8-28.たぶん無い拷問
逃げても無駄だとわかっているだろうに。
けれど彼女の向かう先には水たまりがあって。
「あ。待て!」
止めようとしたが遅い。さっき女が出そうとして、盆ごとぶちまけられた水。それを女は床に口をつけて啜り上げた。
彼女は最初から僕たちを殺そうとしていた。あの水に毒が入っていることは僕も予想していたから、さっさと戦いを始めた。
そして彼女はプロだった。捕まって情報を吐くくらいなら。
「吐き出せ!」
呼びかけながら、女の腹を蹴る。飲んだ水は出てこずに、彼女は大きく咳き込んだだけ。
やがて口から出る息に血が混ざって、水たまりに赤色が飛び散った。
「がはっ! て、帝国に、栄光を……」
そして女は血を吐き倒れた。どろりとした血でズボンの裾が汚れる。
こんな即効性で強い毒を飲まされかけたのか。
「おらっ! どうだ!? 痛いか痛いかー!?」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
キアたちの方も決着がついたらしい。床に尻もちをついている男の膝にナイフが刺さっている。その柄を掴んだキアはグリグリと傷口をかき回している。酔ってるからか、普段よりもテンション高いな。
そんなキアの頭にチョップを叩き込む。
「こら。駄目だよ」
「痛っ。なんだよ」
「あの女は死んだ。この男から情報を聞き出さないと」
女よりも立場は低くて、部下というより下っ端な感じのする男。工作の全貌は知らないかもしれないけど、それでも手がかりだ。
「あー。そうだな。よし。おいお前、帝国の人間だろ? アタシはわかってるんだからな」
ナイフを抜いて男の顔を覗き込む。さっきはキアの顔にデレデレしていた男は、今はそれが間近にあるのを怖がっていた。
「て、帝国? なんのことかな?」
「君の姉は潔く自決したよ。さっきの会話からもわかる。あなたは帝国の工作員だ。そして僕たちは、お姉さんが看破した通りの人間だ。街から依頼を受けて、帝国から派遣された工作員を探している」
「……」
「あなたたち以外にも仲間がいることは知っている。どんな人? どこに行けば会える? 教えて?」
「い、言わない! 俺も帝国の人間だ! 死んでも言うものか!」
「へえー。お姉さんみたいに死ねればいいけどね。僕たちは優しいから、こうやってお喋りするだけ。でも城に連れて行かれればどうなるかな?」
「城?」
「彼らは戦争に勝つために必死だ。あなたから情報を得るために、どんな拷問をするだろうか。ああ、別に喋らなくても話は聞けるから、彼らは最初に舌を引き抜くだろうね。出血したら可愛そうだから、傷口に焼きごてを当てて塞ぐ。君が喋りたいことは、文字盤を指でひとつずつ指差して伝えることになるよ。それには指が一本あればいいから、残りの九本は切り落とされちやうだろうね。質問は文字を見せればいいから、あなたの耳はいらない。両方とも切り落としちゃおう。目も片側は潰せるよね。情報を全部聞き出せば、後は用済みだ。街の通りにでも放り出される。まともに生きられないあなたは、異国の街の片隅で物乞いをしながら生きるしか」
「嫌だぁ! やめてくれ! わかった! 全部話す!」
ガタガタ震えながら叫んだ。
「なあヨナ。本当にそんな拷問あるのか?」
「ないだろうね」
もちろん取り調べはするだろうけど、あの人の良さそうな公爵がそんなこと命じるとは思えない。
彼は他の工作員の情報を吐いてくれた。名前やどんな人間か。定期的に会合をする場所まで。
中には昨日喧嘩を止めた酒場の男の情報もあった。彼も妻帯者として街に入っているそうだ。妻役はご近所の奥さんと仲良くなって勧誘しているのだろうな。ゾーラの予想通りだ。
さっきの戦闘はかなり騒がしかったらしい。外を見れば近所の人たちが何事かと集まっていた。
住民はこのあたりでは新参者で、何かあったのかと声をかけるのも躊躇われている様子。僕が顔を出して呼びかけた。兵士を読んでくれ。人が死んでいる、と。
周囲はちょっとした騒ぎになって、兵士はすぐに来た。
現場の兵士は僕のことを、公爵から直接依頼を受けた冒険者だとは知らない。けど、冒険者が治安維持に協力していることも、帝国の工作員を探していることも把握していた。
すぐに怯える男を連行していった。
「お、お願いだ! 全部話すから! 話したから! 拷問はやめてくれ!」
最後まで情けない叫びをあげていた。さっき僕たちに話したこと、城での取り調べで繰り返されるんだろうな。
「あー。なんか疲れた。いつもの運動より疲れた気がする……」
「酔っ払ってるからだよ」
「そうなのか? かもな……あー。酒が飲みたい」
「ほら。立って。ゾーラたちと合流しないと。兵士の邪魔にもなるし」
「そうだなー」
家主がいなくなった部屋にも、何人も兵士が残って中を改めている。工作員の居場所を突き止める手がかりの捜索だ。
キアが疲れて床に座り込んでいるのは、明らかに邪魔だ。
まだ足元がふらくつキアを立たせて部屋を出る。
「どこかで水飲みたい」
「ここのは毒入りかもしれないから駄目だよ」
「新しい酒を入れても落ち着くかも」
「絶対に駄目」
「なんで酒って飲みたくなるんだろうな。飲み過ぎたら二日酔いがひどいのに」
「そんなの知らないよ」
「もしかして二日酔いが気持ち悪いって思ってるのが間違いで、本当は気持ちのいいものなんじゃ」
「何言ってるのか本気でわからない」
ひと仕事終えた開放感から、そんな中身のない会話をする。さっきまで殺意全開の敵を相手にしていたとは思えないね。




