのもとで火・風・闇の三つの属性を学んでいた頃、遠く離れたクレアの拠点でも、紬が修行の日々を重ねていた。
木々の葉が幾重にも重なる森の奥には、昼のうちでも光がほとんど届かない。紬は片膝をついて魔銃を構え、はるか先の幹に掛けられた的へ狙いを絞っていた。修行を始めた頃に撃っていた的より、距離は三倍近く離れている。Lunar Sightの力が暗がりを押しのけ、小さな的の輪郭をくっきりと浮かび上がらせていく。
「呼吸を止めるな。細く、長く吐け」
背後から、クレアの声が落ちてきた。
「闇に溶けよ。狙う者の気配が残っていれば、獲物は必ずそれを嗅ぎ取る」
「はい」
言われた通りに息を細く吐き出しながら、紬は銃身へ魔力を流し込んだ。弓なら弦を引く腕の張りで距離を測るところを、魔銃では指先から流れ出す魔力の量で測る。その違いに戸惑い、何度も的を外していた頃が、今では遠い昔のことのように思える。
銃身の魔法陣が淡く灯り、引き金を引くと同時に光の弾が闇を裂いた。一瞬遅れて乾いた音が届き、的の中心に小さな穴が空いているのが見て取れる。
クレアはしばらく何も言わずに、穴の空いた的を見つめていた。
「今の一射で、仕上がった」
「え……」
紬は構えを解いて振り返った。
「仕上がった、ですか」
「教えるべき型は、もう全てお前の中にある。あとは実戦の中で磨け。これ以上ここで撃たせても、感覚が鈍るだけだ」
「でも、最終段階に入ると言われてから、まだそんなに経っていません」
「だから、私も驚いている」
クレアは言葉を選ぶように一拍置いた。
「お前は闇を恐れない。闇の中で、むしろ心を落ち着ける。それは教えて身につくものではない。生まれ持ったものだ」
紬は胸の前で両手を重ねた。クレアの言葉はいつも淡々としていて、褒められているのだと分かるまでに少し時間がかかる。
「ありがとうございます」
クレアは紬の手から魔銃を受け取ると、近くの切り株に腰を下ろして手入れを始めた。布で銃身を拭う手つきは、いつ見ても丁寧だった。
「すずなの様子は気になるか」
「はい。ずっと会えていないので」
紬は素直に頷いた。修行の日々は充実していて、毎日が新しい発見の連続だった。それでも離れて過ごす時間が長引くほど、すずなに会いたい気持ちは募っていく。手紙のやり取りはあっても、顔を見られない日々は思っていた以上に堪えた。
「ならば、先に戻れ」
「いいんですか」
「すずなはエルフィのもとで修行の最中のはずだ。合流して、様子を見てやれ」
その言葉に、紬の顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます!」
「ただし」
クレアは手を止め、真顔で紬を見上げた。
「エルフィが、お前たちの家に妙な衣装を持ち込んでいないか確かめてこい」
「衣装、ですか」
「黒ずくめの装いを用意して、すずなに着せたらしい。それも、私の流儀だと言ってな」
「ええっ……!?」
紬の声が森に響いた。
「先輩に、黒い服を……?」
「闇の流儀を名乗るなら、相応の覚悟が要る。半端な黒では、闇が泣く」
「あの、そもそも誰から聞いたんですか」
「闇は、全てを見ている」
クレアは当然のように言い切り、再び銃身を拭い始めた。それ以上を語るつもりはないらしい。
紬の頭の中に、自分が初めて真の闇の使徒を名乗ったあの日のエルフィの顔が浮かんでくる。口元を固く引き結び、目だけをどこか遠くへ逸らしていた。あの時は気づかなかったけれど、今なら分かる。あれは笑いを必死に堪えている顔だった。
「エルフィさん……!」
紬は頬を赤くして拳を握りしめた。自分の装いを笑いを堪えて見ていた人が、すずなにまで黒い服を着せている。恥ずかしいやら悔しいやらで胸の内が忙しいのに、心のどこかでは別の思いがむくむくと頭をもたげていた。すずなが黒い装いを纏ったのなら、それはどんな姿だったのだろう。想像しかけたところで、顔がさらに熱くなる。
「早く戻って確かめてこい」
そう言ったクレアの口元は、わずかに緩んでいた。
荷物をまとめ終えた紬が深く頭を下げると、クレアは手入れを終えたばかりの魔銃を手に立ち上がった。使い込まれた銃身には細かな傷が幾つも刻まれていて、そのどれにも見覚えがある。修行の日々、紬が毎日握りしめてきた一挺だった。
「これを持っていけ」
「わたしに、ですか」
「修行を終えた証だ。闇の使徒が丸腰で帰っては、闇の名に傷がつく」
「そういう理由なんですね……」
「理由など、後からついてくる。受け取れ」
差し出された魔銃を、紬は両手で受け取った。ずっしりとした重みが掌に伝わり、その奥にこれまで積み重ねてきた日々が詰まっているような気がする。借り物として扱ってきた一挺が、今は確かに自分のものになっていた。
「大切に使わせていただきます」
「それでいい。ただし、鍛錬は怠るな。闇は怠けた者から離れていく」
「はい」
「実戦の中で、また会うこともあるだろう。その時は遠慮なく背中を任せろ」
紬は魔銃を胸に抱えたまま、大きく頷いた。
ふと気づくと、クレアが紬の全身を上から下まで眺めていた。眼帯と包帯、闇色の装束を順に確かめていくその視線に、紬は嫌な予感を覚える。
「帰る時は、その出で立ちのまま帰れ」
「このままで、ですか!?」
紬の声が裏返った。
「お前はもう真の闇の使徒だろう。ここで着替えては名が廃る」
「それとこれとは話が別です! 街道には普通の人も歩いてるんですよ」
「浅はかな考えだ」
クレアはゆっくりと首を振った。
「人目に晒されてこそ、闇は深まる」
「絶対に今考えましたよね、それ」
抗議は最後まで聞き入れてもらえず、紬は結局、修行場に来た時とはまるで違う姿のまま森をあとにすることになった。
家のある街へ続く街道を歩き始めてから、紬は何度目か分からないため息をついた。すれ違う人々の視線が、遠慮なく突き刺さってくる。荷馬車の御者は手綱を握ったまま目を丸くし、親子連れの子供には指を差され、母親が慌ててその手を下ろさせる気配まで伝わってきた。
以前の自分なら、居た堪れなさに道の脇の茂みへ逃げ込んでいたかもしれない。けれど不思議なことに、今はそこまでの恥ずかしさを感じなかった。眼帯の位置を直す指も、背負い紐に掛けた手も、すっかりこの装いに馴染んでいる。
「わたし、染まってきてる……」
ぽつりと漏れた呟きに、自分で少し驚いた。最初はクレアに付き合わされているだけのつもりだったのに、いつの間にか、この格好のまま街道を歩くことにも以前ほどの抵抗がなくなっている。
それよりも、すずなのことが頭から離れなかった。すずなからの手紙には、レインに時の理を教わったことや、火を灯せるようになったことが丁寧な字で綴られていたけれど、服の話は一言も書かれていなかった。書けなかったのか書きたくなかったのかは分からないけれど、どちらにしても、それだけの何かがあったことになる。
エルフィはどんな装いを用意したのだろう。すずなは嫌がったのだろうか。それとも、恥ずかしがりながらも袖を通したのだろうか。袖を通した姿を思い浮かべかけては慌てて首を振り、また思い浮かべかけては首を振る。そのたびに眼帯がずれて、紬は歩きながら何度も直す羽目になった。
「エルフィさんだけ見てるなんて、ずるいです」
誰に聞かせるでもない抗議を口にして、紬は背負い紐を握り直し、歩幅を大きくした。一歩踏み出すごとに背中の魔銃が肩を叩き、早く行けと急かされているような気がした。




