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4.王城からの先制攻撃

よろしくお願いします。

「……………………?」

 

(色とりどりのレリーフ? が描かれた天井。湿っぽくなく、背中が痛くならない、フカフカな寝床。パン屋何個分? と言いたくなるくらい広い部屋。見たこともないほど高そうで、触れるのも怖い実用的ではない家具。他にも挙げればきりがないけど、もういいや。

 とにかく、ここはどこだ? 私の部屋じゃないことは、どんなに頭がおかしくても分かる。スタン商会だって、ここまでの部屋はない。だって、ここ、誰もが思い描く憧れの部屋を具現化した感じだ。そう、まさに物語のお姫様の部屋……)


「えっ? もしかして天国? 死んだの? 私!」

 勢いよく起き上がったアリーチェの背後から、押し殺したような低い声が聞こえた。

「生きているから、問題ない」


(…………見知らぬ部屋で、見知らぬ男の声。これ以上に怖いことは、あるだろうか?)


 背中に冷汗が伝い落ちる中、恐る恐る声のする方を振り返る。

「……おう、たいし、でんか?」

 多分というか、間違いなく王太子であるレイナード・アーバスノットが、冷え切った表情でアリーチェを見下ろしていた。

 夜に帰る太陽のような真っ赤な髪と瞳。これはアーバスノット国の男性王族に現れる色だ。その真っ赤で険しい瞳が、ギロリとアリーチェを睨む。鷲鼻に薄い唇と合わさって、とにかく厳つく恐ろしい印象が残る顔をしている。これだけ怖くて野性的なのに、何故か整っているから質が悪い。とにかく非常に近寄りがたい印象だ。


 目の前にいるのが王太子だと認識したアリーチェは、一瞬にして王女の誕生祭が頭に蘇った。恐怖に追い立てられるようにベッドから飛び出し、床にうずくまって頭を下げる。

「この度は私達家族が第一王女殿下の誕生祭に水を差してしまい、大変申し訳ございませんでした!」

 死への恐怖でガタガタと震えるアリーチェは腕を引っ張り上げられ、再度ベッドの上に放り投げられた。

 自分が置かれた状況がさっぱり分からないが、恐れ多くて王太子に聞くことはできない。パニック状態な上に王太子の威圧感に押し潰されたアリーチェは、視点が定まらず挙動不審だ。


 御伽噺そのものの美しい部屋に、王太子の冷気が満ちている。凍り付きそうなほどに寒いのに、ダラダラと身体を伝う冷汗が止まらない。このままではアリーチェは再び気を失いかねない。

 意識を手放しかけた瞬間、王太子の低い声が耳に届いた。

「お前と話がしたくて、待っていたのだ。ベッドに座ったままで構わない」

「えっ? ベッドに座ったままなんて、不敬すぎます。せめて椅子に座ります」

 慌ててベッドから降りようとするアリーチェを王太子は止め、頭から布団かける。

「寝間着姿を晒すものではない」

 王太子にそう言われ、アリーチェは自分が着ている水色の服を見る。ツヤツヤな光沢のあるシルクのワンピースだ。こんなにも高級な服を着たことがない。


(寝間着? 寝間着なの? これ……。これが寝間着で人前に晒しちゃいけないなら、今までの私の服は何? 寝間着以下は確定よね……)


 王太子はアリーチェの動揺などお構いなしで、さっさと自分の喋り始める。

「お前が家族と言っているパン屋の夫婦は、自分の娘と王女を入れ替えた犯罪者だ」

 アリーチェに胸に鈍い衝撃がはしる。王太子の言葉が、アリーチェの胸を刺し貫いたからだ。本当に胸が痛い気がして、アリーチェは気が付かない内に胸を押えていた。


 確かに、王太子から見ればそうなのだろう。

 だがアリーチェは、二人と共に十六年も生活してきたのだ。二人が自分をどう思っていようと、アリーチェは両親だと思って二人のために骨身を削って働いてきたのだ。愛されていないのは分かっていたが、アリーチェにとっては家族だった。それを犯罪者だと言われて、受け入れられるはずがない。

 正しいことを言っている王太子が、アリーチェから見れば悪人に見えしまう。


「二人から話を聞きたいです。お願いします、二人に会わせて下さい!」

 アリーチェは勇気を出して王太子の赤い瞳に願い出たが、あっさり「無理だ」と即答された。

「自分では気づいていないようだが、お前は王女だ。王女と罪人を会わせられるはずがない」


(王女? 誰が? 私?)


 アリーチェはキョトンとした顔で自分を指差す。

 長身のレイナードは高い位置から無言でうなずくと、「お前が王女だ」と感情のこもらない声で言った。

 王太子のその態度は、アリーチェを家族として受け入れていない。ただ単に王女という役割を、アリーチェに割り振ったに過ぎない。その言動にアリーチェの背筋が凍り付き、不快感が鳥肌を立てながらせり上がってくる。

「いやいや無理です。私、パン屋の娘ですよ? 王女のはずがない!」

「自分でもティアラが光るのを見ただろう? ティアラが光るのは『星の乙女』の証だ。お前が百年に一度王家に産まれる、星の女神の加護を受けた王女なのは間違いない」


 女神の加護を持つ王女は、王家の象徴として国民に希望と女神の奇跡を与える。その希望が王家の威信となり、奇跡が王家を崇め大きな力となる。

 王家が国を治めるために、なくてはならない存在が『星の乙女』だ。


 王太子は冷えきった目をアリーチェに向ける。

「王女が務まるように努力しろ。偽の王女が貶めた王家の威信を回復させるには、『星の乙女』が必要不可欠だ。幸いにもお前が起こした奇跡で、お前が『星の乙女』なのだということは、あの場所に集まった全員が認識している。これからは人前に立てるように、王女としての知識と振る舞いをしっかり身に付けてもらうからな」

 アリーチェの気持ちなんてお構いなしで、王太子は決定事項だと命令してくる。


(偽の王女が貶めたって言うけど、それを止められなかった時点で王太子だって王女と同じだ。それに私達平民は、指導力も統率力もない国王にはとっくに愛想を尽かしていた。王家の威信が形だけの張りぼてになったのは、王女だけではなく王族全員の責任だ!

 それなのにパン屋の娘を王女にして、王家の威信を回復させる? 頭がいかれているとしか思えない。だから威信が地に墜ちるんだよ! 

 私は学校だって行かせてもらえなかったんだよ? 最低限の知識さえない。その上、地味で冴えない。王族は見た目がものを言うから、王妃様には美人を選ぶって聞いたよ? ないない尽くしの私に、一体どうやって王女になれって言うの? 

 と、言えますか? あっちは王太子、こっちはパン屋の娘だよ? 私にある選択肢は一つ。うなずくのみ……)


 生まれてからずっと我慢と諦めの連続だったアリーチェは、不幸も不満も理不尽も全て自分の中に呑み込んできた。仕方がないことだとグッと堪えて、相手の要望に応えられるよう努力をする生き方しか知らない。

 そんな我慢ばかりのアリーチェでも、今回ばかりは不満が湧きあがるのは仕方がない。今までの我慢とはレベルが違いすぎる。平民が王女になれと言われたのだから……。


 アリーチェが王女ならば、今までいた王女はどこに? まさか、パン屋に?

「あの、第一王女殿下は?」

「それは、お前だろう?」

 言い終えると同時に返された。いい加減認識しろということなのだろう。

 アリーチェは悔しいのに、言い返すこともできず唇を噛むしかできない。

 王太子はため息をつくと、「偽の第一王女は城には、もういない。パン屋の夫婦も北に送られた」と面倒くさそうに言った。


 北と言えば、北部にある犯罪者を集めた強制労働所だ。


(王女と自分の娘を入れ替えるなんて、大罪に決まっている。だけど、仮にも娘であった身からすれば、重すぎると思える。だってこの人の妹より、あの人達の娘の方がましな気がする。第一王女に至っては、入れ替えられた被害者だ。それなのに、育った場所から追い出されるの?)


「第一王女殿下は十六年間、みなさんとこの城で暮らした家族ですよね? それなのに放り出すのですか? 血はつながっていなくても、十六年の絆があるのではないですか?」

 自分の事は呑み込めても、人の事となれば話は別だ。そんなアリーチェに、王太子は苦り切った顔で舌打ちをした。

「お前とパン屋の親子にどんな絆があったか知らないが、偽王女と俺達には繋がりが一切ない。あれは、『星の乙女』だからと我が儘が過ぎた。国家予算だと言っているのにあれが湯水のように使い、権力を笠に勝手に人事権まで発動させていた。『星の乙女』ではないと知っていたら、とっくに処刑台の上に送っていた。今回は過去の犯罪には目をつぶって送り出してやったんだから、感謝されているはずだ」


(そんな、酷い……。まるで王女様一人が全て悪いみたいな言い方。そういう風に育てたのも、止められなかったのも、家族である貴方達ではないの?)


「偽王女で『星の乙女』を甘やかすべきではないと、城の誰もが理解している。お前の我が儘が通ると思うな!」


(我が儘なんて言う気はないけど、なに? 偉い人って人に頼む態度を知らないの? こんな傲慢な態度の王太子に、王女様を非難する資格ある?)


「お前のやるべき事は『星の乙女』として、王家の威信を取り戻す事だ。そのためには王族として最低限のマナーを覚える必要がある。今日は休みをやるが、明日からは休む時間があると思うな! 今のままではみっともなくて、陛下と王妃にも会わせられる状態ではない」

 そう言い捨てると、王太子は出て行った。ブスブスと燻ぶり続ける、不満と怒りの火種をアリーチェに残して……。


(勝手にこんな所に連れて来て、謝りもしないんだ……。私とは、生きている次元が違いすぎる……。

 何で平民の私が王家の威信を取り戻すために努力しないといけないの? 貴方達の尻拭いをさせられるのよね? それなのに、そんな態度?

 マナーを覚えないと陛下と王妃には会えない? 今までの様子から感動の再会なんて期待してないけど、入れ替わっていた娘が帰ってきたのに、みっともないから会わないって……? 正直言って、一生会えなくても構わないから、家に帰して欲しい。

 ……あれ? 私って家があるんだっけ? 私は第一王女なんかじゃない。『星の乙女』でもない。でも、パン屋の娘でもないんだ……)


 ベッドにうずくまったアリーチェの目から、涙が溢れそうになる。咄嗟に天井を見上げたアリーチェは、ツンとする鼻を抑えた。

「泣いたって仕方がない! 泣いたって惨めになるだけだ! 泣いたって何も変わらない、私には泣いている暇なんてないはずだ!」

 何度も何度も自分にそう言い聞かせる。

 アリーチェは絶対に泣かないと決めている。


 両親から愛されず使用人のような扱いを受けるアリーチェに、世間は同情の目を向けてきた。アリーチェはその視線が嫌いだった。確かに両親は自分に興味がなかったが、その事を悲観するのはさっさとやめた。何を考えたって自分の毎日は変わらないのだから、アリーチェは叶わない事を悲しむより、自分のできる事を探して前を向いて歩いてきた。

 泣いて両親の気を引こうなんて愚かな考えは、とっくの昔に捨てた。泣いて周りに助けてもらいたいなんて、思った事もない。

 自分は可哀相じゃないのに、泣いたら自分が可哀相だと認めることになる。アリーチェが自分を可哀相だと認めてしまったら、暗く冷たい底なし沼にずぶずぶと飲み込まれて這い上がれない。だから、泣いて感傷に浸る時間があるなら、働くと小さい頃から決めている。


 掃除でもして気を紛らわせようとアリーチェはベッドから降り、「この格好は寝間着らしいから」と言ってクローゼットらしき場所に移動する。

「……何だ、これは!」

 そうも言いたくなる。今まで目にしたこともない豪華なドレスが、広いクローゼット一杯に吊るされている。こんな豪華なドレスは着たことがないのはもちろん、こんなに近くで見たこともない。とても一人では着られないのは分かるし、こんな働きにくい服は着たくもない。

 アリーチェは何か一人で着られるものがないかと、クローゼットに潜り込んで探すが見つからない。


 コンコンと部屋がノックされると、何と今度は第二王女が勝手に入ってきた……!


(どうなっているの、この部屋は? 王族が来店し放題なの?)


「イーリカ様、第一王女殿下は返事をされていませんでした。勝手に部屋に入るのは淑女としていかがなものかと……」

 侍女に窘められているが、第二王女は全く聞く気はないようだ。立ち止まることなく、クローゼットの前に立ち尽くすアリーチェの前まで進んできた。

 明け方の空に輝く朝日のような光を放つ金色の髪が、王女の動きに合わせて勢いよく左右に揺れている。王太子と同じ赤い瞳には、兄と同じ色の怒りが込められている。

 ただ違うのは、イーリカの唇は小さくサクランボのようにぽってりしていて、小柄で可愛らしいということだ。この怒りなら、受け止められるかもしれない。


「あら? 昨日まで平民で随分とみすぼらしい格好していたのに、もう洋服を漁っているの? 第一王女ってやっぱり卑しい人がなるものなのね!」


(この兄妹の赤い瞳は、私を蔑むためにあるらしい……。何で怒っているか分からないけど、この怒りも受け止められそうにないわ……)


「もしかして、『星の乙女』だからって調子に乗っているのではないかしら? だったら、教えといてあげるわ。貴方は使い捨ての王女よ! 昨日の奇跡のせいで「平民出身の『星の乙女だ』!」って騒ぎだした平民が、貴方に希望を持ってしまった。あの偽物のせいで王家の評価は散々だから、それを挽回するために置いてあげているだけよ! せいぜい私達に迷惑をかけずに、役目だけはしっかりと果たして下さいな」


(似たようなこと、さっき聞いたし……。確か私より一つ年下よね? 第一王女と違って優秀で淑女と評判だと聞いていたけど……。随分と高慢ちきよね? みんなが偽の王女ばかり悪く言うけど、私からしたら全員同じにしか見えない……)


「ちょっと、貴方、何か言ったらどうなの? わたくしのことを馬鹿にしているの?」

 そう言って、イーリカの怒りのトーンが上がる。初めて会った王女様に突然悪態を吐かれているのだ。平民のアリーチェが何か言えるわけがない。

「め、滅相もございません!」

 アリーチェが床に向けて頭を下げると、予想外の行動をされたイーリカは困り顔だ。

「えっ? 何よ、その態度。まるでわたくしが虐めているみたいじゃない!」

「えっ? 違うのですか? 王族の方々は、相手を罵るのがコミュニケーションなのですか?」

 もちろんアリーチェは嫌味で言ったのではない。王太子とイーリカの自分に対する態度への、率直な感想だ。言えと言われたから、言ったに過ぎない。

 しかし、それを聞いて真っ赤な目を見開いたイーリカの顔が、あっという間に羞恥と怒りで赤く染まる。

「わたくしを馬鹿にするなんて、随分と偉そうな態度ね。城に来て一日も経たない内から王女気取りなんて、この先が恐ろしいわ。あの偽物より酷い王女になるんじゃないかしら? そうなる前に、さっさと出て行きなさいよ!」


 イーリカの言葉にアリーチェは飛び付いた。

「私も出て行きたいです! 私には、雨漏りの心配もないこんな広い部屋は分不相応です。元々暮らしていた場所が、私には合っているのです。お願いです、パン屋の娘に戻してください。できないなら、せめてこのお城から出して下さい。お願いします!」

 アリーチェの必死のお願い虚しく、イーリカの表情は余計に強張った。

「さすがあの女の後釜ね……。わたくしを嵌めようとするなんて、恐ろしいわ! 貴方を城から出したわたくしが、お兄様から叱責されるのを見て楽しむつもりね。あの女のお陰で、それくらいお見通しなのよ!」

 イーリカはそう言い捨てると、ドアが壊れるほどの音を立てて出て行った。


 扉の揺れが収まるのをぼんやりと眺めていたら、イーリカの侍女が気まずそうに頭を下げているのが目の端に映った。

侍女が残っていた事にも頭を下げられた事にも驚いて、アリーチェは目を見開いてただ茫然と見ていた。

「申し訳ございません。本物の『星の乙女』である第一王女殿下が、偽物とは違うのは分かっています。イーリカ様も分かってはいるのですが、偽物に負わされた傷が深すぎて、あのような態度を……」


(さっきの第二王女の発言から、何かしでかしたんだろうなとは思ったけど……。第一王女殿下、貴方、何をしたのよ……?)


「頭を上げて下さい。困ります、私はパン屋の娘ですよ。第二王女殿下の侍女になるような身分の高い方に頭を下げられたら、どうしたら良いかなんて分かりません」

 アリーチェが困り切った声で言うと、侍女は頭を上げてくれた。それでも、申し訳なさそうにアリーチェを見ている。

「わたくしにできる事は限りがあります。城から出すなんて事は絶対にできませんが、何かあれば仰って下さい」

 イーリカの侍女の態度は、王城に来て初めて受けたまともな対応だった。侍女の柔らかい表情とその対応にホッとしたアリーチェは、早速侍女の言葉に頼ってしまう。

「あの、早速で申し訳ないのですが……。ここにある服は私には恐れ多すぎて、触れることもできません。もっと簡略な、一人で着れるようなワンピースとかないですか?」

 侍女は「王女殿下にそのような服は……」と渋い顔をしていたが、少し考えてから「後でお持ちします」と言ってくれた。




 そこから数時間は誰も来なかった。

 部屋から出ようかとは思ったが、着ている服が寝間着と言われれば、さすがに恥ずかしくて出られない。着替えようにも一人で着られる服は置いていないのだ。

 もう昼は過ぎているはずだと、空腹でグーと鳴るお腹が知らせてくれる。

 こんな状況でもお腹が減るのかと、アリーチェは自分に呆れてしまう。だが、第一王女の戴冠式は、昨日の昼過ぎからだった。丸一日何も食べていないのだから、お腹が減るのも仕方がない。


 生まれて初めて何もする事もなくぼんやりと過ごしていたアリーチェに、また扉を叩く音が聞こえた。

 今度は誰だろう? とビクビクしながらアリーチェは扉を開ける。

 ワゴンと袋を持ったそう歳の変わらない娘が、アリーチェを押しのけて入って来た。


(この部屋に訪れる人は、私に敵対心を持つ呪いにでもかかっているの?)


 不機嫌さを隠そうともしない娘は、ブスッとした顔のままアリーチェの前に立つ。

「殿下の侍女を務めさせていただきます。マリー・スコットとお申します。どうぞよろしくお願いします」

 言葉とは裏腹に不満げな顔を見せるマリーは、食事のワゴンを入り口付近に置いた。通常ならテーブルの上に、食事を用意するはずなのだが……。

 次は手に持った袋を「これをサンドラ様から預かりました」と言って、床に投げ捨てる。そして、アリーチェに断りもなく部屋から出て行った。

 上流階級の作法などさっぱり分からないアリーチェでも、マリーの態度が自分を見下し馬鹿にしているのは分かる。

「まぁ、私みたいな平民の侍女なんて、やりたくないわよね……」

 アリーチェとしても、自分の身の周りの世話なんてしてもらっても困る。これくらいで丁度いいのだ。


 袋を開けると紺色のワンピースが入っていた。クローゼットのドレス同様、今まで見たこともないような手触りの生地で作られた洋服だ。

「……着るのがもったいないけど……。まぁ、場所が場所だし、古着なんて置いてないよね」

 そう独り言を呟くと、ワンピースに袖を通す。サイズもピッタリだし、肌触りも最高だ。思わず姿見の前でクルリと回ってから、そんな真似をした自分に嫌悪感を覚える。


(ダメダメ、こんな生活一瞬なのだから。こんな浮世離れした生活に、浮かれては駄目なのよ!)


 ワゴンの中には、具のカスしか見当たらない冷めたスープと固いパンが入っていた。本来であれば、王族に準備されるようなものではない。王城で働く者の中でも最下層の使用人が食べるメニューの残りだ。

 だが、平民のアリーチェにしたら食べ慣れた食事だ。両親の分も毎食ご飯を作っていた手間を考えると、自分で作らず人に作ってもらえるだけでありがたい。

 こんなありがたいことはないので、せめてワゴンを厨房に返そうと外に出たが、紺色の服を着た護衛兵に止められた。


(これが噂の護衛兵ね。確かに紺色の軍服が似合う身体の大きい人だわ)


「これは私が片付けますので、第一王女殿下は部屋にお戻りください」


(今までは「働きすぎ」と言われてきた私が、部屋にこもっているなんて苦痛でしかない……)


「あの、片付けについて行っては駄目ですか? 私、パン屋なので、お城の厨房がどうなっているのか見たくて……」

 前髪が琥珀色の目にかかりそうな護衛兵はポカンと口を開けてアリーチェを見たが、慌てて頭を横に振る。

「それは、駄目です! 部屋から出さないよう、王太子殿下からお達しがありましたから」

「そうですか……。我が儘を言って申し訳ありませんでした。お仕事、頑張ってください」

 王太子から指示が出ているのなら仕方がない。我が儘が通ると思うなと言われているし、まじめに仕事をしている護衛兵を巻き込む訳にはいかない。


 その日の夜もマリーが昼と同じ食事を持ってきたが、アリーチェはありがたく完食した。残念ながら夜もワゴンを厨房に持っていくことはできなかったが……。


 そして今は真っ白な浴槽の前で、頭を悩ませている。カビや水垢一つないこの美しい浴槽を、自分が使っていいのか分からないのだ。下手に誰かに「使っていいか?」質問して、その人の手を煩わせたくもない。

 悩んだ末の結論は、最低限のお湯をためてお風呂に入り、いつも以上に必死で掃除をする事だった。水滴一つ残さずに磨き上げれば、怒られる事も無いだろう。


読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、よろしくお願いします。

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