7-15.亡霊の影
でも、何に対しての威嚇だろう。
「こいつは魔物?」
「いいや。普通の狼だ。森の中で群れを作っていたのだろう」
「それが、急いで移動していた」
「逃げていたんだろうな。だが、何からだ?」
「決まってるじゃない。さっき家畜を襲った、亡霊よ。そいつに襲われたのよ」
アンリの推測もわかる。この先に、亡霊と推定される獣がいるなら、離れるためにこっちに来ることはあるだろう。
「この先に、奴が……」
狼の足跡を睨み、ジェスターが歩き出した。しかも急ぎ足で。
「待て! 狼の足跡で、元の足跡がわからなくなってるけど」
「狼のを追えばいい。狼の群れが襲われた箇所で、奴の痕跡を探す。そして今日こそ奴を殺す!」
「待て! 落ち着けよ! 空を見ろ! 雲が厚くなってる!」
「離せっ!」
ジェスターに追いついたキアが肩に手を置いたが、振り払われてしまう。確かに、また雪が降りそうな雰囲気だ。ジェスターには見えていないのか?
なおもずんずん進むジェスターと追いかけるキア。雪が混ざった森は足元が悪い。山中だから傾斜もあって、かなり歩き辛かった。
なのに慣れているジェスターはどんどん進んでいく。同じく険しい道は得意なキアだけがついて行けてる。僕たちとの距離は離れるばかりだ。
「ね、ねえ。わたしも追いかけるべきかしら。もふもふの足なら追いつけるわ。ジェスターも力ずくで止められるかも」
「そうだね……」
ひらひらと雪が舞い始めた。山の天気は変わりやすいって言うけど、また吹雪になりかねない。
このままだと遭難する。ジェスターを止めるべく声をかけようとして。
先行するふたりの足が止まったのを見た。
――――
「止まれ! おい!」
毛皮の上着で動きにくいと考えながらも、キアはジェスターを追いかけていた。
寒いな。ここは寒い。動けば体は温まるけど、上着の下はいつもの格好だ。隙間から冷気が入ってきて、やっぱり寒い。
みんなの近くにいたら、誰かとくっついて暖まれるのに。離れていってる。
だから、早くジェスターを連れ戻さないと。なのに、雪山を熟知している彼はどんどん先に行く。
雪が降り始めた。そしてどんどん激しくなっていく。
ふと、前方に何かが見えた。木々の隙間から姿を現したそれは、白い体毛の獣のようだった。
振り続ける雪が視界を遮って、それの輪郭はよくわからなかった。
こちらに黒い目を向けて、じっと見ていたは確かだった。
一瞬、息をするのを忘れる程に、それに見入ってしまった。よく見えないはずの獣が、それほどまでに美しく思えた。
それはすぐに、踵を返して逃げていく。
「亡霊っ! 貴様!」
「あ! おい! 待て!」
同じく見入ってしまったらしいジェスターは、逃げ出したそれを追いかける。
辿っていた狼の足跡からは道を外れて、なんの手がかりもない方向へ迷わず駆け出した。
「待てってば! 本当に迷うぞ! 戻ってこい! なあ!」
「殺す! 絶対に殺してやる!」
「駄目だあいつ話を聞かない!」
ヨナたちの方が気になるのだけど、ジェスターを放置もできない。キアは結局ついていくことになった。
雪はさらに降り続いていた。
――――
キアたちが何を見たのか、こちらからはわからない。けれど亡霊と叫んだのは聞こえた。
それよりも、彼らを止めないと。
「アンリ追いかけて!」
「ええ! 連れ戻せばいいのね!?」
「うん!」
「待て! 行かせてやれ! 俺たちは引き返すべきだ!」
見張りとして来ていた村人が声を上げた。
「すぐに吹雪になる! この足跡もすぐに消えて、帰り道がわからなくなるぞ! すぐに引き返そう!」
「でも、キアたちが」
「ジェスターさんは山に詳しい! 一晩山で過ごすのも、雪が止んでから戻るのも簡単だ! 彼女もジェスターさんに任せればいい! 頼む! 早く戻ろう!」
「でも……」
随分と必死だな。自分も村に戻れなくなるのを恐れているのか。
他にも理由があるかもしれないけれど、僕にはわからなかった。
「ヨナ、どうするの?」
「……アンリ、キアたちの所に行って、一緒に山で夜を過ごして欲しい。これも持っていって」
僕のバッグを渡す。それから着ている上着も。野宿するにしても荷物や防寒着は多い方がいい。馬の力があれば、楽になることもあるだろう。
「ええ! わたしも野宿するのね! 楽しそう!」
こんな指示をするのは心苦しかったけどアンリは楽しみな様子だ。英雄なら、こういう冒険も厭わないのか。
キアたちを追いかけたアンリともふもふを、村人は苦々しい顔で見つめていた。しかし早く帰りたい気持ちも本当なのか、行こうと促す。
僕はといえば、上着を渡したからか猛烈な寒さに襲われて。
「ゾーラ、温めて」
ティナがその役目を果たそうと、ジリジリ近づいていた。それをちらりと見ながらも、ゾーラを選んだ。
あ、ショックって感じの顔してる。ごめんね。
ニコニコ顔のゾーラが、コートの前を開く。その中に入って、後頭部の柔らかい感触に意識を向けないようにしながら、小声で話しかけた。
「ジェスターたちが走っていった方向だけど」
「ええ。獣が村にやってくる方向と一緒ね。どこから来るかはわからないから、正確に同じとは言い切れないけど」
なんとなく同じ方角ってだけ。偶然の一致かもしれない。
村人が必死に、そちらに行くのを止めたのも不自然だ。
「現象には雪山の亡霊が関係している?」
「なんとも言えないわ。でも、なにかあるのは確実ね」
調べないと。村は何かを隠している。
ヒソヒソ話しを気にするように振り返った村人に、僕たちは微笑みかけた。
「ふふっ。ヨナくん。お姉さんの胸、温かい?」
「冷たい」
「そう。だったらもっと密着しないと駄目ね」
馬鹿馬鹿しい会話に呆れた彼は、村への帰りを急いだ。




