第123話 風の理
翌日、すずなは再びガスコンロの青い火を思い浮かべながら、指先の炎に意識を集めていた。
密度を高める感覚は、昨日よりも掴みやすくなっている。橙色の炎の中心に黄色が滲み、その奥から白みが広がっていく。昨日は一瞬で消えてしまったその色が、今日は指先に留まり続けていた。
そして白の真ん中に、ほんの一瞬だけ、砂粒ほどの青がちらついた。
「今、青が……」
声を上げた途端、青は白に溶けて見えなくなった。けれど白い芯は、消えずにそこにある。
「見えたな」
すぐ側で炎を見つめていたエルフィが頷いた。
「昨日までとは別物の熱だ。感覚を掴んだな」
大きさはそれほど変わらないのに、放たれる熱気は明らかに違っていた。炎の周りだけ、空気が陽炎のように歪んで見える。
「大きさを追うことと、密度を高めること。この二つを組み合わせられれば、火の基礎はほぼできたと言っていい」
「本当ですか」
「ああ。青を保てるようになるのは、実戦の中で磨いていけばいい」
エルフィの言葉に、すずなの胸が高鳴った。
「お疲れ様でした、私」
小さく呟くと、隣でエルフィが鼻を鳴らした。
「まだ早い。それは次の属性を終えてから言え」
「次、ですか」
身構えるように背筋を伸ばしたすずなを前に、エルフィは腕を組んだまま、意味ありげに間を置いた。
「そうだな。やはり、闇にするか」
すずなは黙ってエルフィを見つめた。前にも聞いた台詞なのに、今日のエルフィの目は少しも笑っていない。
「冗談、ですよね?」
「半分は本気だ。闇属性は使い手が少ない。扱えれば貴重な戦力になる」
「でも闇だと、どうしてもあの装束が浮かんでしまって」
「何を言っている」
エルフィは怪訝そうにすずなを見上げた。
「お前は既に、闇の力を使っているだろう。忘れたのか」
「え?」
「Moon Return。あの黒い霧は、闇と時の理が重なったものだ。お前の加護とはいえ、根にある力は紛れもなく闇だ」
すずなは息を呑んだ。月の力を借りたあの夜に纏った黒い霧は、言われてみれば、闇そのものと呼んでいいものだった。
「そう言われると……」
「今さら拒む理由もないと思うがな」
「そういう問題じゃない気がします」
こめかみを押さえて唸るすずなを、エルフィはしばらく眺めていた。やがてすっと視線を逸らし、独り言のように呟く。
「すずな、わたしもあの服装を……」
「え?」
「なんでもない」
「今、絶対何か言いましたよね?」
「聞き間違いだ」
エルフィは珍しく早口で返し、わずかに顔を背けた。その耳の先が、心なしか赤く染まって見える。
「エルフィさん、もしかして」
「本題に戻るぞ」
すずなの追及を遮るように、エルフィは強引に話を切り替えた。
「次は、風にする」
「風、ですか」
「お前の身のこなしを見ていて、思っていた。動きの速さを活かす戦い方をするなら、風との相性は悪くない」
Fable Unboundを軸にした自分の戦い方は、正面からの力比べよりも、身軽さを活かす場面の方が多い。レインに教わった加速とも、きっと噛み合う。次に風を学ぶのは、自然な流れに思えた。
「風の使い方は、大きく分けて二つある。一つは、自分の体の動きを底上げする使い方。もう一つは、相手を吹き飛ばしたり切り裂いたりする攻めの使い方だ」
「私は、どちらから」
「前者からだ」
エルフィは即答した。
「動きを底上げする使い方は、ほかの属性と組み合わせやすい。火で攻め、風で動く。この二つが揃えば、戦い方の幅は格段に広がる」
すずなが頷くと、エルフィは一歩前に出て向き直った。
「では、始めるぞ。まずは風を感じることからだ」
すずなは目を閉じた。頬を撫でる風に、意識を向ける。
「ただ吹いているだけだと思うな。風には流れの筋がある。どこから来て、どこへ抜けていくのか、肌で辿ってみろ」
言われてみれば、風は一様ではなかった。左の頬に当たる風と、髪をさらう風とでは、強さも向きもわずかに違う。足元の草をくぐる低い流れもあれば、耳の横を抜けていく速い流れもある。
「左から、少し上に向かって抜けています。足元にも、別の流れが」
「そうだ。それが筋だ」
すずなはその筋を一本ずつ辿っていった。辿るほどに、風の形がおぼろげに浮かび上がってくる。
けれど、ふと先ほどのやり取りが頭をよぎった。すずなは薄目を開けて、エルフィを見た。
「エルフィさん、ゴスロリって言葉、ご存じですか?」
「なんだそれは」
「闇の使徒より、もう少し華やかな感じの服なんですけど。今度日本に行った時に、見てみますか?」
エルフィはしばらく黙ったまま、視線をあさっての方向へ泳がせた。
「べつに、興味はない」
「今、少し間がありましたよね?」
「気のせいだ。風に集中しろ」
言い切る声は、さっきと同じくらい早口だった。すずなはそれ以上追及せず、もう一度目を閉じる。
風の筋は、さっきよりもはっきりと感じ取れた。その流れの中で、隣に立つエルフィの方からだけ、落ち着かなげに揺れる気配が伝わってくる。




