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【完結】おとぎ話の試練を全部クリアしたら、異世界が帰る場所になりました  作者: ごまだんご
第十章 理を束ねる者

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第118話 四つの理

 時間の流れをわずかに感じ取る感覚を掴んでから、すずなの修行は日を追うごとに進んでいった。


 図書室で同じ練習を数日繰り返した頃、レインが机の上に広げていた本を閉じた。


「今日から、もう少し実践的な内容に入ろうか」


 その目には、これまでになく楽しげな色が浮かんでいた。


「よろしくお願いします」

「ここでは狭いからね。体を動かしながら、時空魔法の輪郭を掴んでいこう」


 二人は図書室を出て、王都の外れにある開けた空き地へ向かった。


「息を止めて、空気の粘り気を感じる。あの感覚は覚えているかな」

「はい」

「今度はその感覚を、自分自身の動きに重ねてみてごらん」


 すずなは目を閉じ、呼吸を整えた。体の内側に、あのとろりとした手触りを呼び起こす。それが指先から腕へ、足元へと、ゆっくり広がっていった。


「その感覚を保ったまま、走ってみて」


 すずなは地面を蹴った。


 周りの景色が、いつもよりゆっくりと流れていく。草の揺れも、遠くを飛ぶ鳥の羽ばたきも、どこか間延びして見えた。足だけが軽く、いつもの倍の速さで地面を捉えていく。


 空き地の端まで来て、すずなは足を止めた。振り返ると、さっきまで立っていた場所がずいぶん遠い。


「今の、すごく速くなってました」

「それが加速だよ。君の周りだけ、時間の進みが速くなっている。だから周りの景色が、相対的に遅く見えるんだ」


 すずなは頷き、何度も同じ動きを繰り返した。走って、止まって、また走る。繰り返すたびに感覚の継ぎ目がなめらかになり、空き地を行き来する足取りは目に見えて軽くなっていった。


 額にじっとりと汗が滲む頃、レインが手を叩いた。


「基本の感覚は掴めてきたようだね。では、それぞれの技法について、きちんと説明しておこう」

「はい」

「まず、加速。これは今体感した通り、自分の周りの時間を局所的に速める魔法だ。次に緩速。こちらは対象となる相手の周りの時間を、逆に遅くする。原理としては加速の応用で、働きかける向きが逆になっているだけなんだけれど、実際の魔力の操り方となると、まったく別の手立てが要るんだ。というのも、自分に作用させる魔法と他者に作用させる魔法とでは、魔力の伝わる道筋そのものが……」


 すずなは聞きながら、覚えのある感覚に襲われていた。言葉の波が、またじわじわと押し寄せてくる。


「あの、レインさん」

「うん、何かな」

「その、また少し」

「難しくなってきた、ということだね」

「はい」


 レインは顎に手を当て、しばらく考えた。


「分かった。では、こちらもやりながら覚えてもらおう」


 レインは空き地の隅に転がっていた木の枝を拾い上げた。


「今からこれを投げるよ。緩速で捉えてごらん」

「え、今からですか」


 答えを待たずに、枝がふわりと宙を舞った。


 すずなは慌てて意識を枝へ向けた。自分の内側ではなく、飛んでくるものの周りに、あの粘り気を重ねる。


 枝の動きが、わずかに鈍った。水の中を進むように、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。すずなは手を伸ばし、それを難なく受け止めた。


「今のが緩速だよ」

「こういうことだったんですね。お話を聞いていた時は、全然分からなかったのに」

「言葉より、体で覚える方が早い。このやり方にして正解だったね」


 レインは満足げに頷いた。どこか寂しそうにも見えたのは、気のせいだろうか。


 それからの数日は、加速と緩速の繰り返しに費やされた。投げられる枝は日ごとに増え、二本、三本と同時に飛んでくるようになる。四日目には、レインが投げた五本の枝を、すずなはすべて手の中に収めていた。


「では、次の段階に進もうか」


 その朝、空き地には大きな的が一つ立てられていた。


「残りの二つ、停止と軌道逸脱を覚えてもらうよ」

「はい」

「まずは停止から。対象の周りの時間を、数秒だけ完全に止める魔法だ。ただし」


 レインの声が、いつもより低くなった。


「消費する魔力は、ほかの三つと比べても桁違いに大きい。ほかの魔法の倍以上は使うと思っておいてほしい。使える回数にも、はっきりとした限りがある」

「回数の限り、ですか」

「一日に数回が限度だろうね。使いすぎれば、魔力が枯れて動けなくなる。ここぞという場面のために、取っておく技だと思ってくれるかな」


 すずなは表情を引き締め、静かに頷いた。


「では、試してみよう」


 レインは魔力の流れに反応して淡く光る石を、的の周りにいくつか並べた。


「止めたいものに、意識を絞り込んで」


 すずなは的を見据えた。あの粘り気を、的そのものに重ねていく。重ねて、さらに重ねる。どこまでも濃く、固く、動けなくなるまで重ねていく。


「今だよ」


 その瞬間、的の周りの空気が変わった。


 風に揺れていた草が、傾いたまま止まっている。舞い上がりかけた土埃も、宙に浮いたまま動かない。そこだけが世界から切り取られたように、しんと静まり返っていた。


 的の根元に並べた石が、一斉に白く光った。


「止まったね」


 数秒後、草がふっと揺れを取り戻した。すずなは息を呑んだまま、その光景を見つめていた。


 膝から、すうっと力が抜けた。思わずよろめいたすずなを、レインが腕を伸ばして支える。


「思ったより、ずっと疲れます」

「当然だよ。今ので、魔力の大半を一度に使ったんだから」


 その言葉通り、二度、三度と試すうちに、すずなの足取りはみるみる重くなった。四度目を終えた時には、立っているのがやっとだった。


「今日はここまでにしよう。停止は、そういう技なんだ」


 レインは水筒を差し出しながら言った。


「君がこれから向き合う相手の中には、停止がなければどうにもならない者もいるかもしれない。だからこそ、無駄撃ちはしないこと。いいね」

「はい」


 翌日、最後の技に取りかかった。空き地の奥に、小さな的が三つ並べられている。


「最後は軌道逸脱だよ。これは空間そのものを、わずかにずらす魔法だ。飛んでくる攻撃の軌道を逸らして、当たらないようにする」

「避けるための技、ですね」

「そう。誰も傷つけずに、攻撃だけを無かったことにできる」


 レインは指先に小さな光の弾を灯した。


「これを的に向けて撃つから、当たらないようにしてごらん」


 光の弾が、まっすぐに的へ飛んだ。


 すずなは弾の行く先に意識を向けた。止めるのでも、遅らせるのでもない。弾が通る道そのものを、ほんの少しだけ横へ押しやる。


 弾は的の手前でかくんと曲がり、脇の地面に落ちて消えた。


「うん、上手い」


 すずなはほっと息を吐いた。二発目、三発目と続けて撃たれた弾も、すべて的を外れていった。


 その日の終わりに、レインはこれまでの四つを順番に通してみせるよう言った。


 加速で空き地を駆け抜け、飛んでくる枝を緩速で受け止める。光の弾の軌道を逸らし、最後に的の周りの時間を止める。最初はぎこちなかった一連の動きも、何度か繰り返すうちに、一つの流れへとつながっていった。


「悪くないね」


 レインは腕を組んだまま、ぽつりと言った。


「四つの理、基礎はしっかり身についたと言っていいと思うよ」

「本当ですか」


 すずなは思わず声を弾ませた。


「本当だよ。ここまで来れば、あとは実戦の中で応用を利かせられるはずだ」


 これまでのすずなは、試練で授かった加護を頼りに戦ってきた。今日初めて、自分の手で一から積み上げた力を握っている。


「ありがとうございます、レインさん」


 すずなは深く頭を下げた。


「お礼はまだ早いよ。磨くのはこれからなんだから」


 レインはそう言ってから、目を細めた。


「それに、私も楽しかったからね。教えるというのも、悪くない」


 王都へ戻る道を歩きながら、すずなは紬の顔を思い浮かべた。


 次に会った時、加速で走ってみせたら、きっと目を丸くするだろう。それから悔しそうに唇を尖らせて、「ずるいです」と言うに違いない。


 そう思うと、明日の修行が待ち遠しくなった。


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