第8 話 そういうの、ほんとズルいから
葉山は身体を震わせながら顔を赤らめている。
私が葉山のファーストキスを奪った――。
名前のつかない曖昧な感情が胸に広がってゆく。
正直、葉山は高校生の頃から恋愛経験が豊富に見えていた。男子ウケする容姿だし、彼女の雰囲気から、男子じゃなかったとしても誰かとそういうことをしていてもおかしくないと思っていた。
たしかに葉山が誰かと付き合ったという話は一度も聞いたことがなかった。
どうしよう、もし私が初めて付き合った人だったら。
これまでの私の対応は、はっきり言って褒められたものではなかった。葉山が何をいても淡泊な返答をしていたし、好きとか可愛いって言われても、特になんとも思わなかった。だって私たちはお互いフリーだから付き合ってて、葉山も恋愛慣れしてるだろうからこれくらいでも大丈夫だろうって思ってたわけで――
「……ごめん、葉山」
頭を下げてからゆっくりと上げると、葉山と目が合った。
まだ、頬の赤みは引いていない。
「なにに謝ってるの……?」
「その……葉山が初めてだって知らなくって」
「もう、ほんとに望月は……」
そう呟くと、葉山は私をぎゅっと抱きしめる。
少し遅れてハグされたことを理解した。
彼女の柔らかな身体からはほんのりとした熱が感じられる。
「私たちのペースでいいんだよ」
「でも……」
「私は大丈夫だから」
望月が一緒にいてくれれば、とささやき私の胸に顔をうずめる。
――なんだろう、この気持ち。
受け入れられたことによる安堵なのか、それとも別の感情なのか。
ぼーっとしたまま、葉山の髪に手を伸ばして丁寧に梳いていく。
ライトブラウンの髪は、部屋の明かりを受けて落ち着いた色味をしていた。
「……かわいい」
思わず口を滑らせてしまったことを、私はすぐに後悔した。
葉山が可愛いというのは今更だし、これまで何回も言ったことがある。
でもなぜか、今の「かわいい」はどうしようもないくらい恥ずかしかった。
葉山はぴくんと肩を跳ねさせてから、私の目を見つめる。
「……そういうの、ほんとズルいから」
そういって、彼女は少し強引に私の唇を奪ってきた。
最初の軽いキスじゃなくって、相手を確かめるようなしっかりとしたキス――。
でも葉山のキスは少しぎこちなくって、等身大な女の子の姿が感じられる。
ほんとに私が初めてなんだ、というのを二回目のキスでようやく実感した。
しばらくしてから唇を離すと、葉山の瞳はたしかに揺れていた。
「き、今日はもう寝よっか……」
「え、それって……」
「いや、そう言うことじゃなくって!」
大きな声で否定する声が部屋に響く。
「もう今日は普通に寝ようってことだから!」
口にするや否や葉山はバタバタと部屋から出て行き、元の静けさを取り戻した。
「……はぁ」
深呼吸をひとつしてから、瞳を閉じる。
まだ、キスの余韻が唇には残っていた。
なんとなく唇の縁を指でなぞってみる。
「……意外と良かったな」
その呟きは部屋の片隅に消えていき、葉山が耳にすることはなかった。
*
「望月って今日は用事あるんだっけ?」
「12時からバイトある」
じゃあ11時までに出るね、と言って、葉山は食パンを口に入れる。
結局、キスをしたあとは何事もなく寝ることになった。
葉山が踏み込んでこなかったからというのもあるけど、それでよかったと思う。
「あっそういえば、望月に誕生日おめでとうって言ってなかったね」
食パンを飲み込んでから、葉山はおもむろに呟いた。
「もう8月22日だからいいよ」
「まあまあ、とりあえず、誕生日おめでとー望月」
葉山の乾いた拍手が部屋に溶け込んでいく。
「うん、ありがと」
淡泊にしか言えないけど、ちゃんと感謝を伝えたい。
私が呟くと、目の前の彼女はにっこりと穏やかな笑みを見せた。
その後は雑談をしているうちに午前11時になった。
「じゃあ望月、またね」
「うん。バイバイ」
玄関から出る直前になって葉山は続ける。
「そのイヤリング、いつもしてくれると嬉しいな」
そう言うと、葉山は手を振って私の家から出て行った。
音を立てないようにゆっくりと鍵を締める。
玄関に置いている小さな姿見で、そのイヤリングを確認してみた。
白銀の環が耳元で静かに揺れている。
じんわりとした嬉しさが胸の奥深くまで入り込んでいった。
こんなに嬉しい誕生日は初めてだった。
でも感慨に浸ってるわけにもいかない。
「はぁ……」
バイトに行く準備をしようと思い、私はリビングに戻った。
*
葉山と一緒にいた感覚が抜けないまま、裏口を通って廊下を歩く。
私は飲食チェーン店で働いていて、接客を担当することが多い。
大変なときもあるけど時給が良いので、今のところやめるつもりはない。
扉を開けて休憩室に入ると、見慣れない金髪の女の子が座っていた。
「もしかして、望月さんですか?」
「……そうですけど」
いきなり話しかけられてびっくりしたから、固いトーンになってしまった。
「私、今日から入る高畑です! 望月さんが来たら挨拶するように言われてて!」
シフト被ってるんでよろしくお願いしまーす! と言って、その子は頭を下げる。
顔を上げた彼女は、人懐っこい笑みを浮かべていた。




