4-32.教育は大変
「あー。疲れた。人に教えるのって苦手」
リーサが作ってくれた簡単な昼食を前に、ゾーラは手をつける気力もないくらいに疲れているようだった。
たった半日、人に物を教えるだけで、こうなるものなのか。
「集中力がないのよ。そもそも、人から教わるのが初めて。じっとして、人の言うことを聞いて手を動かすって習慣が身についていない。その上、ホイにとっては初めて見るものばかり。すぐに他のことに興味を示して、ウロウロし始める」
「落ち着きなかったよなー。追いかけ回すゾーラ、面白かったぜ」
「笑ってないで、あなたも手伝いなさいよ」
「あはは。次からは手伝うから。ありゃ、文字を学ぶだけで苦労するぜ」
ゾーラが疲れてるのは、そんな理由。
「なんだか、わたしから離れたいようにも見えたけど」
「あなたは初恋で失恋の相手だからよ。悲しい出来事を思い出すから、本能的に避けるのでしょう」
「何よ。勝手に人のこと好きになって、勝手に嫌いになるなんて。勝手すぎるわ」
「振り方がまずかったのよ」
僕も驚いたからね。
そんなホイは今、床に座っている。リーサが用意したパンを手を使わずに食べる姿は、人間というより狼に近かった。
彼は食事をしながら、時折リーサの方をじっと見つめている。情緒が子供。気を引くために加害をするかもしれない。
ティナの言うとおりだ。ゾーラはわかっているから、机に突っ伏しながらも目はホイに向いていた。何かあればすぐに動けるように。
「まあ。落ち着きが無いなら、それに沿った教え方をするしかないわよね。名札作戦を拡大させるわよ。屋敷のもの全部に名札をつける。目にするもの全てを、文字でどう表すのか頭に叩き込む」
疲れても教育を諦めないゾーラは学者の鑑だ。
「午後はキア。あなたが実技を教えなさい」
「おう。動き方を教えればいいんだよな。トカゲの捕まえ方とかも教えてやろうかな」
「やめなさい。二足歩行をして、両手の使い方を教えるの。ホイを野生児に戻そうとしないで」
「なんだよ。トカゲ捕まえて食べるのは野生なのか?」
「文明人はしないのよ。キアが教えている間、他のみんなで家中に名札をつけるから」
「あ。わたしとヨナ様は買い出しに行きます。夕飯はわたしが作りますので! リーサさん、この人数の食事を用意するのは大変でしょうから!」
「え。いいんですか?」
いきなり名前を出されたリーサは戸惑っていたけれど、周りはみんな反対してなさそうだ。ホイだけは、よくわかっていない様子だけれど。
「はい! リーサさんはやりたいことしててください! たとえばそう、デートとか!」
「デッ!? そ、そんなことする相手、いませんよ!?」
「ふふっ。そうですかー。でも、気になる男性はいるんですよね? お祭りの日までに親密さを高めておきましょう! さあさあ!」
「ちょっ! 待って! 着替えさせてください!」
ティナに背中を押されて外に出されかけたリーサは、慌てて自分の部屋へと逃げていく。
着替えるってことは、おしゃれしてジェゾに会いに行くつもりではあるんだな。応援してあげたい。
僕たちも素早く食事をし終わって洗い物も終わらせてから、それぞれの仕事に移った。
――――
家中の物に名札を貼る。既に午前中にヨナたちがだいぶ貼ってたけれど、全部じゃない。
窓の外を見たアンリは、もふもふにも名札が貼り付けてあったのを見て笑顔になった。
「あれ、馬って名前じゃなくていいのかしら。馬を全部もふもふだと認識しない?」
「いいのよ! もふもふはもふもふだから!」
「そう。飼い主が言うなら従うけど」
ゾーラの疑問に返事しながら、キッチンの道具ひとつひとつに名札を貼り付ける。すると。
「なによこれ……」
低く困惑した声が聞こえた。
ナーサだった。膨らんだお腹を抱えて、こっちまで降りてきたらしい。あまり賑やかなのは苦手そうだし、客人やホイがいる中で昼食を取りたくはなかったらしい。だから静かになった頃合いを見計らった。
そして、あらゆる物に紙が貼られた食堂を目の当たりにしたらしい。
「こんにちは。二階はまだ張り紙なかったかしら?」
「部屋のドアにふざけた張り紙はあったわ。他にも何枚かというか、さっきリーサが名札をつけろって言ってきた。もちろん断ったけどね」
「この家の新しい家族のためよ。変な光景かもしれないけど、我慢してちょうだい」
「ふんっ。あたしの家族じゃない」
すぐに家を出ていくつもりのナーサは不機嫌そうにテーブルの前に座った。そして何もしない。もちろん、テーブルには何も置かれていない。
ゾーラは溜息をついて、キッチンへと行く。リーサが姉のために作り置きしていた料理を持って運んだ。
「自分の家のことなんだから、客人にこんなことさせずに、自分で運びなさいな」
「あたしは城主の妻よ?」
「まだ妻ではないし、婚約者もまだ城主じゃない。そしてあたしたちは旅人だから、土地の権威をそこまで恐れないの」
「……」
「料理運んであげたんだから、お礼を言いなさいよね」
ナーサは返事をせずに黙って食べ始めるだけだった。




