第2話 お前たちは死の運命にある
山羊の乳を搾っている。
「お前たちは死の運命にある」
あの男の声。
すぐにこれが夢だと気づいた。夢であることに気づくと自分の意思で覚醒できる。だがそうはしなかった。睡眠は最も死に近い状態だ。無意味な世界と隔絶された自分だけの世界。目覚めれば、意味が跋扈するおぞましい世界が待っている。
「クランツァ、撃ちなさい」
母さんが叫ぶ。
夢の中でも母さんを撃った。
人間の山。
子どもがまた一人、また一人、山の上へ放り投げられる。
引き金を絞る。
絞る、絞る、絞る。山が大きくなっていく。
生者はクランツァ・ハザリー、ただひとり。
死者は炎の中で姿を灰に変え、飛んでゆく。
涙がいっぱい溢れる。でも炎を消すには足りなかった。
そして、俺は兵士になった。
夕焼けが見える。熟れた果実のような太陽が揺らめいている。
ぼやけた橙色の視界が覚醒とともに鮮明になった。天井だ。火の光で照らされた天井。俺の家だ。首を横に回す。見慣れた褐色の壁を背景に、これまた見慣れた男が座っている。
「オルト」
オルト・ゲラスが暖炉の前で鍋を混ぜている。
「よく寝てたな。腹減ったか」
ずいぶんと寝た気がするが、すべて覚えている。俺は重傷を負って、気を失った。
また生き残ったのか。
「俺はどうなった。どこを負傷してる」右手を開いて閉じる。感覚の確認。
「自分で見てみろ」オルトは鍋に視線を戻した。
「むかし身体の状態を確認せず起き上がって、傷が開いた」
「そりゃ痛かったろうな。安心しろ、無傷だ」
「俺は真面目に訊いている」
「赤い髪の魔女が魔術でお前を治療したんだ。さっき出て行ったばかりだが、すぐに帰ってくるはずだ。ここらの店はもう全部閉まってるからな」
ゆっくりと頭を起こして身体を見下ろす。衣服が替わってる。包帯等の処置は何もない。腹部を慎重にめくる。傷ひとつない。内出血の跡もない。
「ここまで完璧な治療は見たことがない」俺はそう言って身を起こした。
「詳しいことは魔女に訊くといい」
外見だけじゃない。体内にも違和感はない。
「お前も帝国にいたんだから魔術は知ってるだろ。変だ」足を床につける。
「俺は元刑務官だぞ」オルトが制帽の鍔を上げる仕草をする。「何も知らねえ一般人よりか医学知識はあるけどよ。魔術はさっぱりだ。使えるもんなら俺も使ってみてえもんさ」
「魔術にも限界がある」
「現にお前は生きてるじゃねえか。おい。これは夢じゃねえぞ」
「俺が生きてることが非現実的だ、と言っている」
「そこは安心して涙を流すところだろうが……」オルトはため息をついた。「この目であの魔女の治療を見た。帝国の監視官とか医者の魔術じゃ無理かもしんねえが、魔女なら限界なんてもんがねえのかもしれねえ。魔女ってのはそういうとんでもねえやつらだろ」
反論できなかった。
帝国が魔女を迫害する理由は、魔女の魔術を恐れているからだ。帝国は魔女の魔術を模倣し、魔術で国を発展させてきた。本家である魔女たちには敵わないと知っている。ゆえに、帝国最大の敵になりうる魔女たちを絶滅させたいのだ。
「俺はどれくらい寝てた」
「丸一日。正確には二十八時間だな」シチューの入った木製の椀を寄越される。「羊の肉を入れてる。今回はタダだ」
「一日以上寝ていた割にはだるさがない」
「魔女にはしっかり感謝しとけよ。命の恩人だからな。あと当然、俺にも多大なる感謝を示せ。お前の筋肉質な重てえ身体を運んだのは俺だ。膝の軟骨がすり減っちまったじゃねえか。どうしてくれる」
「すまない。あんたには本当に面倒ばかりかけてる」
「ボケ。そこまでの深刻さは求めてねえよ」
ドアが開いた。
「おやおや。お目覚めですか」
声の主はあの赤い髪の魔女だった。




