8-5.イレイナ
顔も拭いてタオルも捨てる。
「よし、道まで戻るぞ。足跡は……仕方ないか」
足跡を残さず歩くことも不可能ではないけれど、行きに考え無しに走ったから、その跡がくっきり残っていた。
雪が溶け始める季節とはいえ、残雪はあるし地面はぬかるんでいるからね。
「道に出れば、そこからどっちに行ったかわからないだろう。分かれ道は他にもあるし」
「大きい都市に行こうとするって思われない?」
「相手もそれなりに頭がいい。決めつけて片方だけに人を送って取り逃がす真似はしない。各方面に追っ手を出して、人手を割くさ」
それに手間取っている間に、僕たちは街に行く。彼女を人の中に隠すために。
けど、なんのため? そもそも彼女は何者?
「お前もついてこい。アタシらに人を殺させたんだ。しかも外国の兵士。面倒なことに巻き込まれてる。ちゃんと説明してくれ」
「え。あ、はい!」
木の陰に隠れてこちらを見つめていた少女は、突然話を向けられて驚いた声を上げた。
さっきまで、その視線はアンリに向いていた気がする。
道は人の往来が激しいために、雪は踏まれて溶けてしまい、その下の地面も踏み固められて足跡が残らない。
当初の予定通り、ボンドルの街に向かう。少女も嫌とは言わなかった。
「あなたは何者なの?」
みんなが持っている疑問をゾーラが代表してぶつける。
少女は今、アンリの後ろでもふもふに乗っている。ここまで逃げ続けて疲れ切っていたからだ。
アンリから離れたがらないようにも見えた。
そんな彼女は答える代わりに、懐から何かを取り出して僕に見せた。
銀色のアクセサリー。チェーンがついたペンダントかな。銀製の板がついていて、そこには。
「花の刻印。これは」
「王家の証、だよね」
「ええ。実物を見たのは始めてだけど、間違いないわ。この精巧さは本物ね。あなたはイレイナ・リオルーニ王女なの? ラロシエリ国王の末娘」
「は、はい! わかっていただけましたか!? 良かった。国民でも、全員がこの知識を持っているわけではないと聞いていたので」
身分を説明できて安堵の表情を見せるイレイナ。僕とゾーラが知っていたのは国民だからではなく、王族と学者だったからなのだけど。
それに、信じきるのも危うい。
「拾ったり盗んで身分を騙ってる可能性もある。王族なら、他国の王様についても詳しいよね?」
「は、はい」
僕に見つめられて、推定イレイナは微かに怯えた顔になった。そんなに怖いのかな。さっきは大勢の殺人をしたし、拭いきれなかった血も顔についていることだろう。
「ライディアル王国の国王の名前は?」
「か、カードウス・ライディオンです」
「次期国王は?」
「グラドウス殿下……いえ、先日亡くなったと聞きます。なので今は第二王子のジグドウス殿下、でしょうか」
「そうだね。ちなみに王家の末息子の名前は?」
「ヨナウス殿下、です」
「ちなみに彼が亡くなっていることは?」
「はい。グラドウス殿下と近い時期に亡くなったと聞いています。隣国の王家として弔意を伝えねばと父が補佐官と話していました」
その返事を聞いて、僕はにやりと意地の悪い笑みを見せた。
「残念でした。ヨナウスは実は死んでいない。生きてドラゴンから王都を救ったって話もある。というか……僕がそのヨナウスだよ。それを知らないなんて、君は本当は王族なんかじゃないね?」
「え? えっ!? いや、そ、それは。その。そんな、まさか。でも。あ、あなたが……え?」
彼女の顔は蒼白になり、視線を彷徨わせて、目に涙を浮かべた。。何か言おうとして、言うべき言葉が見つからないで迷っている。
あからさまな動揺。これは。
「駄目ですよ」
「痛っ!?」
ティナが僕の頭を軽く叩いた。
「意地悪を言ってはいけません。泣きそうじゃないですか」
「そうよ! いつも以上にやり方がひどいわ!」
「ごめん。でも、確かめるには動揺させるしかないかなって。嘘がバレた時と、言うことを信じてもらえない時の動揺は別だから」
前者はどう取り繕うべきか考える焦り。後者は絶望に染まった顔を見せる。
「だからって可哀想よ! この子、兵士に殺されかけてたのよ? ここまで走って疲れ切ってるのよ? 意地悪なことしちゃ駄目」
「それにヨナくん。他国の王族なら、あなた顔を知ってるんじゃないの?」
「イレイナ姫と面識はないよ。けれど、うん。彼女の母には一度会った。イレイナ姫。さきほどはご無礼つかまつりました」
足を止めて胸に手を当てて、イレイナに頭を下げる。
「今の反応でわかりました。あなたは嘘をついていない」
こっちを騙そうとはしていなかった。さっきの動揺は、助けてくれた縋れる相手に突き放されそうになった絶望のものだ。
「怖がらせてしまい、申し訳ございません。しかし僕も追われる身。しかも帝国軍と敵対してしまった。あなたの身元はちゃんと確かめなきゃいけなかった」
「追われている、のですか?」
「はい。さっき言ったことは本当です。僕はヨナウス・ライディオン本人です」
「え……」
「死んだとされてますが、生きています。経緯は複雑ですが、生きていること自体も王都の人たちは知っているでしょう」
「……複雑なのですね」
「お互い様です」
呆気にとられた顔のイレイナはしばし黙ってしまった。ずっとその場で留まるわけにもいかず、歩みを再開する。
「それでヨナ様。彼女は、その」
僕はイレイナが何者か知っている。ゾーラもだ。けれど他は、話の流れからなんとなく察してるだけに過ぎない。
「さっき見せてくれたペンダントは、リオルーニ王家の証だよ。一種の身分証だね。ラロシエリの首都にある工房の職人が手間暇をかけて精巧な刻印を入れる。生まれたときに作られて、その後肌身はなさず持っている」
ラロシエリ王国の王族が昔からしていた伝統。だから知っている人は知っている。
一族で同じものを持つことで結束を強めるために持っているらしい。




