ヒロインがルート変更?
午後の回廊は、春の光で満ちていた。
高い窓から差し込む日差しが石床に反射して、学園全体が少しだけ柔らかく見える。
アイナとヴィルは並んで歩きながら、どうでもいい話で笑っていた。
「だからさ、あれ絶対わざとだと思うんだよ」
「いやいや、あの教官は素であれだろ」
「それはそれで怖いんだけど!」
そんな他愛ない会話。
その横で、エルンストはいつも通り静かに歩いていた。
――その時だった。
曲がり角の向こうから、淡い桃色が視界に飛び込んできた。
「わっ」
短い声。
足がもつれ、体勢を崩したヒロイン。
反射的に伸びたのは、騎士として鍛え抜かれた腕だった。
エルンストが一歩踏み込み、強く引き寄せる。
ぎゅっ。
一瞬で距離が消える。
ヒロインの体は、エルンストの胸板にしっかりと受け止められた。
時間が、止まったように感じた。
銀色と桃色。
近すぎる距離。
彼女の手が、エルンストの服をぎゅっと掴んでいる。
――あ。
アイナは、見てしまった。
ヒロインの瞳。
驚きと、安堵と、そして。
(……好き……)
そう、はっきりと分かる熱を帯びた眼差し。
胸の奥が、ひやりと冷える。
独占欲?
違う。
もっと、原始的で、逃げ場のない感覚。
――ルートが、動いた。
そう直感してしまった。
「……っ」
アイナは、反射的に声を出していた。
「エルン、授業始まるよ?」
――エルン。
愛称。
無意識だった。
呼んでから、はっとする。
(あ……)
やってしまった、と思うより早く。
エルンストが、こちらを振り返った。
満面の笑み。
迷いも、動揺も、何ひとつない。
まるで「そこにいるのは当然」という顔。
ヒロインの綺麗な声が聞こえた。
「ご、ごめんなさい……!」
「ありがとう」
慌てて少し裏返った声。
エルンストは穏やかに微笑み、軽く頷いた。
「ああ。気を付けて」
その動作は丁寧で、礼儀正しく、騎士そのものだった。
けれど。
エルンストの視線は、次の瞬間には完全にアイナだけを捉えていた。
「行こう」
当たり前のように、そう言って。
何事もなかったかのように、歩き出す。
ヴィルが一拍遅れて動き出し、アイナの横に並ぶ。
「……今の、見たな」
「……見た」
小さく交わした声。
ヒロインはその場に立ち尽くしていた。
頬が赤く、手がまだ空中に残ったまま。
振り返ることはなかった。
けれど、背中に視線が突き刺さっているのを、痛いほど感じる。
(……怖い)
胸が、きゅっと締めつけられる。
エルンストは変わらない。
笑っている。
隣を歩いている。
なのに。
さっき見たあの眼差しが、頭から離れない。
これは、ただのアクシデントじゃない。
乙女ゲームの世界で。
ヒロインが、攻略対象を“好きになる”瞬間。
――それを、私は見てしまった。
春の光は、変わらず穏やかなまま。
回廊には、何事もなかったように生徒たちの足音が響いている。
けれど。
アイナの胸の奥には、
確かに、不穏な影が落ち始めていた。




