第121話 火の理
小さな火種を灯せるようになってから、すずなの修行は次の段階へと進んでいた。指先に炎を呼び出す感覚は、日を追うごとに手に馴染みつつある。
「次は、その火種を大きくする」
エルフィの声は、いつもと変わらず淡々としていた。
「魔力の量を増やせばいいんですか?」
「それだけじゃない。思い描き方も大事だ」
エルフィは腕を組んだまま、すずなの手元を見つめている。
すずなが右手を持ち上げると、指先に赤い光が灯った。呼び出すまでの間が、昨日よりずっと短くなっている。
「その火種に、薪をくべるつもりで魔力を送れ。一度に流すな。少しずつ、途切れさせずにだ」
すずなは呼吸を整え、体の芯から細い糸を引き出すように魔力を送り込んだ。一気に流すのではなく、絶やさぬよう、少しずつ。
指先の光が、ゆっくりと膨らんでいく。
「あ……」
小指の爪ほどだった炎は、やがて握りこぶしほどの大きさにまで育った。揺らめく橙色の輪郭から、熱が手のひらへ伝わってくる。
「いいぞ。そのまま保て」
エルフィの声が、わずかに鋭くなった。
炎を保ち続けるうちに、すずなの額には汗が浮かんでいた。魔力を送り続ける感覚は、細い水路に絶えず水を流し込むのに似ている。少しでも気を抜けば、あっという間に途切れてしまいそうだった。
「これくらいで、いいですか?」
声に、かすかな震えが混じる。
「十分だ。よくやった」
エルフィが頷くのを見て、すずなは詰めていた息を吐き、炎をゆっくりと消した。腕の内側に、心地よい疲れが広がっていく。
「次は、その炎を飛ばす」
「飛ばす、ですか」
「攻めに使うなら、避けては通れない」
エルフィは少し離れた場所に、木の的を据えた。
「炎を灯したら、的に向かって撃ち出せ。投げるのではなく、押し出す感覚だ」
すずなは的に向き直り、右手に再び炎を灯した。橙色の光を見つめながら、押し出す、という言葉を頭の中で繰り返す。守るために攻める力がほしいと、自分で口にした言葉が、耳の奥に蘇った。
「いきます」
指先を離れた炎が、橙色の軌跡を描いて宙を走った。けれど狙いは大きく逸れ、的から遠く離れた地面に落ちる。煙がふわりと立ち上り、腕には放った瞬間の反動がじんと残っていた。
「外れました……」
すずなは肩を落とした。
「初弾で届けば十分だ。届かない者も多い」
エルフィの声に、からかうような響きはなかった。
「もう一度」
すずなは頷き、再び手のひらに炎を集めた。
二度目は、的の端をかすめた。三度目、四度目と繰り返すうちに、狙いは少しずつ中心へと近づいていく。放つたびに、腕の使い方や魔力を送り出す間合いが体に馴染んでいった。草地には炎の爆ぜる音と、すずなの荒い息遣いだけが響く。集中を重ねるほど周りの音が遠のき、視界の中心には的だけが浮かび上がってくる。
五度目の炎が、的の中心を捉えた。
ボスッという鈍い音とともに木の的が焦げ、焼けた匂いが鼻先を掠める。
「やった!」
思わず声を上げたすずなに、エルフィが頷いた。
「見事だ」
その口元には、はっきりとした笑みが浮かんでいた。
「では、目指すところを見せておく」
エルフィは焦げた的の隣に、もう一つ新しい的を据えた。それから数歩下がり、無造作に右手を持ち上げる。
指先に、炎が灯った。
次の瞬間には、もう放たれていた。
轟音とともに、的が跡形もなく消し飛んだ。立っていた場所の草まで丸く焼け、黒い輪だけが残っている。
すずなは口を開けたまま、しばらく動けなかった。
「今のは、火種と同じ魔法だ」
「同じ、なんですか」
「魔力の量と、送り込む速さが違うだけだ。いずれお前にもできる」
エルフィは何でもないことのように言った。すずなは焼け跡と自分の手を見比べ、それから小さく息を吐いた。
「いずれ、が遠く感じます」
「遠くない。お前の伸び方ならな」
肩で息をしながらすずなが座り込むと、エルフィもその隣に腰を下ろした。しばらくの沈黙のあと、エルフィがぽつりと切り出す。
「そういえば」
「はい?」
「紬の『真の闇の使徒』の話、覚えているな」
「忘れられません」
すずなは苦笑した。エルフィから聞かされただけなのに、眼帯と包帯を身に着けた紬の姿が、ありありと目に浮かんでくる。
「あれから、少し思ったことがある」
エルフィはすずなをじっと見上げた。その目の奥に、いつもとは違う悪戯めいた色が見え隠れしている。
「お前の魔力にも、闇が混じっていたな」
すずなは指輪に目を落とした。そこには、時と闇の魔力を示す黒い点がある。
「ありますけど……」
「お前も、闇の使徒になるか」
「え」
すずなは目を丸くした。
「今からでも遅くない。素質だけで言えば、紬より向いているかもしれん」
「い、いえ、火で大丈夫です!」
慌てて首を振るすずなの頭に、眼帯と包帯を身に着けた自分の姿が一瞬よぎった。その隣で紬が「こちら側へ、ようこそ」と手を差し伸べている。背筋がすっと冷えた。
「冗談だ」
短く言ったエルフィは、すっと顔を背けた。けれど、口の端が持ち上がっているのは隠しきれていない。
「エルフィさん、今笑いましたよね」
「笑っていない」
「笑いました」
「お前の反応が、あまりに面白かっただけだ」
エルフィは表情を戻すと、何事もなかったように立ち上がった。
「休憩は終わりだ。次は的を三つにする」
「三つ、ですか」
「紬は三つとも撃ち抜いた」
すずなは焦げた的を見て、それから黒い輪の跡を見た。
「闇の使徒に、負けていられませんね」
すずなは立ち上がり、並べられた三つの的へ右手を向けた。指先に灯った炎は、朝よりも速く、迷いなく形になった。
今日のページも、最後までめくっていただき、ありがとうございます。
次の頁も気になると思っていただけましたら、ブックマークや、下の☆☆☆☆☆から応援をいただけると嬉しいです。




