第105話 夜目の開花
「今日から、しばらくは私の指導のもとで動いてもらう」
クレアの声には、有無を言わせない響きがある。
「王都のギルドから少し離れた場所に、私が使っている拠点がある。修行の間はそこに滞在してもらう」
「拠点ですか」
聞き返す紬に、クレアが短く頷いた。
「森に近い静かな場所だ。夜の闇に馴染むには都合がいい」
紬は少し複雑な表情を浮かべる。
「先輩とは、しばらく会えなくなるんですね」
「本気で強くなりたいなら覚悟しろ」
素っ気ない言葉の奥に、優しさを優しさのままでは差し出さない人なのだろうと、紬はなんとなく感じ取っていた。
ギルドの外では、見送りに来てくれたすずなが少し不安げにこちらを見つめている。
「先輩、行ってきます」
「はい。無理はしないでくださいね」
すずなが紬の手をそっと握り、その温もりがいつもより名残惜しく感じられる。
「すぐ終わりますから」
紬は精一杯明るく答え、遠ざかっていくすずなの姿に振り返りたい衝動を堪えながら、クレアの後を追って歩き出した。
修行の場所は、拠点にほど近い森の中。人気のない、開けた空間だ。
「まずはこれで慣れろ」
クレアが懐から取り出したのは、腰に下げていたものより装飾が少なく、ずっと簡素な造りの武器。
「クレアさんの武器と、少し違いますね」
「練習用の魔銃だ。私の得物ほどの威力はないが、基礎を学ぶには十分すぎる」
紬が両手で丁寧に受け取ると、簡素な見た目に反したずしりとした重みが手のひらに伝わってくる。
「原理は近い。魔力を込め、狙いを定めて放つ。ただし精度と威力は、比較にならない」
「お前のLunar Sightは、夜目に特化した加護だ。だが、その本質はそれだけではない」
「本質ですか」
「暗闇の中で対象を正確に捉える力。それは単なる視力の話ではなく、闇そのものを味方につける力だ」
クレアの言葉に、紬は自分の加護の可能性へ初めて目を向ける。これまでどこか地味な加護だと思っていて、すずなの華やかな力と比べると、いつも少し脇役のような気がしていた。
「試しに目を閉じてみろ」
「はい」
紬は言われるまま目を閉じた。
「意識を周囲に広げろ。音、匂い、空気の流れ。全てを感じ取れ」
最初はただの暗闇しかなかったが、集中を深めていくうちに、周囲の気配が少しずつ輪郭を持ち始める。木々のざわめき、遠くの鳥の声、微かな風の流れ。それらが一つ一つ、はっきりとした形で浮かび上がってくる。
「……分かります」
「目を開けろ」
紬が目を開けると、視界が明らかに違って見える。木々の陰影がいつもよりくっきりと浮かび上がり、薄暗い森の中に淡い光が満ちているようだ。
「これが、Lunar Sightの本当の力」
「まだ入り口に過ぎない」
クレアはそっけなく告げる。
「これから真の闇の使徒として、鍛え上げてやる」
紬は少し気圧されながらも、身の内で何かが目を覚ましていくのを感じる。
基礎の感覚を掴んだところで、クレアは離れた木の幹に小さな的を取り付けた。距離は目測でも二十メートル近くはありそうだ。
「まずはこの的を狙え」
「はい」
紬は渡された魔銃を構えたが、腕にかかる重みに姿勢が少し崩れそうになる。
「腰を落とせ。武器に振り回されるな」
「は、はい」
言われた通り腰を落とし、構え直す。両足にしっかりと重心をかける感覚は、剣を構える時とも、弓を引く時とも、また違う体の使い方だ。
「魔力を銃身に流し込め。感覚としては加護を発動させる時と近いはずだ」
紬は神経を集中させ、体の奥から引き出した魔力を両手から魔銃へと流し込む。すると銃身の魔法陣が淡く光り始めた。
「良い。そのまま狙いを定めろ」
紬は的に狙いを定めたが、その瞬間に視界がわずかにぶれ、焦点がうまく合わない。
「駄目です、上手く狙えません」
「当然だ。夜目の感覚と通常の視覚。二つを同時に使いこなす必要がある」
クレアの言葉に、紬はもう一度目を細め、先ほど周囲の気配を捉えた要領を意図的に呼び戻す。すると的の輪郭がわずかに際立ち、世界の解像度が一段階上がったように感じられた。
「今です」
引き金を引くと、光の弾丸が銃口から放たれ、的の中心をわずかに外れて突き刺さる。木の幹に鈍い衝撃音が響いた。
「惜しい」
クレアが小さく呟く。
「初めてにしては悪くない」
「本当ですか」
紬は思わず声を弾ませる。
「ただしこれは序の口だ。夜の闇の中でこそ、この力は真価を発揮する」
クレアはそう言って空を見上げる。
「日が沈むまで続ける」
「はい」
紬は息を整えて再び魔銃を構え、両腕を伝って流れ込む魔力の感触を確かめながら、もう一度的を見据えた。
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