8-41.光の帯
腕の包帯に血が滲んだ。わたしだって、お前という戦果を手に入れるために負傷した。お前が後生大事にしている、王子様が負わせた傷だ。
「要求は受け入れられない」
「お願いします。ヨナウス殿下はようやく、人を許すことを覚えました。ほんの少しだけ変れたんです。それを憎しみで塗り潰したくない」
「無理だ。帝国はこの戦争のために、何年も準備をしてきた。費やした時間も金も人手も莫大だ。それに、既に双方に多くの死者が出ている。今更やめられない」
「そうですか」
なぜか悲しそうな顔を見せるティナ。自分の境遇を嘆いているのか?
いや違う。これはわたしに向けられている。そう気づいた途端にエルマの背筋は凍った。
彼女はエルマを憐れんでいる。表情は不幸にして死ぬ者への悲しみだ。
この女は、死者と話しているつもりなんだ。
奇妙なことに、この期に及んで彼女の目には優しさが見えた。
決して、エルマに向いているものではない。目の前のエルマと話しながら、全く別の場所を向いている。彼女の優しさは、その人物以外には向かない。
「狂ってる……」
思わず口をついて出た言葉。ティナはそれを聞いて、少しだけ眉を吊り上げた。
「いいえ。彼は狂ってなどいません。わたしがここにいることで、彼が今から決定的に歪んでしまうとしても。最終的にはまともにしてみせます。ちゃんとした大人になってもらいます」
違う。そうじゃない。狂ってるのはお前の大切な人ではなく。お前自身だ。
エルマの心情など知りもしないティナは、表情を戻して穏やかな口調で続けた。
「エルマさん。あなたは立派な将軍なのでしょう。なので心からお悔やみを申し上げます。まだ間に合うならば、今すぐにでもわたしを解放してほしいのですが、無理なのでしょう。だったら、これだけは覚えてください。あなたと、あなたの軍と、あなたの国が子供の癇癪によって滅んだと歴史に刻まれるとしても、あなたは悪くないと――」
轟音が、彼女の言葉を遮った。
同時に地面が揺れた。窓から見える朝の薄暗い空が、一瞬だけ明るくなった。
外からいくつもの悲鳴が聞こえた。
「何があった!?」
ティナに背を向け部屋を出て、状況を知ろうとした。
「遅かったようですね。ああ、ヨナ様。どうかお心を鎮めて……」
悲しげなティナが何を言っているのか、エルマにはついに理解できなかった。
村の家が半分燃えていた。もう半分は、跡形も無く消えていた。
木の燃える臭いに混ざって、肉が焼ける臭いもする。
外では兵士たちが走り回り、負傷した者の手当をしたり、敵がどこにいるのか周囲を見回していた。
「おい! 何があった!? 報告しろ!」
「ひ、光が襲ってきました!」
「それだけじゃわからない!」
「山の方から、光が伸びて! 帯みたいに! それで地面が割れて! ああなって!」
兵士が指差した先で、地面が割れていた。深い断裂が起きていて、その周囲が焦げていた。断裂の上にあった家屋が、中の住民ごと砕かれ燃えたらしい。
もちろん、直線上にいた兵士も。黒焦げになった死体がいくつもの転がっている。数十人分はあるだろうか。分隊を指揮する将官の死体も多い。
不幸にも直撃を免れた兵士が、全身に大火傷を負ってのたうち回っていた。熱だけではなく衝撃も凄まじかったらしく、あちこちに千切れた手足が飛び散っている。
その中に、見慣れたペンダントを握った腕が転がっていた。これは。
「ヒンナ……?」
慌てて拾い上げる。手は真っ黒に焦げて、ほぼ炭化していた。直撃を受けたのか?
そんな。この戦争にはお前が必要なのに。お前がいないと、どう戦えばいいのかもわからないのに。
「おおおぉぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「!?」
すると、二回目の轟音が聞こえた。直前には腹に響くような雄叫びも。
振り返れば、地面を切り裂く光の帯が猛烈な勢いで走るのが見えた。
それは村に設置された高い見張り台を直撃。乗っていた見張りごと粉々に砕き、燃える破片を兵士たちに降り注がせた。
もちろん、帯の上にいた兵士の命も奪った。一瞬にして、百近い命が消えた。千切れた手足や首や、粉々になった肉片があたりにばらまかれた。一瞬だけ、血の雨が降り注いで兵士たちを打った。
仲間の体に流れていた血だ。彼らを恐れさせるには十分。あちこちから悲鳴が聞こえた。
「落ち着け! これは敵の攻撃だ! 攻撃は向こうから来た! 敵の姿を見て矢を放て!」
混乱する兵士たちを落ち着かせるべく声を上げる。しかしそれをかき消すように、三つ目の光が走った。また、多くの命が消えた。地面が揺れて割れ、傾いた。
兵士たちは戦意を喪失して、我先にと逃げ出していく。彼らをまとめるべき将官は、ヒンナ含めて最初の一撃で多くが葬られた。
しかしエルマはまだ生きている。そして光が同じ方向から来ているのを見た。
「おい! あそこだ! あそこに矢を放て! 敵はそこにいる!」
村から出て山を登る坂道だ。距離があって敵の姿が視認できない。大地を揺らして割るほどの威力で、土煙が上がっているのもある。
近くにいた兵士の肩に手を置いて落ち着かせて、武器を手に取るよう命じた。こんな時にヒンナがいれば、もっとうまく統率が取れるのに。
なんとか落ち着いた数人の兵士が、転がっていた弓矢を拾って坂道の方に構えて放つ。しかし同時に土煙が揺れた。再度の光が大地を切り裂き、逃げ惑う兵士を焼き殺して、衝撃波が矢を蹴散らした。
矢を掴んだままの腕が宙を舞い、ドサリと音を立てて落ちた。切断面は黒く炭化していた。この腕の持ち主もきっと。同じように消し炭になっているのだろう。
「駄目だ矢は役に立たない! 直接攻撃しろ! 敵は向こうにいる、突撃を……」
指差した方向に、土煙でぼやけた人影が見えた。こちらに駆け寄るそれは子供の背丈で。
咄嗟に下がったエルマは攻撃を回避できたが、周囲の兵士は間に合わなかった。少年が振るう木の枝が、兵士たちを切り裂く。下半身と生き別れになった上半身がいくつも、ドサドサと時間差で倒れ落ちる。
「お前は……」
「ティナは! どこにいる!? どこだぁ!?」
「誰か!? こいつだ! ここに敵ごはっ!?」
「ティナはどこ!? あの家にいる!?」
一瞬で懐に潜り込まれたエルマの腹が蹴飛ばされる。少年の目は村長の家に向いていた。
正解だ。だが言わないぞ。
「誰か! 来てくれ! 敵だ!」
「うるさい! そんなことは! 聞いてない!」
「っ! うああぁぁぁぁぁ!」
怒りに満ちた顔の少年が木の枝を振り上げた。ただの枝のはずなのに、光り輝いていた。




