第106話 闇の装束
紬の修行は辺りが暗くなり、的が完全に闇と同化するまで続いた。
「よし、今日はここまでだ」
クレアの声に、紬は詰めていた息をようやく吐き出した。両腕にはじんわりとした疲労が残っている。何十発と撃ち続けた分だけ体の芯にも、確かな重みが積もっていた。
「一旦、戻るぞ」
クレアはそう言うと、踵を返して歩き出した。紬は慌ててその後を追う。森を抜けた先に、小さな建物が見えてきた。
拠点は木々に囲まれるように、ひっそりと佇んでいた。外観からして、既にどこか只ならぬ雰囲気を漂わせている。
「お前はこの部屋を使え」
案内された部屋は、闇に覆われていた。壁も、家具も、寝具も、視界に入るもの全てが、黒一色で統一されている。窓に厚手の黒いカーテンがかけられ、僅かに差し込む夕暮れの光さえも遮られていた。
「あの......この部屋、ちょっと」
紬は思わずそう漏らしそうになった言葉を、なんとか飲み込んだ。
「明日から本格的な修行に入る」
クレアは部屋の隅にある衣装箱を、静かに開けた。
「闇の使徒の一員として、明日からはこの服を着て修行を行う」
そう言いながら差し出されたのは、一式の衣装だった。上着からブーツに至るまで、全てが真っ黒だった。裾にはあの銀糸の紋様が、細かく刺繍されている。
「あの......本当に、この服を着る必要があるんですか」
紬は恐る恐る、そう尋ねた。
「当然だ」
クレアは迷いなく、そう言い切った。
「闇と一体化するには、まず装いから始めなければならない」
紬は渡された衣装をしげしげと眺めた。手触りは悪くない。むしろ生地の質感は、しっかりとしたものだった。それでも頭の中では、これを着た自分の姿がうまく想像できなかった。
「これ、着ないと駄目ですかね」
「駄目だ」
クレアは即答した。
「装いは心の在り方を映す。中途半端な格好で、闇の力を極めることはできない」
「そういうものなんですか」
「そういうものだ」
押し切られる形で、紬は渡された衣装を受け取った。とりあえず部屋に置いておくことにする。着るかどうかは、また明日改めて考えることにした。
その夜、夕食の席に案内されると、紬はさらに困惑することになった。
テーブルに並んだ食器も、料理を盛る皿も、水を注ぐグラスも、全てが黒だった。木でできた匙さえ黒く塗られている。
「あの、食器まで黒なんですね」
紬は思わず、そう呟いた。
「当然だ」
クレアはそっけなくそう答えた。
「私の拠点だ。統一感がなければ意味がない」
「統一感......」
紬目の前に置かれた、黒いスープ皿を見つめた。中に注がれた白いスープが、やけに眩しく見える。異様なコントラストに、思わず少し笑いそうになった。
「食べにくくは、ないんですか」
「慣れれば、問題ない」
クレア平然とそう答えながら、黒い匙を口へ運んだ。その所作は、洗練された優雅さを保っていた。
紬は少し戸惑いながらも、目の前のスープにそっと匙を伸ばす。味は意外にも美味しく、それだけが、この奇妙な空間の中で唯一の救いだった。
「明日からしっかり励め」
クレアの言葉に、紬は静かに頷いた。
「はい」
部屋に戻ってからも、紬はしばらく黒い衣装を眺め続けていた。窓の外は、すっかり夜が広がっている。すずなや心春が今頃どうしているだろうかと、ふと考えた。
それでもこの一風変わった環境の中で、自分なりに着実に力をつけていくしかない。そう自分に言い聞かせながら、紬はゆっくりと目を閉じた。
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