7-33.魔物がふたり
さっきの狼人間ではない。普通の狼が木々の間から姿を現し、こちらを睨んでいた。野生の狼とは言いたくないな。明らかに意思を持って見つめている。
襲いかかるでもなく、様子を見ているだけだ。
「狼人間の指示だろうね」
「本当にいるのね、狼人間なんて」
「僕も遠目に見ただけ。でも、確かにそんな姿だった」
「魔物なんでしょうね」
後から来たから、その姿を見ていないゾーラは、半信半疑といった様子。
歩いていれば、雪に埋まった枝が落ちているのをいくつか見つけた。今夜はたぶん、洞窟で泊まることになるだろう。焚き火のために拾っていく。
雪で歩きにくいのもあって、普段よりも進みが遅い。狼と睨み合い警戒しながらなのもある。それでも、やがて森を抜けて、雪がなければ岩肌が露出してるらしい洞窟地帯へ着いた。
「あれが、前に泊まった洞窟だ」
「え。そうだっけ。隣のあれじゃない?」
「あれは小さいだろ。あれだ」
「へえー。全然覚えてないわ! キアすごいわね!」
「一度見たらわかるだろ」
わからないと思うよ。洞窟なんてどれも同じに見える。
でも、キアには違いがあるのだろうし、他の洞窟にも特徴があるのだろう。
引きずられている熊を見る。こいつの足跡は、洞窟地帯の奥の方へ消えていく。
同じに見える洞窟の特定のひとつに、何かがある。
――――
村から出た不用心な男たちに狼をけしかける作戦はうまくいった。半数を殺して、残りも怪我を負わせてすぐに殺せるはずだった。
なのに奴らが来た。ペガサスだったか。空飛ぶ馬で危機をいち早く察したか。結局、こちらも多くの狼を失い、損害の方が大きい。
人狼は先程の戦況を思い返して歯噛みした。
それだけでは足りず、奴らに姿を見られてしまった。様子を見に近づきすぎたか。あろうことか追いかけてきた。
まあ、それは問題ではない。足はこちらの方が早いし、森はこっちのテリトリーだ。毛皮を持たぬ人間は雪山で長く活動できない。村から離れれば、奴らの体力は落ちていく一方だ。こちらに攻め入るなら勝機はある。
だが、不確定要素もあった。奴らの主目的はどうやら、こちらでは無いらしいこと。
もちろん、こちらに攻撃が可能ならするだろう。しかし、戦闘の最中にフラフラと寄ってきた熊を仕留めて、その足跡を辿るように洞窟に向かっている。この洞窟にある何かを探しているらしい。
なんなのか、人狼自身も気がかりではあった。ここには何かがいる。臭いがした。人間の臭いではなく、魔物の臭いだった。
それから、微かな血の臭い。狼だからわかるほどの弱い臭いだ。他の獣たちも、自覚が無いままに嗅ぎ分けているのだろうな。
数頭の狼が、その臭いに誘われるようにフラフラと行ってしまうのを、なんとか止めた。
臭いは洞窟地帯の奥の方に続いている。あの人間たちの目的もそれだろう。人の鼻では、血の臭いなどわからないだろうに。滑稽だ。
だが、人狼には捨ておけないことだった。
血を嗅いだ獣が放心したようにフラフラと移動する現象。人狼には心当たりがあった。こんなことが出来る血の持ち主はひとりしかいない。特殊体質の、あいつだけだ。
ここ十年姿を見せていなかったと思ったら、まだ生きていたのか。
「行くぞ」
十数体の狼を引き連れて、人狼は洞窟地帯の奥へと向かっていった。
臭いもあるし、熊が出ていった足跡もある。目的の洞窟にはすぐに辿り着いた。
中を見る。暗いな。
「いるのだろう。ブブルカ。俺だ。ロロイスだ」
人狼、ロロイスが声をかければ、息を呑む音が聞こえた。名前を呼ばれたから驚いたのか。だが出てくる気配はない。
「やり合おうってわけじゃない。昔の知り合いを見つけたら声をかけるものだろう?」
「ああ。そういうものだ。だが、お前は」
「そうだな。俺はお前の腕を使い物にならなくした。喧嘩でな」
洞窟の奥から魔物が出てきた。人間に近い姿。ただし肌は青白く、額から角が一本伸びている。
さらに彼、ブブルカの右腕は、肘から少し先が消えていた。
布を包帯代わりにしているのか、そこから血が滲んでいた。
傷を負ってから十年が経つ。普通なら塞がっているはずだが。
「傷つけ続けて、血を流し続けているのか。獣を引き寄せるために」
「そうだ。動物どもは俺の血に引き寄せられる。お前の力と同じだ」
「俺は狼と会話して従わせるだけだ。お前とは違う」
ロロイスの言葉を聞いて、ブブルカはくっくと笑う。先端が無い腕がぷらぷらと揺れた。
「その通りだ。俺は獣を大人しくさせるか、興奮させるだけ。お前みたいに操れはしない。だから負けて、こんな所まで逃げてきたというわけだ」
「別に追い出したつもりはないのだが?」
「男と男の真剣勝負だ。決着がついて、次の日からまた仲良しとはいくまい?」
「俺としては、ただの喧嘩のつもりだったのだが」
この森に、強力で人語を解せる魔物がふたりいた。狼使いのロロイスと、獣を引き寄せる血を持つブブルカ。
双方とも森の支配者を名乗るわけではないが、相手より弱いと思われるのは癪だった。だから戦って、ロロイスが勝った。ブブルカは姿を消したと思ったら、洞窟暮らしをしていたわけだ。
「もちろん、俺はお前より強くなるのを諦めたわけじゃない」
「その腕でか?」
「腕はもういい。大事なのは能力だ。十年前、逃げていた時に気づいたんだ。俺は、人の血を飲むと能力が強化される。しかも、効果はずっと続く。飲めば飲むほど、強くなり続ける。だから時間をかけて、人を食い続けてきた」
「人を? 山に入った狩人を襲ったのか?」
「それもいいな。初めて人を食ったのは、ロロイスの言う通り狩人だ。だが俺は美食家だからな。男の肉は筋張っていてまずいし、血も苦い。若ければマシだが。食うなら女子供に限る」
「だが、女は森に入らない。潜伏しているお前の所に来ない」
ブブルカはまた笑った。
「簡単だ。この近くの村と契約をしたんだ。毎年生贄を出せと。女子供を多めにしろ、とな」




