30. 僕が始めたこと。
翠霞宮は地獄へと一変した。
力無く横たわる第六皇妃を見て、縫い止められたかのように綾艶はその場から動くことができなくなった。
すぐに医官を呼ぶよう女官に指示を出す兄
泣き叫ぶ幼い弟
2人の声を聞きながら頭が真っ白になった。
何故先程まで笑顔だった第六皇妃が倒れている?
何故可愛い弟がこんなにも泣き叫んでいる?
何故母上の入れた茶を飲んで…?
「は、母上…?」
掠れた声で
椅子に座ったままの母を見上げる。
「…っ?!」
母の表情を見て息が詰まった。
…何故母上は見たこともない
冷たい表情をしている?
それでは、まるで……。
…母上を笑顔に戻したくて、第六皇妃にお願いしたお茶会だったのに。
母の表情は笑顔どころか、全ての優しい感情を削ぎ落としたような…今までの母の面影もない表現をしている。
母上…貴方は誰?
…これは、貴方が…?
「ありがとう綾艶。“貴方がこの場を作って”くれて…おかげで決心がついたわ。」
「…っ!!」
…。
…ああ。
ああ、そうか。
“これ”は全て…
全て“僕が始めたこと”だったのか…。
錦艶が「母上っ!そのような言い方はっ!!」と弟を庇うように母に牙を剥くが、母の耳にも綾艶の耳にももう届かない。
綾艶が視線を下げると
雯艶がこちらを見上げていた。
涙をたくさん流して
顔を歪め
こちらを睨み上げている
…まるで仇を見るような目
可愛く甘えん坊ないつもの弟はそこにはいなかった。
ヒュッと喉がなる。
…ああ、僕は何て事をしてしまったんだ。
僕の浅はかな考えと行動で…
母は別人となり
第六皇妃は命を落とし
可愛い弟は兄に裏切られ…
母を殺され…
あぁ…
…ぁぁ、僕は
ぼくは
なんてことをっっっ
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…。
「その後…雯は感情が不安定になったことで力の制御ができなくなり…魔力を暴走させました。
雯が氷系統の魔法が得意だったことで、辺りは猛吹雪となり、息を吸えば肺が凍るような極寒へ。
錦兄上が止めようと声を掛けても、雯に声は届かず…勿論、人間が魔法使いに叶うはずもなくどうすることもできませんでした。
雯の首に付けられた制御装置は、無惨にもあの子の首を絞めていっているのに…僕達には何もできませんでした…。」
ふーん、
あいつの得意魔法は“氷系統”か。
今のあいつの雰囲気にはピッタリだな。
「で?その後どうなったんだ?」
「幸い、近くに鳳兄上といた斐兄上が雯の魔力を感じて駆けつけてくれました。
その場から動けずにいた僕と錦兄上を、鳳兄上が素早く避難させ守ってくれて。雯と同じ魔法使いである斐兄上が…自分も制御装置が働くことを気にせずに雯を止めに入ってくれました。」
成る程、運が良かったんだな。
斐艶がいなけりゃ雯艶が首枷に絞められて死ぬのを待つしかなかったし、それを待つにしてもその場にいた者達は凍え死んでただろうな。
確かなことは知らないが、パッと感じ取った雯艶の魔力はけっこう大きかった。あの首枷をしながらも魔力暴走させられるなら子供の時から相当魔力を持ってたはずだ。
異端者を島に幽閉してるこの国じゃ、そんな時人間だけですぐに対応する術はない。
…?
だが、今現在だと
斐艶の魔力は雯艶より劣る。
子供の頃はまだ違ったのか?
「斐艶の魔力で雯艶を止められたのか?」
俺の疑問に綾艶は困った顔をする。
「…僕には魔法や魔力についてはよくわかりませんが…斐兄上は得意の植物魔法?で被害が拡大しないよう雯と自分の周りを巨大な植物の根で覆い囲み、その中で雯を説得し止めてくれました。様子は僕達からでは見えませんでしたが…。
二人を覆っていた根が消えるのと同時に、吹雪も止みました。」
斐艶の得意魔法は植物系統か。
てか、巨大な根を出現させて自分達を覆い囲むとか…ずっと吹雪を出してる雯艶もそうだが、子供ながらに化け物かあの二人?
そんな大きい魔法を長時間使ってれば、その間ずっと制御装置から全身に激痛が与えられてるだろうし、首だって締め付けられてるだろうに。
普通は痛みと苦しさで動けなくなるはずなんだがな?魔法を使うにも枷をしてれば、攻撃性のない小さい魔法を使うのがやっとなはずだが…。
ま、おれは付けたことないから知らねぇけど。
「まー、話は分かった。
…結局何がお前の罪なんだよ?
お前はただ、“茶会を開いただけ”だろ?」
「……。」
綾艶は悲しげに笑う。
「それが罪なのです。
母の状態をよく確認もせず、
第六皇妃様の覚悟を察することもできず…
僕はただ…自分の気持ちだけで動いた。
…その結果が“これ”です。
あの時から
宮内の者や母達からの目は厳しくなり、兄弟で気楽に会うことすら難しく。
継承争いの色が濃さを増し、僕達の周りには重く冷ややかな空気が張り詰めるようになりました…。
厳しくなった宮廷で…
盾となる母を亡くした幼い雯が、どれほど辛い日々を乗り越えてきたのか…僕には想像もできません……。
あの子は…
一人孤独に…死に物狂いで生きていた。
僕は…
あの子に何もできなかった…。
…あの子を
地獄に突き落としたのは
…僕なんです…。」
…頑張って平静を装って言ってるのかも知れねぇが、無理してるのは見れば分かる。
人間はなぜこうも自分を押さえつけるのか。
泥人形の俺には一生理解ができそうにない。
「ハァ…。
確かに、きっかけを作ったのはお前なのかもな。
だが、遅かれ早かれそうなってた事だろ?
そんな事をいちいち自分の“罪”として背負ってちゃぁ身が持たねーぜ?」
って言ったところで、こいつは気にするんだろうがな。
「…フフ。やっぱり優しい…。」
フワリと表情を緩め、小さくふざけたことを言う。
…ったく。
「でも、やはり。
あの時僕が行動しなければ…
雯は四つという幼さで、母を失うことはなかったと思います…。
幼いあの子から、全てを奪ってしまった罪は…
しっかりと背負わなければいけないと思います。
…だから僕は、
いつかあの子に殺されても…
仕方のない事だと思っています…。」
そう言う綾艶は
とても優しい表情をしていた。
【補足】
この時の雯艶の魔力暴走の影響で
鳳艶、錦艶、斐艶、綾艶の身体には凍傷などの傷跡が今も残っています。




