7-17.ジェスターの恋人
目の前で足跡に雪が落ちていくのを見て、彼は悟ったのだろう。追跡しても見失うと。
「俺としたことが、錯乱してしまった。とりあえず野宿の準備をしよう」
「今から帰るのは無理か?」
「無理だ。ついてきてくれ。寝泊まりに適した洞窟がある。道中、落ちている枝を拾い集めてくれ。焚き火にする」
「枝かー。ヨナがいれば楽なんだけどな」
「まあまあ。いいじゃない。こういうのも楽しいわ。ヨナが自分の上着くれたんだけど、着る?」
「サイズが合わないだろ。アンリが着ろ。重ね着して温まったら、アタシとくっついてくれ」
「ええ! わかったわ!」
「楽しそうで羨ましいな……」
キア自身は状況に辟易としながら、それでも枝を拾い集める。
多少湿気っていても問題ないとのことだ。道中、雪の中で呑気に佇んでいた兎がいたから、ジェスターはそれを射抜いた。
今夜の食事が見つかった。
山中に、確かに洞窟があった。ぽっかりと口を開けているそれは十分な広さがある。少し向こうにも、似たような洞窟の入口が複数見えた。
この周囲は、雪がなければ岩肌が露出しているのだろうな。木々はあまり生えていない。
「狩人仲間の間では有名な場所だ」
「有名ってことは、狩人がよく野宿するのか?」
「獲物を仕留めるのに一日で終わらない事はよくある。日帰りできないから依頼された狩りは出来ないなんて、依頼主に言えないだろう?」
「それはそうだ」
「狩人たちは野宿できる場所をいくつも知っている。こういう洞窟や、大木のうろ、岩場の陰なんかだ」
「そういうのって、経験で覚えるものなの?」
「情報は仲間内で共有してるさ。山のこの地帯には、似たような洞窟が多くある。が、ここ以外はほとんど使われない。ここはルートを歩いていれば最初に出くわして、なおかつ大きいから頻繁に使われる。そのせいで人の臭いが染み付いていて、野生動物があまり近づかないのが利点だ」
「便利な場所なのね」
「人里に降りて、人間の味を覚えた獣は積極的に来るだろうから、用心は必要だけどな」
「あんたが追ってる亡霊なんかも?」
「だったらいいな。向こうから敵がやってくる」
洞窟に入る際も、ジェスターは中を気にしていた。人の臭いに釣られた亡霊が、既に中にいるのを期待しているみたいだ。
残念ながら洞窟内は無人だった。亡霊も、他の野生動物も、同じく野宿するはめになった人間もいない。天井に蝙蝠が住み着いていることもなかった。
集めた枝に火をつける。ランプ用の油もあるから問題なく着火した。火があれば、洞窟内はすぐに暖かくなる。
雪や風もしのげて、それなりに快適だった。
捕まえた兎も焼ける。それに。
「お! 蛇にトカゲだ!」
洞窟内は完全な無生物ではなかったらしい。火に驚いたトカゲを素早く捕まえる。
「キア。こういうのはムードが大事なんだから、あまり変なの食べないで。ヨナがくれた荷物に、食べ物も入ってたんだから。それ食べなさい」
「食べる食べる。でもトカゲも食べるからな」
木の枝に串刺しにして焼く。こういう状況なら、食料は多い方がいい。アンリが呆れようが気にしない。
「もふもふ、キアみたいに変なもの食べちゃ駄目よ。あ、果物が入ってる。これ食べなさい」
アンリが差し出した果実を、巨大な馬がムシャムシャ食べる。
もふもふも、野宿に嫌な顔はしていない。アンリと一緒に楽しんでるなら良かった。
そしてジェスターは、洞窟の入口を睨み続けていた。外敵が現れるのを警戒してると言うよりは。
「さっきの白い影が亡霊かは知らないけどさ。来ないと思うぜ」
声をかければ、ジェスターはゆっくり振り向いた。
彼自身、そんなことは理解してるって顔だ。
「そうだな。奴は狡猾だ。獣にあるまじき知性を持っている。起きてる人間の所には来ない」
「さっきも、見られてるってわかった瞬間に逃げたもんなー」
「強敵だよ」
「なあ。そろそろ教えてくれ。アタシはそんなに賢くはないけけど、なんとなくわかる。必死に追うってことは、仇なんだろ? 誰のだ? 親か? 兄弟か?」
「恋人だ。いや、お互いに想い合っていただけの関係か」
隠す程の話ではないのか、巻き込んでしまった贖罪か、素直に話し始めた。アンリももふもふに寄り添うようにして聞いている。
「町の近くにある、小さな村にいた娘だ。仕事で何度か訪れる間に仲良くなった。町の話をよくせがんできてな。いつか町に出たいと言っていたな。……遠回しな告白を繰り返していたのは、よくわかっていた」
「いいな。結婚して、一緒に町で暮らすつもりだったのか?」
「俺は狩人だから、町は拠点なだけで、山で暮らすことが多い。狩人以外の仕事を見つける決心をするまで、時間がかかってしまった」
だから、告白を受け入れるのが遅れた。
「これまでの生活を変えて、好きな人と共に生きる決心をした。町の家で、明日彼女に告白しようと考えていたその夜、彼女は死んだ。奴のせいだ」
ジェスターは身震いするように、一度言葉を切った。
「夜、奴は人里に降りて一軒の家を襲った。彼女の家だ。壁をバリバリと破壊して、容易に侵入した。奴はまず、彼女の両親を殺し、彼女にも襲いかかった。彼女は幼い妹を逃がすために立ちはだかり、殺された。俺の手の届かない場所で」
もし自分がその場にいれば守れた。少なくとも自分を犠牲にしてでも彼女を逃せたと、ジェスターは考えているのか。
「駆けつけた村の男たちが、彼女の死を見たそうだ。一撃で死んだ彼女の体に、奴は爪を突き立てて何度も刺し、次に彼女を掴んで壁に押し付けて血の模様を書いた。
さっきの家畜小屋の光景が思い出された。遊ぶために殺し、殺した相手を弄ぶ獣。
「人が集まると見るや、奴は逃げ出した。武器を持った男たちに真正面からぶつかり、蹴散らして数人を殺し、近くにあった家の外壁を破壊してから去っていった。そして俺は、何も知らずに花を携えて村に来て、彼女の死を知らされた。滑稽だよな。好きな女が死んだのに、何もできなかったなんて。せめて、彼女を殺した獣を俺の手で殺す。それくらいしか、俺にはできない」
これがジェスターの生きる理由。狩人を続ける理由だ。




