↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】おとぎ話の試練を全部クリアしたら、異世界が帰る場所になりました  作者: ごまだんご
第九章 来るべき日のために

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

113/270

第112話 炎との誓い

 バーニルに芯の強さを認められてから、さらに数日が経った。


 朝、祭壇の部屋に入ると、心春が火皿の前に座るより先に炎が灯るようになっていた。


「遅い」

「時間通りですよ」

「昨日より遅い」


 ぶっきらぼうな声が胸の内に響く。待っていてくれたのだと思うと、口元が緩むのを抑えられなかった。


 話すことは、他愛のないことばかりだった。シェイラの庵の台所に、いつも同じ茶葉が置いてあること。森で一番大きな木の根元に、変わった形の茸(きのこ)が生えていたこと。バーニルの方から何かを尋ねてくることは滅多にない。ただ、心春が話している間、炎は一度も消えなかった。


「ミハル。前に言っていた二人は、どういう者たちだ」


 その日は、バーニルの方から問いかけてきた。


「すずなさんと紬さんですか」

「お前を迎えに来た者たちだろう」

「はい。すずなさんは、とても丁寧な人です。誰に対しても敬語で、困っている人を放っておけなくて。紬さんは明るくて、すずなさんのことが大好きで、すずなさんのことになると、ちょっとだけ周りが見えなくなります」

「ちょっとだけか」

「……だいぶ、かもしれません」


 炎がぱちりと小さく爆(は)ぜた。笑ったのかどうかは分からない。


「二人とも、今はそれぞれ別の場所で修行をしています」

「会いたいか」

「会いたいです。でも次に会う時には、私も何か一つ、できるようになっていたいので」


 炎はそれ以上何も言わなかったが、その日はいつもより長く灯っていた。


 翌朝、シェイラは珍しく祭壇の部屋までついてきて、入口近くの壁際に腰を下ろした。心春が火皿の前に座ると、炎はいつもより静かに、まっすぐ立ち上っている。


「今日は、いつもと違いますね」

「お前を試す」


 胸の内に、短い声が響いた。


「試すって、何をですか」

「契約には覚悟がいる。半端な気持ちでは、この炎を身の内に宿すことはできない」


 心春は姿勢を正した。


「何をすればいいですか」

「お前の譲れないものは、もう聞いた。だが、言葉だけなら誰にでも言える」


 炎がふくらみ、火皿の縁を越えて大きく燃え上がった。肌を焼くような熱が、正面から押し寄せてくる。


「手を入れろ。迷えば焼ける。退けば、それまでだ」


 心春は炎を見つめた。壁際のシェイラは何も言わない。止めるつもりも、手を貸すつもりもないのだと、その静けさで分かった。


 右手を、少しずつ前に出す。指先が炎に近づくにつれて、熱が皮膚を刺した。あの日、思わず後ずさった距離を、今は越えようとしている。


 怖くないと言えば嘘になる。けれど心春は、手を引かなかった。


 遺跡の暗がりで、壁に背を押しつけて息を殺していた夜を思い出す。魔物の足音が遠ざかるのを待ちながら、心の中で何度も父を呼んだ。誰にも見つけてもらえないまま、それでも明日もう一度だけ起きようと、自分に言い聞かせてきた。


 あの二年に比べれば、目の前の熱は怖いうちに入らない。


 心春は指先から手のひらまで、炎の中に差し入れた。


 熱は、来なかった。焼けるような痛みの代わりに、温かいものが手のひらを覆っていく。炎が手首に絡みつき、腕を伝って、胸元の方へゆっくりと上ってきた。


「退かなかったな」

「退いたら、それまでなんですよね」

「ああ。お前は退かなかった」


 バーニルの声が、胸の奥で低く響いた。


「私は譲らない意志を、何よりも重んじる。お前の中には、それがある。契約を結ぼう」


 炎が胸元に触れた瞬間、光が心春の視界を満たした。思わず目を閉じ、次に開けた時には、胸元に小さな炎の紋章が淡く浮かび上がっていた。


「これが……」

「契約の証だ。これからは、私の力をお前が使える」


 心春が紋章に指先で触れると、わずかな熱が返ってきた。


「ありがとうございます、バーニル」

「礼は不要だ。私がお前を選んだだけだ」


 突き放すような言い方なのに、胸の内に届く響きは、少しだけ照れくさそうだった。


 壁際から立ち上がったシェイラが、こちらへ歩いてくる。


「よくやりましたね」

「途中で止めてくださるのかと思ってました」

「止めていたら、契約はできませんでしたから」


 シェイラは穏やかに答えると、心春の右手を取り、手のひらに火傷の跡がないことを確かめた。


「バーニルは気難しい精霊です。それでもあなたは、その心を開かせました」

「でも、まだ始まったばかりですよね」

「ええ。せっかくですから、少しだけ試してみましょうか」


 シェイラは部屋の隅の燭台から、火の消えた蝋燭(ろうそく)を一本取ってきた。


「精霊の力を借りる時は、命じるのではなく頼みます。最初の日にお話しした通りです。バーニルに、この蝋燭に火を灯してほしいと頼んでみてください」


 心春は蝋燭を受け取り、胸元の紋章に意識を向けた。


 バーニル、この蝋燭に火を。


 心の中で言い終える前に、紋章が熱を帯びた。次の瞬間、蝋燭の芯から火柱が噴き上がり、天井の梁(はり)の手前まで届いた。


「わっ」


 心春は慌てて蝋燭を遠ざけた。火柱はすぐに縮んだが、蝋燭は半分ほどの長さになっている。


「加減というものを知らんのか」

「それ、私が言いたいです」

「お前の頼み方が曖昧だからだ。どれくらいの火か、言わなかった」

「普通、蝋燭に火を灯してって言ったら、小さい火じゃないですか」

「私の普通はこれだ」


 胸元の紋章が、得意げに温まった気がした。


 シェイラは梁を見上げ、焦げ跡がないことを確かめてから、口元に手を当てた。


「火の精霊と契約したばかりの方は、たいていこうなります。頼む側と応える側で、加減の物差しが違うんです。それを少しずつ揃えていくのも、修行のうちですよ」


 心春は短くなった蝋燭を見下ろし、もう一度頼み直した。今度は、指先ほどの小さな火を、と言葉を添えて。


 芯の先に、ようやく小さな火がともった。その揺れ方まで、不服そうに見えた。


 その日の帰り道、心春は何度も胸元に手をやった。服の上からでは紋章は見えない。けれど手を当てるたびに、小さな熱が返ってくる。


 家に戻ると、台所で湯を沸かした。父がいつも淹れていた濃いお茶を思い出して、茶葉を少し多めに入れてみる。


「濃すぎる」


 一口飲んだところで、胸の内に声が響いた。


「バーニルにも、味が分かるんですか」

「分からん。だが、お前が顔をしかめた」


 心春は思わず笑い、湯を足して薄めた。父の淹れるお茶は、これよりもう少し苦かった気がする。いつかこの紋章のことも、父の若い頃のことも、父と向き合って話せる日が来るのだろうか。


「ミハル」

「はい」

「明日も、遅れるなよ」


 心春はカップを置き、胸元に手を当てて、小さく「はい」と答えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。