第9話 戦争病
「帝国陸軍では戦争病が問題になっている。あんたも知っているだろう。砲弾症、離心症、失語症、自殺。勇猛果敢に戦場へ行った息子が、廃人となって帰ってくる現実。あんたの子どもが兵士を選べばそうなるかもしれない。だから帝国は壊れない兵士を欲している」
拳銃の激鉄を起こす。
「生きるべき人間も、死ぬべき人間もいない。命に価値などない。この世界に意味はない。帝国はこの『虚無主義』をある少年兵たちに植えつけた。俺には苦痛と恐怖がない。罪を感じる良心も、どこか遠くへ旅立って帰ってこない。あんたの命に価値を感じてない……いや、感じられないってわけだ」
監視官は一度唾を飲み込み、再び口を開いた。
「……あぁ、はっきりと思い出した。お前の脱獄を調査した。あの臆病者か。戦場から逃げて仲間を撃ち殺した、異人種にも劣る陸軍中尉。お前みたいな臆病者はゴロゴロいる。国のために戦わず小便垂らしながら逃走するクズをな! 軍は腐っちまった! まったくたるんでる。軍警もアテにならんから最近はわれわれが処罰してやってる。クズどもめ」
気を持ち直したのか、監視官は強気に出た。
「それでお前は何が言いたいんだ、えぇ? 頭の中を紹介して、次はなんだ? 脱獄の言い訳か? 俺は臆病者じゃないって話か?」
「民族浄化の話をしよう」
「そんなものは腐るほどある。歴史の話が好きなのか。変わったやつだ」
「あんたもそれに加わった経験が?」
「言ったろ。腐るほどやってきたし、浄化は必要だ。お前も人間なら同じことを考えてるはずだ。人間はいずれ、異人種に支配される。それを阻止して何が悪い。ラマチェフにいま住んでいるなら異人種同士のバカげた衝突を知ってるよな。あんな低知能の種族がわんさかいて嫌にならないのか?」
「クート族に聞き覚えはあるか」
監視官はまた固まった。
オルトが俺と治安監視官を交互に見る。彼が知っている俺の過去は帝国の少年兵だったことくらいで、それ以前の詳細は話していない。
「あんたを殺すのが惜しく感じてきたよ」
「何の話をしてるんだ。過去に何があった」オルトが言う。
「俺の昔話だ」
「お前は……あの生き残りの」治安監視官が口を挟む。
「次はあんたの家族の話をしよう。話し終わったら、あんたを解剖する。生きたまま。俺は虚無主義のおかげであんたが苦しんでも何も感じないし、何も感じられない。銃を分解するように、ひとつひとつの臓器を腹から取り出して並べよう。あんたを使って人体の勉強会を開く。無意味な死にはならない」
「……怪物が」
「そうだ。俺は怪物だ」
「やはり軍はゴミの集まりだ。脳が腐ってやがる」
監視官は強く目蓋を閉じて顔を逸らした。腕が赤みを帯び始める。熱した鉄のように、腕がみるみるうちに白く発光していく。
「オルト、出ろ」
引き金を絞る。監視官の胸部に命中。だが発熱が止まる気配はない。
「幸福を、心から」
牢から出る寸前、監視官の祈りが最後に聞こえた。
爆炎が溢れた。白煙が通路に立ち込め、視界不良になる。
「おい、怪我は」オルトが緊張した面持ちで言う。
「大丈夫だ」
「何だよクソ、今のは。何の魔術だ?」
「人体を原料にした自爆魔術だ」
炎が収まってから牢を覗いた。椅子が丸焦げだ。石の床には黒い固形物が散らばり、肉の焼けた匂いがたちまち漂い始めた。
「手を使わなくても発現できる。監視官にそこまでの覚悟があったのは想定していなかった」
「クソ。そんな魔術があんのかよ。イカれてやがる」
「あんたは怪我無しか」
「ねえよ。大した情報は取れなかったな」
牢には焦げた服だけが残って、監視官の身体は炭に変わった。骨も髪もすべて。人間だった証を一つも残さず、彼は死んだ。




