8-42.子供の癇癪
まずいと感じて、エルマは咄嗟に少年へ突進。真正面からぶつかった。彼は即座にエルマを蹴り返したけど、木の枝の向きが変わった。
真っ直ぐエルマに振り落とされるはずの光は軌道が上向きに逸れた。立ち込める土煙に穴を開けてぶち抜き、遠くに見える山の斜面を貫いた。
大きく抉れた斜面から、土が崩れ落ちる。周りの木々を巻き込みながら巨大な土砂崩れとなっていった。
待ってくれ。あの山の麓には、こことは別に兵士を駐留させている村があるはずだ。敗走するここの兵士たちもそこに向かっているかも。
彼らが土砂に飲み込まれる!
何ができるかは知らないが、何かしないと。助けにいかないと。蹴飛ばさたエルマは起き上がろうとして、腕に力が入らないことに気づいた。
違う。腕が無い。右腕があるはずの部分が、肩にから先がなくなっていた。傷口は焼けて塞がれているが、行き場を無くした血が流れようとチョロチョロと漏れ出ている。
気づいた瞬間、猛烈な熱さと痛みを感じた。
「いやぁぁぁぁぁ! あっ! あぁぁぁぁっ!」
一軍を率いる女将軍ではない、か弱い乙女の悲鳴が漏れる。それを見下ろす少年は、悪鬼のような形相を浮かべていて。
彼女を殺すべく、彼はまた枝を振り上げた。
「将軍!」
「エルマ様!」
悲鳴を聞いたのか、逃げずに踏みとどまっていた兵士が数人駆け寄ってきた。少年はそちらを煩わしそうに見て、枝を振る。枝から出た光が彼らを貫き、次々に破裂させていった。
さっきまで人間だったものが、ぱあんと馬鹿みたいな音と共に飛び散って、血と肉の破片の雨となって降り注ぐ。肉が焼ける音と共に。
彼らを知っている。結婚を控えていたり、妻が出産間近だったり、活躍して英雄になると息巻いていたり。
そんな彼らが、地面に染み込んだ血の跡に変わり果てていた。
わたしも、すぐにこうなる。
「いやぁっ!」
死にたくない一心で足に力を込めて少年にぶつかった。彼と折り重なるように倒れ込む。少年が持っていた枝は手から離れた。
もがく少年を押さえながら、無事な左手でそれを掴んだ。
なんの変哲もない、ただの木の枝だ。子供が遊びで振り回すような。こんなもので。
「どけっ!」
「あがっ!?」
少年がエルマの喉を掴んで締め上げた。体が硬直した瞬間に、彼は下から這い出て立ち上がり、エルマの顔面を蹴った。
ぼきりと、鼻が折れる音がした。
「お前が! お前がティナを攫った! どこだ!? どこにいる!?」
「やっ、やめ。やめろ」
「やめない!」
「ごはっ!?」
逃げようとするエルマの腹を蹴り、うずくまった彼女の髪を掴んで頭を地面に叩きつけてから、背中を何度も踏みしめた。
「この国は! 帝国に! 停戦を要求した! 何度も! 攻め込むなって! やめてと言った! お前は! やめなかっただろ!」
「あっ、あがっ!」
「やめてと言われてもやめなかった!」
「ごぼっ!?」
脇腹を蹴られて、酸っぱいものがこみ上げてくる。
これが彼の怒りか。あの女の他にもいつくかあるらしい、彼の戦う理由のひとつで、ひときわ大きいもの。
エルマには理解できなった。
知っている。ラロシエリは何度も停戦を願い出て、帝国は聞かなかった。それが戦争だからだ。勝てる戦争をわざわざやめることはない。
じゃあこれは? エルマがやめてと言って、少年がやめないこれは?
戦争なんかじゃない。
逃げようとして左手を動かせば、少年はそれを思いきり踏みつけた。いくつかの指がありえない方向に曲がる。
「ぎゃぁぁぁっ!? あっ! あぁぁぁぁっ!」
少年がその指を掴んで、左右に広げる。指が開く限界を超えて広げられた結果、皮膚が避けて血が流れた。骨がミシミシと音を立てて折れようとしている。
「ああぁあぁぁぁぁぁぁ! やめてぇ! いや! いゃぁ!」
「黙れ!」
「ごはっ!? あ、あが……あ……」
彼の拳がエルマの顔面に直撃。仰向けに倒れながら意識が遠のきかけたエルマだけど、少年の踵が再びエルマの顔に刺さって強制的に覚醒した。
「僕は! お前を! 許さない! 帝国を! 許さない! 滅ぼしてやる! お前たち! 全員! 殺すっ!」
ああそうだ。あの女の言うとおりだ。
エルマを殺そうとして、軍を壊滅させて、その敵意を帝国にまで向けているこれは。
ただの、子供の癇癪だ。
何度も顔面を蹴られた結果、エルマの首はゴキリと音を立てて折れてしまった。痣だらけで、鼻も歯も折れて血を流していて、片目は踵が刺さって潰れていた。美しいと言われた容貌も、既に面影はない。
残る片目から見える景色も、ぼんやりと靄がかかったよう。目の前で少年は剣を抜いて、エルマの首へ振り下ろした。
――――
牝馬にまたがってアンリは駆けた。一緒に城門を出た兵士から、道なりに行けばいいと聞いて先行した。ヨナたちのことが心配だから。
空が白み始めた頃、村についた。ちょうど外に出ていたらしいキアが気づいて、こっちに手を振った。
「キア! あなたは無事だったのね!」
「ああ。でも大変だ。ヨナが消えた!」
「消えた!?」
「あと、もふもふもいない!」
「ちょっ!? どういうことよ!? ふたりとも無事なの!?」
「わかんねえ! 最初にヨナがいないって気づいたのはガラン、街で仲良くなった子供なんだ。倒れたヨナと一緒にいるって言って、寝てる隙にヨナがいなくなったらしい。でも、ガランは他にもなにか知ってるらしくて」
「なにかって?」
「わからねえ。泣いてばっかりだから。ゾーラが泣き止ませようとして、話しを聞こうとしてるんだけど」
「うまくいかなさそうね」
「だなー。あいつ、男の子は好きでも、接し方がうまいとかじゃないから」
「わたしが行ってくるわ!」
「ちょっと待て、なにか聞こえる」
「え?」
言われて耳をすませる。キアほど耳はよくないから、ちょっと時間がかかってしまった。けれど近づいてくる音が聞こえた瞬間に気づいた。
「もふもふ!?」
この足音は間違いない。何度も聞いているからわかる。




