5.たった一人の味方
本日二話目の投稿です、
よろしくお願いします。
次の朝が来てからが地獄の始まりだった。
昨夜と同じ内容の朝食を終えた後に扉がノックされると、いかにも厳しそうな三十代後半位の姿勢の良い女性が立っていた。
女性はアリーチェに冷たい視線を向け、上から下まで見回すと、右眉をピクリと引きつらせた。
「シルヴィア・コットルと申します。本日より、殿下のマナー全般と教養を担当いたします」
チョコレート色の髪を後ろでひっつめて、襟の詰まったドレスを着ている。いかにも教師といった容貌と雰囲気だ。細く冷たい目は緑色で、値踏みするようにアリーチェを見つめている。
長い鼻の下にある、薄い唇が開くと「減点です!」と冷たく言い放った。
「貴方はもうパン屋の娘ではないのです。第一王女殿下なのですよ! そのような高貴な方が自分で扉を開けてはなりません! 何のための侍女ですか? 勝手なことを言って追い出すなんて許されません!」
「はい。申し訳ございません」
シルヴィアが放つ教師の威厳に押されて、アリーチェは思わず膝に額がくっつくほど頭を下げてしまった。
「減点です!」
爪が食い込むほどの力で両肩を持たれ、身体を起こされる。
「貴方は第一王女殿下です。自分より身分の低い者に頭など下げてはなりません!」
(いえ、私はパン屋の娘だし、王女ではありません。と言える雰囲気じゃない……)
「貴方は第一王女殿下です。常にドレスをまとう身分の方です。我が儘を言っていないで、ちゃんとドレスを着て下さい。侍女にどれだけ迷惑をかければ気が済むのですか?」
「申し訳……、いや、あの、ドレスなんて着たことないですし……。頑張って覚えますので、まず着方を教えてもらえますか?」
シルヴィアは難しい顔でアリーチェを見ている。
(何か変なことを言ったのだろうか?)
シルヴィアの手を借りて、生まれて初めてドレスを着せられたアリーチェは息も絶え絶えだ。つける前は憧れさえも抱いてしまったコルセットが、今まさにアリーチェの命を奪おうとしている。
「く、苦しいです……。こんなに我慢してまで着る必要があるのでしょうか? 身体の可動域が狭くて、これではお風呂を洗うこともできません」
「はぁ? メイドをしかりつけておいて、殿下がお風呂を掃除したのですか?」
(メイドを叱りつける? 侍女を追い出すとか、良く分からないこと言われるけど、これが城のルールなの? とりあえず聞かれたことに応えないと、また減点されちゃうわ)
「もちろんです! 使わせて頂いているんですから、後で怒られないようにきちんと掃除しておかないと。あと、下着の洗濯はできるからいいのですが、シーツなんかはここでは洗濯できないので、後で洗濯場を教えて頂けますか? 部屋の掃除もしたいので、掃除用具も貸していただきたいのです」
「……分かりました」
そう言ったシルヴィアのこめかみがピクピクと引きつり、「自分でメイドを追い返しておいて!」と忌々し気に言ったが、アリーチェの耳には届かなかった。
昼になり、マリーが食事を持ってきた。もちろんシルヴィアがいるので、テーブルに食事を並べてくれる。その置かれた料理に、アリーチェは目を見張る。
「どうしたのですか? また食事に不満でもおありですか?」
そう言ったシルヴィアのこめかみが、再び引きつる。
「いや、不満も何も、こんなに色とりどりで美しい食事を見たのは初めてで……。貴族の方って、いつもこんなに豪華な食事をしているのですか?」
「まぁ、王族は特別ですけど、貴族もこれに近いと思いますよ」
「毎食?」
「? 朝、昼、晩と多少は違いますが……」
「毎食これじゃ、贅沢過ぎじゃないですか? 平民は特別な日だって、こんな料理を食べられないですよ……」
「始めて見たように仰りますけど、昨日も見ましたよね?」
「昨日ですか? 昨日はスープとパンでしたよ? 人に食事を作ってもらうなんて、何もできない子供の頃以来でしたのでありがたかったです」
シルヴィアのこめかみの痙攣が止まらない……。
昼食は、美しく美味しい料理を堪能とはいかなかった。したこともないテーブルマナーの練習を、ひたすらやらされたからだ。
その後は歴史や算術や語学の授業だ。シルヴィアは午前中と比べると、言葉が大分辛辣で態度も尊大になっていた。
「王族なのですから、近隣諸国の言葉を最低でも三カ国語は覚えないといけないのに……。殿下ときたら、読み書きの段階ですか……はぁ」
「自国の歴史も分からずに、今まで生活してきたのですか? 呆れて果てます」
何をやっても、嫌味を言われ呆れられてしまう。
昼食は目玉が飛び出るほど豪華だが、夕食は冷めたスープと固いパンだった。正直、こういう方が食べ慣れていてありがたい。厨房の人はすごい気が利く人なんだなと、アリーチェは見当違いに感謝をしていた。
城に来て二週間、日々同じ生活をアリーチェは必死にこなした。
以前と違って肉体労働が少ない分、頭を使わないといけない。平民時代と真逆な生活と、周りから送られる冷たい視線と態度に、アリーチェのストレスも限界を迎えていた。
朝起きて、固いパンと冷たいスープを飲む(前日の夕食と同じ)。部屋の掃除をする。洗濯をする。シルヴィアに手伝ってもらいながらドレスを着る(日々コルセットを締める力が強く荒くなっている)。マナーの授業。昼食兼マナーの授業(食事が豪華だけど味は分からない)。教養の授業と紅茶を飲む練習と、淹れる作法を習う(お菓子は美しいけど味は分からない)。夕食(固いパンとスープ)。入浴・掃除。睡眠。
毎日これの繰り返しだ。もちろんその間に、マリーを始めとした使用人達からの嫌味や嫌がらせや、王太子やイーリカからの罵声にも耐えなければいけない。
唯一ホッと息が着けるのが、三日に一度のリネンの洗濯だ。洗濯場は外にあるので、その時だけ部屋から出られる。
護衛兵は困り果てていたけど、リネン類を洗わない訳にはいかないので、ついてきてもらっている。
今日は洗濯の日だ。アリーチェかシーツを抱えて出てくると、護衛兵は無言で後ろから付いてきてくれる。最初はシーツを持つと言われたが、さすがに自分が寝たシーツを他人に持たせるのは抵抗があるので、丁重にお断りをした。今日の黒髪の護衛兵にも、以前断ったのでしつこくは言ってこない。
護衛兵は時間で交代していて、アリーチェの認識だと六人が代わる代わるついてくれている。みんな屈強な人達ばかりで、何を食べたらこんなに大きくなれるのだろうと感心するばかりだ。
ありがたい事に、護衛兵にはアリーチェを見下す視線を送ってくる者はいない。そのおかげ洗濯の時間が余計に楽しみに感じられ、唯一の息抜きの時間になっている。
洗濯場でたらいに水を張って朝早くから洗濯をしていると、初めて洗濯係の一団がやってきた。十人の集団が大量の洗濯物を持って現れ、アリーチェ同様にじゃぶじゃぶと洗濯を始める。
見れば朝から取り掛からないと終わらない大量の洗濯物だ。昨日はお茶会か何かがあったのだろうか? 王城に連れて来られたけど、勉強以外の情報は一切与えられないので分からない。
アリーチェが手伝うと声をかけるか悩んでいると、洗濯係の一人が声をかけてきた。
「あら? あんた新入りかい?」
と年配の女性に聞かれ、慌てたアリーチェは「はい、よろしくお願いします!」と答えてしまった。王城のお仕着せは紺色だ。アリーチェが着ている物とは生地の質が違うが、デザインは似ている。腕をまくってしゃがんで洗濯をしていれば勘違いされても仕方がない。
「あんた、それ、王族専用のシーツじゃないか」
(シーツに専用とかあるんだ。知らなかった。確かに肌触り最高だもんね)
「こんな時間に洗濯させられているなんて、新しい第一王女のシーツなんだろう?」
確かにその通りなので、アリーチェはうなずいてみせた。
「つい最近まで平民だったくせに、今じゃ生粋の王女様気取りで我が儘放題らしいね?」
「何をしてもケチをつけられるって、専属侍女が泣いているってさ」
「あぁ、マリー様だろう? 子爵令嬢なのに、平民王女に虐げられているんだよ」
「礼儀もマナーも知らないくせに、文句しか言わないんだってねぇ」
「平民が王女になると、我が儘になっちゃうのかな?」
「そうなのかもしれないねぇ。食事はもっと豪華にしろと文句ばかり言うくせに大量に残すって、厨房の下働きの子が言っていたよ」
「ドレスはオーダーメイドじゃないなら着ないと大騒ぎ。一日に何度も掃除をしろとメイドを呼びつける。とにかく使用人は心が休まる暇がないそうだよ……。あんたも大変だねぇ?」
そう同情的な視線を向けられた噂の当人は申し訳ない気持ちになり、洗濯係の仕事を手伝っていた……。
洗濯場に集まった人達が第一王女への悪口で盛り上がる中、さすがにいたたまれないアリーチェは一礼して干場に向かった。幸か不幸か第一王女がどれだけ嫌な奴か言い合いになっていて、誰もアリーチェには無関心だ。
白いシーツを手にしたアリーチェは、奥歯に力を入れ、顔は上に向ける。
(青い空が眩しい! 今日も洗濯物はよく乾くはず! 最高だ!)
そう自分に言い聞かせながらシーツの皺を伸ばしてロープにかけるも、アリーチェの心は全然晴れない。晴れる訳がない。
やってもいない知りもしない自分が、いつの間にか出来上がっている……。「何が起きているのか分からない!」 なんて思うほど、アリーチェは苦労知らずじゃない。
娘(偽者)にも労働にも興味のない元気な両親を抱えて、パン屋を一人で切り盛りしてきた。すぐに諍いを起こす両親と近所の人の間に入り、取り成してきた。カイルとの仲を勝手に誤解した女子達から、何度も嫌がらせも受けてきた。それなりに人生経験を積んでいるアリーチェは、真面目にやっていれば誰かが気づいてくれるばかりではないと知っている。
(そっか、あの侍女さんは好意的ではないと思っていたけど、話をでっち上げるほど私に悪意を持っていたんだ。他の使用人の人達も口裏を合わせているんだから、私に対して不満があるんだよね。マリーさん以外は、誰も見たこともないけど……。
好きで来た訳じゃないのに、何でこんな目にあわないといけないの? とは思う。
でも王城で働く人は貴族が多いらしいから、そんな高貴な人達が二週間前まで平民だった女の世話なんかしたくないよね。文句も言いたくなるのも分かる。分かるけど……)
「どうして言い返さなかったのですか?」
引き裂ける寸前までシーツを伸ばしているアリーチェに、紺の軍服を着た背の高い護衛兵が話しかけてきた。
少し癖のあるダークブロンドがフワフワと揺れ、少し長めの前髪が金色に近い琥珀色の瞳にかかりそうだ。クリッとした目が可愛らしい人だが、唇の薄さと鼻筋が通った高い鼻が顔全体を甘くし過ぎることなくバランスを取っている。
三日に一度の洗濯も、彼がどこかに頼んでくれたから可能になった。他にも色々と気にかけ声をかけてくれる一番親しみやすい護衛兵だ。
(いつもシーツを持つと言ってくれる人だ。あれ? でも、さっきまでは黒髪の人だったはず……)
「交代したのですか?」
「本当は部屋の前から私だったのですが、仕事が押しまして……。洗濯中に交代したのですが、あんな話の中で声をかけるのも憚られました……」
第一王女の悪口で盛り上がっている中で、当の第一王女に「交代しました」と言わないでくれてありがたい。あの状況の中で、アリーチェが第一王女だとバレたらお互いにいたたまれない。
「……お気遣いいただいて、ありがとうございます」
護衛兵は心配そうに眉を下げると「さっきの者達が言っていることが嘘だと、殿下を警護している私は知っています。今から行って、訂正しましょう!」と、どんどん語気が荒くなる。
確かに噂は嘘だ。むしろ逆だ。アリーチェが侍女を始めとした使用人達を虐げているのではなく、アリーチェが使用人達から蔑まれているのだ。
(だからって、それがどうした?)
「訂正したところで、どうにもなりません」
アリーチェの答えを聞いた護衛兵は、憮然とした表情をしている。アリーチェの言っている意味が、理解できないのだ。
「使用人の皆さんからすれば、面白いわけがありません。元パン屋の娘である平民が前の王女を追い出してその座を奪い、偉そうな顔をしてふんぞり返っているのですから」
「殿下はふんぞり返ってなどいません。こうして洗濯をし、掃除もし、毎日必死に勉強に取り組まれています。殿下は来たくもないのに城に連れてこられた被害者なのに、有りもしないことをでっち上げられています。その上、貶められるなんておかしいです!」
アリーチェを取り巻く環境に怒りを露わにした護衛兵の言葉に、沈んでいたアリーチェの心が少しずつ浮上していく。この二週間で、アリーチェのことを思ってくれたのも、アリーチェのために怒ってくれたのも、彼だけだ。
「人に気にかけてもらえるって、嬉しいですね。ありがとうございます。嘘だと知っている人がいるなら、それで十分です」
「どうしてです? 生まれてすぐ立場を入れ替えられて、罪人を親として養い、それを人前で暴かれて城に連れて来られた。理不尽にも急に王女になれと色々詰め込まれ、その挙句が悪女に仕立て上げられ誰も助けてくれないんですよ? 俺が嘘だと知っているだけでは、道理に合わない!」
「人から改めて聞くと、私は酷い人生を歩んできたみたいですね?」
アリーチェはそう言うと、苦笑いしてしまう。広げられた白いシーツが風に揺れて、青い空に向けてパタパタとはためいている。
「皆さん私の両親を悪く言いますが、私はそれなりに幸せでした。両親は私を大切にしてくれた訳ではないですが、最低限の衣食住を与えてくれたし暴力をふるうこともなかった。欲しいものは与えてくれなかったけど、私から何も奪わなかった」
護衛兵はアリーチェの言葉に納得できないのか、洗濯場を悔しそうに睨んでいる。
(困ったな……。放っておいたら、彼女達のところに乗り込んで行きそうだ)
「使用人の皆さんは、誰も悪くありません。彼女達を悪者にしないで下さい」
「偽りの酷い噂を広めている時点で、善人ではないのです」
琥珀色の瞳が冷たく光り、護衛兵も全く引く気がないのが分かる。
「貴方が言った通りで、悪いのは私をここに連れて来た人達です。欲しくもない身分を与え、私から日常を奪った。『星の乙女』という駒として扱って、人権を奪った。家族だと言って私をここに連れてきた人達は、礼儀もない者には会う気もないと言って、私が懸命に生きてきた十六年を踏み躙った。これ以上の悪人が、使用人の皆さんの中にいますか?」
声を荒げるでもなく平坦な声だったが、アリーチェの内に秘めた怒りは十分に感じられた。だからこそ護衛兵は驚いて黙り込んでしまった。
しかし、彼も分かっただろう。洗濯係やマリーを罰したところで、次なる首謀者と新しい噂が生まれるだけだ。
アリーチェという平民の王女を家族が土足で踏みつける限り、ずっと続く負のループなのだ。
(ちょっと言い過ぎた、よね……? 親しみやすい人だから、つい愚痴になってしまったし。私のために良かれと思って言ってくれたのに、完全に否定しちゃった。平民のくせに王女の真似事をしている、宙ぶらりんの私に優しく接してくれた唯一の人なのに……)
黙り込んだまま王城を睨んでいる護衛兵を見上げて、自分は大丈夫だと伝えたいのに上手く言えない。
「……あの、心配してくれたのに、生意気なことを言ってごめんなさい。何というか……豪華な食事より今までと変わらない食事の方が、テーブルマナーも気にしないで気楽に食べられます。自分の身の周りの世話は自分でできるので、誰かにして欲しいと思いません。今のままで、私には苦痛は一切ないんです」
護衛兵は変わらず、少し怒ったような顔をしている。アリーチェは、自分の為に怒ってくれた事にお礼を言っていないと気づいた。
「でも、護衛兵さんが私に味方してくれて、本当に嬉しかったです。ありがとうございます」
護衛兵はうつむいたまま、太陽の光を浴びて輝くダークブロンドの髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。屈強な兵士らしく背が高くがっしりとしているのに、そういう仕草をすると少年のようで可愛らしい。
ダークブロンドの護衛兵がたった一人の味方になってくれたのが嬉しくて、アリーチェは普段は言わない事を口にしてしまう。
「あの、また、私と話をしてくれますか?」
アリーチェの言葉に、護衛兵がパッと顔を上げる。
「もちろんです! 私みたいな者が殿下と話すなんて烏滸がましいですが、私は何があっても殿下の味方です!」
護衛兵の言葉にホッとしてアリーチェらしい穏やかな笑みがこぼれると、護衛兵の顔が少し赤くなっているように見える。意を決した護衛兵が名前を名乗ろうとするのを、アリーチは止めた。
「護衛兵さんの名前を聞いたら、私は呼び捨てで呼ばないといけないのです。私は護衛兵さんを呼び捨てにしたくありません。私が私でいられるように、我が儘を聞いてもらえませんか?」
平民であったアリーチェにとって、自分より年上の人間を呼び捨てするのは抵抗がある。
それにアリーチェにとって、彼は特別な存在になりつつある。呼び捨てなんかにして、彼との主従関係を思い知らされたくなかった。
驚きながらもうなずいてくれた護衛兵は、人懐っこい笑顔を見せてくれた。その時、琥珀色の瞳が金色に光ったように見えた。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、よろしくお願いします。




