8-23.もふもふと
相当参ってるのだろうな。イレイナみたいな人と一緒に過ごしたことがないのか。自分では何もしない、動かない人に。
それでもアンリは頷いて、イレイナの方に戻っていった。彼女はホッとした顔だった。
「そうだ。明日の朝、もふもふの様子を見てきて。メスの馬と仲良くしてたら、浮気は駄目って言っておいてね!」
「うん。わかった」
振り返って言い残したアンリに返事をした。
僕たちも明日に備えないとね。用意された部屋に戻って寝る。大きな部屋で、ちゃんと人数分のベッドが用意されていた。誰が僕と一緒のベッドに入るかで揉めることもない。
快適な朝を迎えて、アンリのお願いを叶えるべく馬小屋に行こうとした。キアとゾーラはまだ寝ている。
ティナはすでに起きていたのか、ベッドにいなかった。馬小屋の場所を訊きながら探すことにした。
すぐに見つかった。城の厨房だ。
「大切なのは焼き加減です。温度と時間。そのバランスが重要なんですね」
コックたちを前に話すティナ。彼女の周りに人が集まり、熱心に頷いている。
「何してるのさ」
「あ。おはようございますヨナ様」
「おはよう。これは?」
「皆さんにパン作りの秘訣を教えているんです! 城の皆さんや兵隊さんたちに配られることになります。美味しい食事があれば士気が上がりますから。それに惣菜を挟んだパンなら、食事の手間が省けます」
「なるほど」
ライディアルの王都で流行っていたパンと聞けば、コックたちも興味津々らしい。
それはいいのだけど。
「そのために早起きしたの?」
「はい! パン屋は元から早起きな仕事ですから」
「そっか。でも、ちゃんと休まないと。今日も戦いになるかもしれないよ? 寝不足だと危ない」
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です! ヨナ様のことは、何があってもお守りしますから!」
「そっか。あの。馬小屋まで行きたいんですけど」
コックのひとりが教えてくれた。
「パンに挟む惣菜ですが、スープを煮詰めて味を濃くしたものがいいと思います。多少濃くてもパンで緩和されて食事に支障は出ませんし、厳しい訓練をしている兵隊さんには栄誉をつけてもらわないと――」
優秀なパン屋で兵士の説明を聞きながら、厨房を出た。
もふもふは馬小屋の一角で佇んでいる。他の馬と比べてひとまわり大きいし、黒い。目立っているのもあって、何頭かの馬に熱い視線を送られていた。
牝馬なのだろうな。
「やあ、もふもふ。アンリじゃなくてごめんね。元気?」
もふもふは僕を見て、短く鼻を鳴らした。これ、どんな感情なんだろうな。
「アンリはお姫様の相手が忙しくて来れないってさ。ちょっと愛馬の顔を見るくらい良いと思うんだけどね。部屋から出したがらないんだ。困ったものだよね。気持ちはわかるけど」
時折小さく鳴くもふもふに見られながら、話しかける。アンリの指示は理解して従う彼は、はたして人語を解しているのか。僕には謎だ。
「イレイナ姫の気持ちもわかるけどね。現時点での元首の候補筆頭だ。もっと堂々としてくれないと。ま、家族から逃げてこんな所まで来てる王子の僕が言えたことじゃないけど……イレイナの肩には、この国の命運がかかっている。多くの国民の命も」
ああ。それも僕が言えたことじゃないな。今も家族の命を狙い続けて、ライディアル王国を混乱させ続けている僕には。
それでも、イレイナにはまともな王になって欲しい。僕に王の器はないし、なる気もない。けれどイレイナは王にならなきゃいけない人間だ。
「アンリが、うまくイレイナを成長させられればいいんだけど。出来ると思う?」
ヒンッ。短い返事。どういう意味かな。否定か肯定かもわからない。
ずっと一緒に旅してたのに、修行が足らないな。
「信じるしかないよね。そうしたら、アンリもまたもふもふに会えるから。願っていて」
馬は神や星に願いをかけることってあるのかな。わからないけど、もふもふは静かに目を瞑った。
「あと、メスの馬に手を出しちゃ駄目だって」
あ。目を見開いた。
「駄目だよ。もふもふにはパタパタがいるでしょ? それに今は戦時中。馬は貴重だ。産んで増やす意義はあるよ。もふもふの子供は強い馬になるだろう。でも今じゃないんだ。街は急いで軍備を整えて反攻作戦に出なきゃいけない。その時に、身重の馬に戦場を走らせるわけにはいかないから。馬のお腹が大きくなる時期は知らないけどさ。今じゃないんだよ。僕はなにをひとりで話してるんだ……」
周りに人はいない。馬だけ。でも恥ずかしくなってきた。
もふもふは僕の話に興味が無いのか、草を食んでいる。牝馬たちが僕を睨んでいた。孕むなって話を理解したわけではなく、格好いい牡馬に馴れ馴れしく話しかける僕が気に入らないとかだろう。
いいよ。好きなだけ見つめな。僕は退散するから。
「じゃあねもふもふ。明日も会いに行くかも。もしかしたら、街で力仕事が必要になったら頼むかも。……アンリがいなくても手伝ってくれる?」
返事はなかった。




