第32話 戦争と銃
夜、メアにココ酒場の件を伝えた。
「ということはブーチョさんがもうすぐ帰ってくるんですね!」
「そうだ」
暖炉の前でスープをかき混ぜる。帰宅したメアは外套を壁にかけ、木椅子に座った。
「答えてくれるかわかりませんが、うまいこと話を誘導してユボについて聞き出しましょう。私がユボの話をしても不自然なのでクランツァさんが頑張ってください」
「わかった」
「思い切って単刀直入に訊いた方が早いかもしれませんよ」
メアにスープの入った椀を手渡した。
「不自然すぎると警戒される」
「警戒? なんで?」
「俺はラマチェフに来てからもうすぐ三年経つが、ラマチェフはまだ俺を帝国の諜報、要注意人物として警戒しているはずだ。通常なら疑う」
「えー。私はそう思わないけどなぁ」
「ラマチェフ人にとって帝国は強大な敵だ。帝国の陸軍中尉は誰だって警戒する。ブーチョもただの市民じゃない。今も国と繋がってる」
「ちゅうい、ってなんですか」
「兵士の階級だ」
「どのくらい偉かったんですか」
「全兵士の中では割と偉い。士官としては低い」
「ふうん。クランツァさん凄かったんだ」
メアは大きな目をぱちぱちと上下させた。
「どんなことしてたんですか。私、戦争ってよくわからないんです。ずっと魔女の谷にいたから国同士のいざこざに疎くて、世間知らずで」
「いいものじゃない」
「先日、高齢の退役兵士の古傷を治す仕事をしたのですが、そのおじいさんはすごく楽しそうに戦争中の自慢話をしてきましたよ。ついでに口説かれもしました」
「元気なじいさんだ」
沈黙が流れた。俺が続けると思って黙ったのだろう。
「ごめんなさい。あまり話したくないことですよね」
メアが急にしんみりした声になる。スープを混ぜる手を止めた。
「謝ることはなかったと思うが」
「だって……クランツァさんは、とても傷ついてる人です。ずっと傷が癒えずに生きてます。最初はすごく強い人だって思ってました。私を助けてくれて、地方でも盗賊を簡単に撃滅して。本当に怖いものがない。でも……違うんでしょ?」
どう答えればいいか迷っていると、彼女の目尻から涙が溢れた。
「覚えてるかわかりませんが、クランツァさんをバカにしたときがありました。恐怖を感じないのは強がりだと思っていました。でも本当に感じることができないって、わかってきて、クランツァさんが何か抱えてるってこと、最近気づくようになって……」
メアは顔を伏せた。涙が粒となって腿に落ちる。なぜ泣くのだろう。自責、憐れみ、あるいは同情。いったい彼女の目にクランツァ・ハザリーはどのように映っているのか。自分が涙を流すに値する人間とは到底思えないから、その涙が何なのか全く理解ができない。
「きっとわからないと思う。俺は、普通の人間じゃない」
メアは顔を上げた。
「聞かせてください」
涙に濡れた美しい瞳が暖炉の火で輝いた。
彼女の赤黒い髪を初めて見たとき、あの炎が蘇った。
炎は人も記憶も何も残さず、どこかへ連れ去る。家族や村の記憶が年を重ねていくごとに希薄していくから、記憶する義務を無意識に感じていた。しかしそれすら虚無主義が「意味はない」と言って黒く塗りつぶしていく。すべてを虚無へ導くために。
「塹壕というものがある」
視線が床に落ちる。固い床。でも塹壕は違う。雪解けや雨のせいでぐちゃぐちゃだ。軍靴の足跡でいくつも靴の形の水溜りがあって、眼鏡、空の薬莢、弾帯、円匙、そして死体が無秩序に落ちている。
「戦争はこの十年で変わった。今まで帝国軍は軍の魔術師が主力だったが、遠い異国が開発した銃の流入によって戦争は変わった。血筋が重要である魔術とは対照的に銃は誰でも使える。たった一日で魔術師に対抗できる力を獲得できる。銃を有効活用できる戦法が生み出された。地面を深く掘って道を作る。兵士は身を隠して戦うようになった。それが塹壕だ」
「モグラの迷路みたいな?」
「一部地中に空間も作るが、溝みたいなものだ。空から見ると川に見える」
「ああ、なんとなくわかりました」
「塹壕では銃と頭だけを地上に出して敵を撃つ。これによって魔術師は地上を歩けなくなった。射撃と比べて魔術の発現は遅いし、地上を歩く人間は的になる。塹壕は戦争の形を変え、戦争は互いの塹壕で何ヶ月も睨み合う長期戦になった。敵の声が聞こえる距離ですら、兵士は撃たれる恐怖で地上に上がれない。だから次に大砲が大量に使われるようになった。地上が無理なら空からってわけだ。二十四時間昼夜問わず、空から降ってくる。爆弾と砲弾に怯え続ける毎日になった」
自分の手が銃に触れている。無意識だった。
「突然大きな音がしたら人はどう反応する」メアに問う。
「驚いて、びくってする……」
「そう。体の筋肉が緊張、硬直する。危機に対する反射だ。その反射が否応なしに、日に何度も身体を襲う。心が落ち着くことはない。そうしてある日を境に精神が壊れる。体が勝手に激しく痙攣して、歩くことはおろか直立すら難しくなる。これが、砲弾症だ。自分の意思では抑えられない。塹壕戦が主流になる前にはなかった病気だ」
「クランツァさんはその砲弾症になったのですか?」
「いや、砲弾症とは違う。俺は離心症と診断された」




