8-26.間抜けな工作員
そんな気はしてた。帝国領から来た人間は寒がり。というか、この国の人ほど寒さに慣れてない。
だから周りと比べて厚着になる。昨日の喧嘩の男もそうだった。
ロプロースに潜入していた工作員は、数年かけて街に馴染んだという。けれどこの男はラロシエリ王国入りが最近なのだろうな。
だから寒さに慣れない。あと帝国をヴァルメルンと国名で言う。忠誠心があるのは結構だけど、下手すぎる。
「平和が一番ですよね。でも、今まさに戦っている相手にどうするんですか?」
「戦う意志がないと見せつけて、街にヴァルメルンを迎え入れるんだ。そうすれば向こうも攻撃はしない。それに聞いた話だけど、ロプロースではヴァルメルンとラロシエリの市民が仲良くやってるそうだよ」
「そうなんですか」
城主ですら知らないロプロースの情勢を、なんで一市民が知ってるんだ。それにラロシエリよりも帝国の名を先に出してるぞ。
帝国の工作員はこんなのしか行かせられないほど人手不足なのか。
そうなのかもね。ロプロースでの市民の押さえつけが厳しいと、反発も大きくなる。それを懐柔するために、工作員は市民に混ざって必死に活動しているのかも。
だから次の活動に割く人員が足らない。ベテラン工作員は他の仕事に忙しいのだろう。ロプロースの治安安定で。
僕は笑ってしまうのを必死でこらえた。
「あっはっは! そりゃ面白いな!」
キアは笑いが出てしまっている。男はそれが、自分のミスによるものとは気づいていない。
「興味を持ってくれたかい?」
「おう! 持った持った! 詳しく聞きたいな。場所を変えないか?」
「だよね。今はみんな気が立ってる。帝国と仲良くなんて誰かに聞かれれば怒られるかも」
「そ、そうだね。でもどこに?」
「あんたの家に連れてってくれねえか?」
カウンターに肘をつき、手のひらに頬を乗せて微笑む。酒も入って頬を赤くしているキアは、彼にどう映ったのかな。
「あ、ああ。いいね。いいアイディアだ。この考え方は姉さんの方が詳しいし、ちゃんと説明をさせるよ。さあ、行こう。こっちだ」
顔を赤くしている男について店を出る。
「うまく行ったな」
「うん。キアが思ったより酔ってなくて良かったよ」
「一軒で一杯だぜ? これくらい酔った内に入らねえよ」
「その言い方が不安なんだよ」
あくまで、会話に支障がない程度って意味だ。足は若干ふらついてるし。
倒れたりは無さそうだから良いけれど。ここから先は飲むことはなさそうだし。
男を先に行かせてヒソヒソ話。けれど彼は時折振り向いた。接近したのはキアの顔が目当てでもあるからね。
僕たちは手を繋いで仲のいい姉弟を装いつつ、男に笑顔を見せる。
不審に思われてるかな。でも男の視線はキアの胸元や太ももに向いてるようだから、心配することはなさそうだ。
連れてこられたのは、街の中心部から少し離れた古びたアパート。家賃が安そうな物件だから、他所から逃げてきた人間でも容易に借りれる。
その程度のお金も出せないガランのような難民が圧倒的多数だから、彼らは恵まれていると言うべきだ。
あるいは、誰かがお金を出してるのかも。
「姉ちゃんいるか? お客さんだ」
男は扉のひとつに入りながら中に呼びかけた。控え目な足音と共に、女がひとりやってきた。
歳はそう変わらないと思う。姉弟とのことだけど、似てるとは思えないな。僕とキアみたいに。
もちろん、そういう血縁者もいるのだろうけれど。
「お客さん? ええっと」
「賛同者だ。興味があるらしい。姉弟だって」
「そう……」
女が僕を見て微かに眉をひそめた。腰の剣に視線が行っている気がする。けれどすぐに表情を戻した。
「そう。お水くらいしか出せないけれど、ゆっくりしていって」
男の方は姉のその仕草に気づかないらしい。
「こっちだ。座ってくれ」
部屋と比べれば大きめのテーブルの方へ誘導される。椅子が複数あった。姉とふたり暮らしの割には、他に人が来ることを想定している家具に見えた。
キアと並んで座って、男はその対面にいた。
「座るのが楽だなー。なんか頭クラクラするし」
「やっぱり飲みすぎてない?」
「大丈夫だ。まだまだ飲めるぜ」
「そういうことじゃなくて」
「お待たせしました。すいません、弟が急に話しかけて来たんでしょう?」
盆に水が入っていると思われるコップを置いて、女が運んでくる。コップの数はふたつ。自分たちでは飲まないのか。
さらに盆の下に光るものが見えた。
僕はすかさず立ち上がって、目の前でテーブルに置かれようとしていた盆を下から両手ですくい上げた。盆とコップが中身をぶちまけながら宙を舞う。
水がかかるのを、女は必死に避けた。そして僕の無礼を咎めることもなく、隠し持っていた刃物を僕に向けて振る。
「キア立って! こいつらを制圧する! 殺しはしないで!」
「お、おう! うわっ。なんか足元がふらつく」
「だから飲み過ぎなんだよ!」
刃を避けながら呼びかけた。敵の得物は、家庭的な包丁だ。でもよく研がれているのだろう。剣を抜いてこれを受け止める。
「え、あ」
「この間抜け! こいつらは街に雇われてあたしらを探っているんだ! どう見たって姉弟じゃないだろ!」
「えっ!?」
「なにしてるんださっさと殺せ! 美人にホイホイ釣られるんじゃないよまったく!」
女に言われて男も慌てて立ち上がった。この女の方が上官か。それに多少は優秀。




