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【完結】おとぎ話の試練を全部クリアしたら、異世界が帰る場所になりました  作者: ごまだんご
第九章 来るべき日のために

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第116話 野営地の記録

 クレアの家を訪ねてから二日後の夜、エルフィは南の森へ足を運んだ。


 森の入り口には、小さな野営地ができていた。地面に杭を打ち、天幕が円を描くように並んでいる。見張りの冒険者たちが交代の時刻を確かめ合う声が、夜気の中に低く響いていた。


 エルフィが姿を現すと、天幕の前に立っていたメイルが杖を持ち直し、深く腰を折った。


「エルフィ様。お待ちしておりました」


 本来ならギルドの執務室にいるはずの男が、自ら野営地まで出向いている。


「ギルドにいればいいものを」

「こちらの方が、状況がすぐに分かりますので」


 メイルは穏やかに答えて、天幕の入り口を押し上げた。


 中には簡素な机と地図があり、記録簿が三冊積まれていた。ランプの光が、紙の端を黄色く照らしている。机の隅には湯気の立つ茶と、紙に包んだ焼き菓子が二つ置いてあった。


「これは」

「夜分にお越しいただくと伺いましたので。街の菓子屋のものですが」


 エルフィは無言で包みを一つ開いた。蜂蜜の香りが立つ。一口かじってから、ようやく記録簿に手を伸ばした。


「毎日の観測値をまとめてあります。まずはこちらを」


 一番上の一冊を取って頁をめくる。日付ごとに発光の範囲と魔力の濃度、周辺の魔獣の出没数が、几帳面な字で記されていた。夜間の観測にも抜けがない。


「範囲は」

「封印を強化した日から今日までで、外周がおよそ一割広がりました。光の強さも、僅かに増しています。ただ急な変化ではなく、日を追って少しずつという印象です」

「魔獣は」

「依然として近づきません。森の外縁でも、数が減ったままです」


 エルフィは数字を目で追いながら、焼き菓子の残りを口に入れた。


「交代の体制は」

「手練れの冒険者を数組、順に詰めさせています。魔力の扱いに長けた者を、各組に必ず一人入れました。変化があれば、狼煙(のろし)と通信の両方で知らせる手筈です」

「夜間の見張りは二人一組にしろ。単独で綻びに近づく者を出すな」

「承知いたしました。今夜のうちに徹底させます」


 メイルは迷いなく答えた。


「他にも足りない点があれば、遠慮なくご指摘ください。エルフィ様のご指示であれば、すぐに改めます」


 その物言いに、余計な飾りはなかった。エルフィは記録簿を閉じて立ち上がった。


「見てくる」

「お供いたします」


 メイルが杖の先に灯りをともし、半歩後ろについてくる。二人は天幕を出て、森の奥へ向かった。


 木々が途切れ、開けた場所に出た。地面の一部が薄く光っている。強化した術式の線がその周りを幾重にも囲み、光を内側へ押し込めていた。


 エルフィはしゃがみ込んで、指先を光の縁に近づけた。肌の上を、ぴりぴりとした感触が走る。


 三十年前にも、同じ痺れを指先で感じた。あの時は、光の向こうから溢れ出てくるものを、バルドが最前線で食い止めていた。シェイラが扉を封じ終えるまでの、長い夜だった。


「広がっているな」

「記録の通りでしょうか」

「ああ。誤差の範囲だ。お前の観測は信用できる」


 メイルは目を細め、小さく会釈した。


 エルフィは立ち上がり、光を見下ろしたまま尋ねた。


「持つと思うか」

「はっきりとは申し上げられません。ただ、この速さのままなら、数か月は問題なく持つと見ております。何かのきっかけで一気に崩れる可能性も、否定はできませんが」

「私の見立ても近い」


 エルフィは頷いた。


「南以外の封印にも人を置いている。そちらには、今のところ変化がない。緩み始めたのは南が先だ」

「どうして南だけが」

「理由は分からん。分かるまで、ここは切らさずに見ておく必要がある」

「承知しております。人員も物資も、こちらで確保を続けます」


 しばらく、二人とも黙って光を見ていた。


「お弟子さん方は、いかがですか」


 先に口を開いたのはメイルだった。


「順調だ。すずなは時空魔法の基礎を終えた。心春は、精霊と二体契約した」

「二体も。それは心強いですね」

「紬は」


 エルフィはそこで言葉を切った。


「紬さんは」

「……闇の使徒になった」


 メイルは杖を掲げたまま、しばらく動かなかった。


「闇の、使徒ですか」

「腕は確かだ。それ以上は聞くな」


 低く言い切ったエルフィの口の端は、灯りの届かないところで、わずかに上がっていた。メイルは何も聞き返さず、ただ「左様でございますか」とだけ答えた。


 あの三人が力をつけるまで、持たせなければならない。


 口元を引き締めて、エルフィはもう一度地面の光を見た。三十年前は間に合った。今度も間に合わせる。そのために、あの三人をそれぞれの師のもとへ送り出したのだ。


 天幕に戻ると、エルフィは記録簿の写しを、毎日王都にも送るよう告げた。


「私が不在の時でも、レインかシェイラが目を通せるようにしておきたい」

「かしこまりました。今夜の分から手配いたします」


 エルフィは最新の頁の隅に、自分の署名を書き添えた。次の頁は、まだ白いままだった。


「十日後にまた来る」

「お待ちしております」


 エルフィは、机の上に残っていたもう一つの包みを、ごく自然な手つきで懐にしまった。メイルは何も見なかったような顔で、深々と一礼した。


 エルフィは何も返さず、野営地を後にした。


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