第122話 熱の理
三つの的に挑んだ翌日も、すずなは草地に立っていた。
右手に灯した炎を、エルフィはしばらく黙って見つめていた。やがて、腕を組んだまま口を開く。
「今日は、大きさではなく熱を上げる」
「熱、ですか」
「炎の大きさと温度は、必ずしも一緒には上がらない。小さくても、温度次第で威力は大きく変わる」
首を傾げるすずなに、エルフィは続けた。
「同じ大きさなら、熱い方が相手を貫く力は強い。無駄なく戦うなら、こちらの方が理にかなっている」
「大きさより、熱の方が大事なんですか?」
「場合による。だが今のお前には、こちらの感覚を先に掴んでおいてほしい」
エルフィが自らの指先に小さな炎を灯した。すずなが見慣れた橙色とは違い、中心がうっすらと白く色を変えている。
「これが、温度を上げた状態だ」
「白っぽい……」
「色は温度の目安になる。橙から黄、白へと近づくほど、熱は高くなる」
じっと炎を見つめるすずなに、エルフィは短く促した。
「やってみろ」
すずなが頷くと、右手にいつも通りの橙色の火が浮かんだ。
「大きさを保ったまま、熱だけを上げる。魔力の量を増やすんじゃない。同じ量を、より密に、押し固めるように意識しろ」
「密に……」
言葉だけでは感覚を掴みきれず、すずなは目を閉じて手のひらの炎に意識を集めた。これまでのように広げるのではなく、内側へ、内側へと、炎そのものを絞り込んでいく。
じり、と手のひらに伝わる熱が変わった気がした。目を開けると、橙色の奥に淡い黄色が滲んでいる。
「変わった、気がします」
「わずかにな」
エルフィは頷いたが、その声にはまだ物足りなさが残っていた。
「今のままでは足りない。もっと圧を強くしろ」
「圧、ですか」
「炎を握りしめるつもりでやれ。逃がさず、閉じ込める」
すずなは再び目を閉じ、両手で炎をそっと包み込むように意識を集めた。指先から伝わる熱が、次第に強くなっていく。皮膚がひりつくような感覚に、思わず息を詰めた。
「痛……っ」
「無理はするな。少しずつでいい」
エルフィの声に意識を緩めると、炎は元の橙色に戻った。
「一気にやろうとするな。何度も繰り返して、体に覚えさせるものだ」
すずなは頷き、深呼吸を挟んでから再び炎に向き合った。
その日は、同じ動作を何度も繰り返した。橙から黄色へ近づけては緩め、また挑む。黄色まで届く回数は少しずつ増えていった。けれど、その先の白は遠い。黄色を越えようとするたびに指先がひりつき、炎は形を崩してしまう。
「今日はここまでにしよう」
エルフィがそう告げた頃には、すずなの額はすっかり汗ばんでいた。大きな炎を保つ時の重さとは違う。細い針の先にずっと力を込め続けていたような、硬い疲れが腕に残っている。
「難しいです、これ」
「当然だ。温度を扱うのは、大きさを扱うよりずっと繊細な加減が要る。焦らず積み重ねろ」
すずなの隣に腰を下ろしたエルフィは、少し考えるように視線を落とした。
「一つ、手がかりをやる」
「手がかり、ですか」
「お前が火種を灯す時に思い浮かべた鍋。あれの下で燃えているのは、何色の火だ」
すずなは家の竈を思い浮かべた。薪がはぜて、橙色の炎が鍋の底を舐めている。
「橙色です」
「では、向こうの家では」
向こう、という言葉に、すずなは毎日のように立っていた、狭いけれど使い慣れた日本の台所を思い出した。鍋を置くのは、つまみをひねって火をつけるガスコンロだった。
「ガスコンロの火は、青いです」
口にしてから、すずなははっとした。薪の火も、ロウソクの火も、ゆらゆらと橙色に揺れている。けれどガスコンロの火は、青く、鋭く、少しも揺らがずに鍋の底を捉えていた。
「白の先には、青がある」
エルフィは静かに言った。
「お前はもう、答えを毎日見ていた」
「エルフィさん、ガスコンロを知っていたんですか」
「何度か見た。便利なものだ」
すずなは思わず笑ってしまった。エルフィが日本の台所でガスコンロを覗き込む姿は、どうにもうまく想像できない。
「もう一度だけ、やってみてもいいですか」
「一度だけだ」
すずなは立ち上がり、目を閉じて右手に炎を灯した。指先に浮かんだ橙色の火に、記憶の中の青い炎を重ねていく。青く、鋭く、少しも揺らがないあの火を思い描く。握りしめるように、閉じ込めるように、意識を炎の中心へと絞り込む。
指先の熱が、これまでとは違う鋭さを帯び始めた。
ゆっくりと目を開けると、橙色の炎の芯が、白みを帯びていた。
「できました……」
「ああ。それでいい」
エルフィの短い声を聞いた途端、張り詰めていた意識が途切れ、炎はぱっと掻き消えた。
「あ」
「最後まで保てとは言っていない。今日は、届いたことが分かれば十分だ」
帰り道、すずなは心春のことを思った。火の精霊と契約したという心春なら、今の炎を見て何と言うだろう。口が悪いという火の精霊には、まだ白か、と鼻で笑われてしまうかもしれない。
すずなは指先を見下ろして、小さく呟いた。
「次は、青にしますから」




