第36話 本当に、死なないなら
席にメアはいなかった。オルトの方を見る。やはりいた。
「おいクランツァ! てめえ女ひとり残してどこいってたんだ!」
オルトが威圧するように自分の腹を叩く。半ば恫喝の勢いだ。同じ席にはオルト、猫店長、メアの三人。メアは不満げに口を尖らせて「ばーかばーか!」と俺を挑発した。
「あんたらの声は銃声よりも大きい。ひどくうるさい」
俺は立ち尽くして苦言を呈した。
「お前よ! こんな可愛い娘もらっておいて銃だの何だのほざいて、人生ってもんを無駄にしてやがる! おもんねえなお前! 犬がクソしてるところ見てる方がまだおもしれえわ! ここにいるのは猫だけどな!」
「ホントそうですよ! おじさまは本当にわかってらっしゃいます!」メアが同調する。
一方、猫店長は白目でのけ反っていた。
「おい、イジー。生きてるか」
問いかけに反応はない。テーブルにはマタタビらしき乾燥植物がゴミのように散らばっている。ここは地獄か。
「メア。もう満足しただろう。酒から手を離せ」
「まだです! まだ血液の大半が水のままです!」
ユボ・エトの現状を聞けたから退散してよいのだが、メアは懲りずに酒を口へ迎え入れた。酔い潰れるのを待つしかなさそうだ。
元の席に戻って麦酒をあおった。
ユボ・エトは高確率で生きている。あとはどうやって連絡を取るかだ。
王城内の警備が厳重になった以上、直接潜り込むのは不可能に近い。現実的な方法として用水路・下水路からの侵入があるが、壁や柵を破壊する必要がある。破壊行為に監視官は気づくだろう。しかしそれ以前に帝国に乗り込むことが自殺行為。
接続者なら? 脳を掴むというあの人の記憶を覗く力を使えないか。いや、仮に遠方から脳を掴めるのなら、宿で休んでいたあの二日の間に脳を掴まれていたはずだ。それに接続者が協力するわけがない。
仮に王城内に侵入できたとしても交戦は避けられない。ラマチェフの諜報員が排除された現状、見つからずにたった一人でユボに接触するのは不可能だ。護衛官は素人ではない。俺が一番よく知ってる。複数の監視官と戦闘したら無事で済むはずが————。
「……本当に、死なないなら」
身体が吹き飛んでもすぐに治るなら、何度でも立ち上がれるなら。
たとえ銃を失っても拳がある、足がある、歯がある。恐怖も痛みもない俺なら、永遠に戦闘を継続できる。
背をもたれ、天井を見上げた。
冷静に考えろ。メアが許可するわけがない。これこそ呪いの濫用だ。監視官だって拘束系の魔術がある。たとえ死ななくても動けなくすることはできるだろう。
思いつくことすべてが戦闘だ。戦いしか能がない。どうしようもない。ブーチョが言った通り、俺は戦争の住人だ。彼の話は的を得ていた。平和であることに俺も異質さを感じていた。ここは戦場ではないし、帝国ですらない。それでも銃を手放せない。
戦争と平和の決定的な違いは、音だ。
戦場みたいな光景は平和の中でも目にできる。倒壊した家屋はまさにそれで、悪天候はときに戦場より過酷な環境を作る。だが、戦争の音は戦場にしかない。
メアに判断してもらおう。
そう思って、彼女がいる方へ顔を向けたときだった。
通りに面した窓が割れる。
固くて重いものが落ちた音。
丸い何か……手榴弾。
「メア!」
彼女の名を叫ぶ。
間に合わない。
テーブルを倒す。
身を隠す。
強烈な破裂音。
衝撃が伝わる。
銃声、外から。
拳銃を手に取る。
テーブルからわずかに顔を出す。
多くの客が伏せ、ある者は出入り口に走る。
メアもテーブルに身を隠している。オルトが気づいてテーブルを盾にしたんだろう。さすがだ。メアとオルト、ついでに猫店長も無事なようだ。
室内が明るいせいで外が見えない。
複数人いるのは確かだ。
客が血を流して倒れている。動かない。別の客も負傷し、死角に入ろうと這っている。
敵の狙いは誰だ。俺とメアか。それともブーチョか。
銃を持ってるやつは俺くらいか。
ブーチョはどうしてる。あいつなら厨房に一丁くらい備えてるはずだ。
「うっ」
空気全体が大きく揺れた。つづいて非自然的な重低音が鳴り響く。ぶんぶんぶん、ずずず、といった巨大な何かが振動する音。息がうまく吸えない。空気の波が身体を通って奥まで響く。
震源地は店の中心にあった。宙に橙色の亀裂が縦に走る。空間が裂けた、が近い表現だろう。
亀裂は二メートルはある。
亀裂から指が出てきた。
十本の指が二組。人の大腿部くらい太い。
指が亀裂を掴み、こじ開けていく。
振動音が激しさを増す。
巨大な赤眼が亀裂の奥から現れる。
目が合った瞬間、全身が硬直した。
動けない。体が完全に固定される。
ずん、ずん、ずん、ずん。
大きな振動。床に落ちた皿やコップが跳ねる。
銃声も叫びも消えた。
すべての人間が、静止した。




