第127話 闇の装い
その日の夕方、すずなの家の戸が叩かれた。
開けると、大きな箱を抱えたエルフィが立っていた。箱が大きすぎて、顔が半分ほど隠れている。
「闇の装いだ」
「え……もう、できたんですか」
すずなは目を丸くした。
「闇にすると決めたの、今日ですよね?」
「準備は早い方がいい」
「早すぎる気がするんですけど……」
「気のせいだ」
すずなはそっと箱を受け取った。両腕にずしりとした重みがかかる。
「開けてみろ」
蓋を開けると、黒を基調とした布地が丁寧に折り畳まれて収まっていた。目を凝らせば、黒地には赤い刺繍とレースが細やかにあしらわれている。眼帯も、包帯も見当たらない。思い描いていた武骨な装束とは、まるで違っていた。
恐る恐る持ち上げると、幾重にも重なった裾がふわりと広がった。胸元には小ぶりなリボン、袖口にも同じ赤の縁取りが続いている。
すずなはそこで、手を止めた。
「あの、エルフィさん。これって」
「なんだ」
「ゴスロリ、ですよね」
「知らん」
「この前、なんだそれはって言ってましたよね」
「知らんと言っている」
エルフィはそっぽを向いた。知らないはずの服が、なぜここにあるのか。すずなは追及せずに、衣装を体に当ててみた。
「これ、私の大きさにぴったりなんですけど……」
「そうか」
「いつ測ったんですか?」
「見れば分かる」
当然のように返され、すずなは何も言えなくなった。
「これが、闇の装い……」
「文句があるなら、今のうちに言え」
「いえ……」
すずなは小さく首を振り、衣装を箱に戻した。それから箱の中を覗き込んで、気がついた。
「一着しか入っていませんけど、二着って」
「予備は、私が預かっておく」
「預かる、ですか」
「予備だからな」
エルフィはそれきり口をつぐんだ。箱を胸に抱え直すすずなを、しばらく黙って見つめる。やがてふと視線を逸らし、独り言のように呟いた。
「すずな、わたしもあの服を……」
「え?」
「なんでもない」
「エルフィさん、この前も同じことを言いかけてましたよね?」
「言っていない」
即座に返し、エルフィはふいと顔を背けた。
「エルフィさん、やっぱり」
「覚悟を決めたのか、決めていないのか、どちらだ」
ぴしゃりと言い放つ声は、どう聞いても話を逸らすためのものだった。
「覚悟を決めました」
「そうか。明日、これを着て私の家に来い。玄関で待っている」
「わかりました。ありがとうございます」
すずなが深く頭を下げると、エルフィは踵を返し、隣の家へと戻っていった。去り際、その口元がかすかに上がっているのが、すずなにも見えた。
その夜、自分の部屋で改めて袖を通してみると、衣装は測ったように体に馴染んだ。姿見の前でおずおずと一回りすれば、重なった裾が丸く膨らんで、赤いレースが揺れる。鏡に映っているのは、どう見ても普段の自分ではなかった。
「これで、修行を……」
呟いた声が、誰もいない部屋にいつもより大きく響いた。
紬が見たら、何と言うだろう。笑うだろうか。それとも、目を輝かせるだろうか。遠くで修行を続けているはずの後輩の顔を思い浮かべた途端、頬がじわりと熱くなる。すずなは慌てて、姿見から目を逸らした。
翌朝、すずなは赤い刺繍とレースで飾られた黒の衣装に身を包み、エルフィの家の玄関先に立っていた。
隣の家から歩いてくるだけの短い道のりが、今朝はやけに長く感じられた。心臓がいつもより速く脈打っている。込み上げてくる恥ずかしさを、これも修行のうちだと言い聞かせて押し込めた。
それに、エルフィも着てくるはずだった。二着目は、そのためのものに違いない。二人で着れば、恥ずかしさも半分になる。
扉が開いた。
そこに立っていたのは、普段通り深い青のローブを纏ったエルフィだった。黒い布地は、どこにも見当たらない。
「えっ……?」
思わず声を漏らしたすずなの姿を見るなり、エルフィは吹き出した。
「ぶふっ……」
「な、なんで……? どうして……?」
頬を真っ赤に染めてうろたえるすずなに、エルフィは口元を押さえ、笑いを堪えながら告げた。
「黒の装いは、クレアの趣味だ。闇魔法とは、何の関係もない」
「なっ……騙したんですか?」
「いや」
ようやく笑いを収めたエルフィの目には、悪戯が成功した子どものような愉快さが、隠しきれずに浮かんでいた。
「あまりにも装いのことを気にしているから、ついな」
「エルフィさん……!」
「纏わなくてもいいとは、言ったはずだ」
確かに、そう聞いていた。すずなは返す言葉を失い、恥ずかしさと悔しさの入り混じった声を上げた。今すぐ隣の家へ逃げ帰りたい。けれど着替えに戻れば、それこそ負けを認めるような気がして、足が動かない。
「二着目は、どうしたんですか」
「予備だと言った」
「着てくれると思ってました」
「誰がそんなことを言った」
エルフィはしれっと言い放ち、それからすずなの頭から足元までを改めて見回した。
「安心しろ。似合っている」
「フォローになってません……!」
抗議するすずなをよそに、エルフィの視線はなぜか衣装の裾へと吸い寄せられていく。胸元のリボン、袖口の縁取り、そしてまた裾へ。行きつ戻りつするその視線に気づいて、すずなは目を瞬かせた。
「エルフィさん、さっきから裾ばかり見てませんか?」
「見ていない」
「今、また見ましたよね?」
「気のせいだ」
きっぱりと言い切ったエルフィの耳の先は、あの日よりも、さらに赤く染まっていた。




