7-21.ペガサス
すると不意に動き出した。
「わっ!? もふもふ!? 止まって!」
アンリを乗せたまま走る。指示を聞いていない。
なお悪いことに、進んでいる方向は村とは反対側。森の奥へ行っている。
「おい! 待て! 戻れなくなるぞ!」
「そうよもふもふ! こっちに何があるの!?」
追いかけるキアとジェスター。もふもふには何かが見えているようで、足取りに迷いはない。
しばらく森の中を歩いていると、気づいた。血の臭いがする。それはどんどん濃くなっていった。
怪我人なら、こんな強い臭いはしない。何かが大量出血している。
「ジェスター」
「ああ。わかっている」
彼も気づいているようで、背負っている弓を手にした。
やがて、もふもふは止まった。木の陰に身を隠して、じっと様子を伺っている。アンリもそれを見たのか、こちらに手を向けて一旦止まれの合図をした。
息を潜めて、音を立てないようにする。そしてアンリと頷き合い、ゆっくり接近した。
「熊よ。三頭いる。ジェスターの狙っているのとは違うようだけど」
「ああ。白くはないな」
森の中に少しだけ開けた場所があった。そこに熊が集まって、何かを食べていた。食べられている物が、血の臭いの正体か。
ただし、何なのかは一瞬わからなかった。
熊の周りに白い羽が散乱している。そして何かの死体も複数あった。
どれも、雪と見紛うほどに白い馬の死体だ。生きていれば美しいと思えただろうに、傷を受けて体を捻じ曲げられ、血まみれになって目から生気を失った姿は、無残としか言いようがない。熊にムシャムシャと食べられていて、遺体の損壊はさらに激しくなっている。
「野生の馬の群れか?」
「馬って野生でいるものなの?」
「そりゃいるだろ。野生のを、人間が飼いならして家畜にしたんだから。人がいない所を探せば野生のはいる」
そんな群れが不幸にも熊に襲われて全滅した。自然界ではよくあることだろう。
わからないことが複数あるけれど。
「あの馬、翼が生えてない?」
「生えてる。飛び散った羽も、馬のものなのか?」
「あれはペガサスだ」
ジェスターが静かに言う。
「翼を持ち、飛べる馬。珍しい、見ること自体稀な生き物だ。ここよりさらに北部の一部地域では人の手で飼育されているらしいが……」
「え。あれ、そういう生き物なの?」
「魔物とかじゃなくて?」
「飼い慣らせば人を乗せて飛べるようになる、らしい。だから魔物じゃない。とはいえ俺も初めて見たが」
ジェスターも、目の前の光景が信じられない様子。珍しい動物に遭遇したことと、それが既に死んでいる悲しみが見えた。
空を飛ぶ馬か。もふもふにとってどれだけ同族意識を刺激されるものかわからないけど、気になる存在だったのだろう。
人間より敏感な嗅覚で血の臭いを嗅ぎ取って、来た。
おそらくペガサスがやられたのは、ついさっきではない。流れる血の色から、なんとなくわかる。たぶん昨夜なのだろう。寝る前にもふもふの様子がおかしくなったのも、ペガサスの悲鳴を聞いたとか。
わからないことのもう一つが、それだ。
あの熊がペガサスを殺したのか? 昨夜殺してその場で夜を明かして、今は優雅に朝飯ってわけか?
違う気がする。
「あれを見ろ」
ジェスターが唸るような低い声と共に指さしたのは、一本の木。
幹にベッタリと血がついていた。
血飛沫なんかじゃない。殺した相手の体を掴んで押し付けなければつかない量。それが、複数の幹にあった。
「あんたの仇の仕業か?」
「ああ。昨夜のうちに殺して遊んだのだろう。あの熊は、後から死体を見つけて食料にちょうどいいと考えただけだ」
仇は間違いなくこの森にいる。確信を持ったジェスターは強く弓を握りしめた。
一方で冷静な考えも持っていて。
「どうする? 手掛かりを探すか?」
「……いいや。昨夜の出来事なら、奴は既に離れているだろう。雪も強くなってきた。村に戻ろう。奴の行動範囲がわかっただけでも成果だ。村で地図を作って、奴の動きを絞り込んで、春が来てから殺す」
焦ってはいけない。山に生きる狩人として、やるべきことは理解していた。
白い獣の痕跡を得るには、雪が舞う中で熊を三頭倒さないといけない。そんな危険は冒せられない。
熊もこちらに気づいていない。食事も一段落したようだけど、別の方に目が向いていた。今のうちに立ち去ろう。
そう考えたのだけど。
「うわっ!? もふもふ!? どうしたの落ち着いて!?」
アンリの声。それにもふもふも嘶いて、木の陰から姿を現した。当然、熊も気づいて睨んでくる。
「おいおい。どうした」
「何があった? あの馬、いつもこうなのか?」
「普段は違う! なあ、どうするんだ?」
「放っておくわけにはいくまい。俺たちは隠れた場所から熊を攻撃して、体力を削っていく」
「わかった! アンリ! もふもふで熊たちを撹乱しろ!」
「ええ! もふもふ走って!」
もふもふの意図はわからない。けれどアンリの言うことは聞いてくれて、熊の一頭に接近しながらギリギリで衝突を回避。すれ違いながら、別の一頭が追うのから逃げる。腹いっぱいになり、体が重い熊に追いつかれるもふもふではない。




