8-1.追われる少女
背後に死が迫る。彼女を追う。執拗に、地の果てまでも追い続けるつもりだ。
死にたくない。その一心で森を走った。
みんな死んでしまった。一緒に逃げた兄も姉も。守ろうとしてくれた騎士も。最後まで一緒にいると約束してくれた侍女も。
街に残った父と母も叔父も、みんな死んだに違いない。かならず生きて会おうと約束してくれたけど、守られるとは思わない。
あの黒い闇の如き軍勢は、そんなことを許しはしない。振り返った時に見えたのは、煙と悲鳴が上がる首都の姿。
みんな死んでしまったのかな。こんな子供に良くしてくれた将軍も、兵士のみんなも。城で働いていた使用人たちも。
自分だけ生きている。
「はっ。はっ。は、はぁ、はぁ……」
激しい運動なんかしたことがなかった。男児に生まれたら、多少の武芸は身につけろと言われただろう。でも女の子は淑やかさが求められる。穏やかな教師に指導されたマナーや作法は、森の中で逃げ回るのに何の役にも立たなかった。
みんな死んだ。けれどわたしは死にたくない。死ぬのが怖い。嫌だ。嫌だ。
ここはどこだろう。森の中は風景が変わらない。ずっと逃げていたけれど、どこまで逃げたかわからない。
既に山道を外れてしまって、道のない場所を走っている。
どこに行けばいいのか。どこに向かっているのかすら、彼女はわからなかった。
確実なのは、死が確実に迫っていること。南の帝国の兵士の形をした死だ。
こんな山道でも、鎧を着て平然と走る男たち。木々の中でも剣や槍を振り回して、彼女を守ろうとした伴の者を次々に殺していった兵士は、最後に残った彼女をも手にかけようとしている。
足音が聞こえる。声も聞こえる。奴らは決して逃がそうとしない。
「いたか?」
「いや。でもこっちに向かっているはずだ」
「見ろ。足跡がある。最近つけられたものだ」
「追え。絶対に逃がすな。この際生死は問わない。首だけでも持って帰ればいい」
「はっ!」
見つかった。まずいまずいまずい。
走り回って動けなくなった彼女は木の幹に背中を預けて座る。足がもう動かない。立つことすらできない。捕まったら殺されるのに!
足音が近づいてくる。つま先まで鉄の鎧で固められた兵士の固い足跡。それがいくつも迫る。
口を塞いで荒い息の音を止めるけど、それが無意味なこともわかっていた。足跡はここまで続いている、今すぐ動かないと捕まる。
なのに動けなかった。
足音が止まり、彼女の上に影がさす。大柄な兵士がこちらを見下ろしていた。
「いたぞ! 姫だ! こっちだ!」
帝国の鎧を来た彼は仲間に呼びかけた。次にこちらに手を伸ばす。
彼女は無理やり足を動かし、その手は避けた。体が地面の上に崩れ落ちる。
捕まるのが一瞬遅くなるだけだ。
「逃げるな。こっちに来い」
「いやっ! 誰か! 誰か助けて! お願い! 死にたくない!」
「諦めろ。お前の国は負けたんだ。お姫様なら責任取らなきゃな」
「いやぁ!」
はいずってでも逃げようとしたが、襟首を掴まれてしまう。そのまま持ち上げられて、足が地面から離れた、瞬間。
彼女を掴んでいた兵士の手首に矢が刺さった。
「なんだかよくわからないけど! 英雄の出番ね!」
黒い馬に乗った少女が接近した。
英雄。彼女は確かにそう言った。
――――
カトレアたち村の人々には、お世話になったお礼を言った。返事はしてくれたものの、さっさと出ていけと言わんばかりだった。
「この道をまっすぐ行けば町に出る。ギルドで俺の名前を出せば、みんな親切にしてくれるだろう。いい宿や飯屋を紹介してくれるし、この国の地理も教えてくれる。首都までの道もな」
「うん。ありがとう」
「お互い様だ。俺も公爵様の客人になれるわけだから。元気でな」
「ジェスターも元気で。首都で会おう」
「ああ。パタパタ、行くぞ」
ジェスターと一時の別れの挨拶をする。パタパタも、もふもふと別れを惜しんでいるようだ。頭を擦り付け会っている。
双方とも、相手が強い馬だとわかっているから、悲しんではいない様子。いつかまた会えると確信しているらしい。
やがてパタパタはジェスターを乗せて舞い上がる。西にまっすぐ向かった。
「ペガサスってやっぱり早いわねー。公爵領まですぐに着きそう」
「一日では着かないだろうから、途中でいくつか町を経由するけどね」
「そのたびに、町の人に驚かれるんだろうな」
「魔物ではないれっきとした動物だし、不審者じゃないからいいでしょ」
「ヨナ様。わたしたちも行きましょう。首都まで!」
「うん」
暖かい季節になって降雪も収まったとはいえ、ずっと降り続いていた雪は山道に積もっている。
解けてゆるくなったそれは歩きにくく、ただでさえ大変な山道の歩行に苦労することとなった。ペガサスで飛べるジェスターが羨ましい。
それでも夜までに町に着くことが出来た。ジェスターの拠点にしている町だ。
ジェスターはこの町でも名の知れた狩人らしい。ギルドで名前を出せば、みんな知っていた。
しばらく町に姿を見せなかったこと自体は、近隣の村で冬を越してきたのだろうと誰もが疑問に思っていなかった。実際、他の村で越冬することになった狩人も続々と町に戻ってきて、久々の再会を喜び合う様子があちこちで見られた。




