第109話 真の闇の使徒
あれからも、修行は休みなく続いた。
片目と左手を封じたあの日から、数週間が経っている。あの日渡された新しい魔銃も、今ではすっかり手に馴染み、紬は暗闇の中でも的を正確に貫けるようになっていた。最初は違和感でしかなかった眼帯も包帯も、気づけば体の一部のようになっていた。
「今日も上出来だ」
クレアの評価には、以前とは違う重みがあった。
闇の使徒の装束も、日を追うごとに磨きがかかっていった。ある朝は、手首から指先のリングへと伸びる細かな意匠の鎖が渡され、別の朝には、口元を覆う黒いマスクが加わった。そのたびにクレアは「闇がお前を認めた証だ」と厳かに告げ、紬は「はい」と答えるしかなかった。一つ加わるごとに、紬の姿は以前の面影から少しずつ遠ざかっていく。
鎖とマスクが揃った日、修行の合間に水桶を覗き込んだ紬は、そこに映った自分の姿にしばらく固まった。黒い装束に片目の眼帯、包帯を巻いた左手に、きらりと光る鎖の意匠まで揃っている。あの家に鏡が一枚もない理由が、少しだけ分かった気がした。
「先輩がこれを見たら、なんて言うでしょう……」
紬は小さく呟いた。
「なぜ、そう思う」
クレアが不思議そうに聞き返す。
「だって、こんな格好ですよ」
「似合っている」
クレアはあっさりと言った。
「お世辞はいいですよ」
「私は、お世辞を言わない主義だ」
その真顔に、紬は苦笑した。それでも、悪い気はしなかった。
いつの間にか、この装束にも慣れきっている自分がいた。最初は水桶に映る自分を見るたびに顔から火が出そうだったのに、今では眼帯も封じた左手も、当たり前のものになっている。闇の中で意識を研ぎ澄ませ、狙いを定めて引き金を引く。その一連の動きにも、もう迷いはなかった。
夜、黒い部屋のベッドに横になると、時々すずなのことを考えた。先輩も今頃、レインのもとで慣れない修行に向き合っているのだろう。会えない日が積み重なるほど、次に会う時には胸を張っていたいという気持ちが強くなっていく。
「今日は、これまでの成果を確かめる」
その日の修行の終わりに、クレアはそう告げると森の奥へと歩き出した。紬もその後に続く。
辿り着いたのは、これまでよりもさらに深く、闇に沈んだ場所だった。頭上を幾重にも覆う枝葉に遮られて、光はほとんど届かない。
「この闇の中、遠くにある的を正確に撃ち抜いてみせろ」
クレアの声だけが響いた。その姿はすでに闇に溶け、ほとんど見えない。
紬は深く息を吸い込んだ。眼帯の下の右目のことは意識の外へ追いやり、残った左目と、周囲の気配を感じ取る力を、ゆっくりと広げていく。葉擦れの音や湿った土の匂い、肌を撫でる空気の流れを辿った先に、確かな輪郭が浮かび上がってきた。はるか先に置かれた小さな的の存在が、はっきりと分かる。
魔銃を構え、魔力を丁寧に流し込むと、銃身の魔法陣が闇の中で淡く輝いた。紬は一度だけ息を止め、引き金を引いた。
光の弾丸が闇を切り裂き、的の中心を正確に撃ち抜く。
「見事だ」
クレアの声には、隠しきれない満足がこもっていた。けれど、その声はすぐに続いた。
「もう一つ。右だ」
紬ははっと顔を向けた。右手の木々の間に、もう一つ小さな的が音もなく揺れている。クレアがいつの間にか吊るしていたらしい。迷うより早く、銃口がそちらへ向いていた。二発目の光が、揺れる的の中心を貫いた。
しばらくの沈黙の後、闇の中から足音が近づいてきた。
「お前はもう、真の闇の使徒だ」
その一言に、紬は大きく息を吐いた。ここまでの日々が、ようやく一つの形になった気がした。
「ありがとうございます」
紬は深く頭を下げた。
「先輩の隣に立てる自分に、少しは近づけた気がします」
「お前は最初から、十分な資質を持っていた」
クレアは珍しく、柔らかい声で続けた。
「だが、まだ終わりではない。次から、最終段階に入る」
「最終段階……」
紬は背筋を伸ばした。手の中の魔銃を握り直すと、引き金を引いた指先に、魔力を放った余韻がまだ残っていた。




