第27話 彼氏はいないけど彼女はいる――
「大学始まるのっていつだっけ?」
「6日か7日だった気がする」
あの課題って年末までだったよね、と話をしながら改札を抜ける。
帰省と呼ぶには短時間だったが、実家のある最寄り駅にたどり着いた。葉山の実家はここからバスに乗ったところにあるらしく、ここで別れることになった。
「じゃあね、望月」
「うん。バイバイ」
夜に電話したりする約束をしているので、良いお年を、とは言わなかった。本当に年末になってもよいお年を、なんて仰々しいことを言うとは思えないけれど。
葉山と別れて、比較的人通りの多い歩道を歩く。
駆け足で駅に向かう人もいれば、友だちと雑談をしながら歩く人もいる。
私はなんとなく、家族で楽しそうに歩いている人たちを眺めた。
母親と父親に挟まれた子どもは、物珍しそうにきょろきょろ顔を動かしている。
親族の家に来た感じだろうと思いながら、私はそのグループから距離をとった。
しばらく歩くと、こじんまりとしたアパートが見えてきた。
雨風に長い間さらされたクリーム色の壁は、ところどころくすんでいる。
早足で階段を上ってから、実家の鍵を鞄から取り出した。
久しぶりに手にしたけれど、なぜかよく手になじむ。
扉を開けて、ただいまと口にすると、遠くから「おかえり」と声が聞こえた。
声のしたリビングに入ると、向こうもこちらに来ようとしていたらしい。
リビングの入り口で、母親と対面した。
「なんもなく帰ってこれた?」
「うん。電車で1時間ちょっとだし」
「よかったよかった」
話をしながら自室に荷物を持っていく。
母も私の後ろを歩いて話を続けた。
「いつ帰る予定なの?」
「1月6日頃に帰ろうかなって思ってる」
「1週間くらいはいるってことね」
そういって夕食の準備を始めるべく、母親は部屋から出て行った。
私もスマホを充電器にさしてから、すぐにキッチンへ向かった。
「なんか手伝うよ」
「とりあえず野菜切ってもらおうかな」
オッケー、と応えてから、手際よく野菜をカットしていく。
部屋には私と母のふたりしかいないけれど、それで全員だった。
私には、生まれた時から父親がいない。
詳しい話は聞いていないけれど、父親となる人物に逃げられたらしい。
胎児を残して別れを告げられた母親は、とても若い年齢で私を出産した。
この話は友達の誰にもしたことがない。
変な空気になってほしくないし、片親という属性で見られたくないからだ。
そのため、私は小中高にわたって親に関する話題を避け続けていた。
「大学はどう?」
「楽しいよ」
「大学ってどんなところなの?」
興味を示した母に、学生生活について教えてあげた。
私の母親は大学に行っていない。
なんなら、高校も途中でやめている。
それが理由なのか、母に対する世間の目線は冷たい。
親同士が話をするときの空気感というか雰囲気の揺れみたいなのを子供の頃から感じていた。親という立場であっても、薄く境界線を引いているのを見て、大の大人でもそんなことするんだなって悲しくなったことは少なくない。
そんな私が大学に行きたいと言ったとき、諸手を挙げて賛成したのが母だった。
「じゃ、食べよっか」
「うん」
調理を終えて、食卓に料理を運んで夕食を食べ始める。
久しぶりに母親の料理を食べると、心に安心感が生まれた。
一人暮らしで自炊もしないため、手料理を味わう機会が少ないのだ。
しばらく黙って食事を続けていたが、母親はおもむろに口を開いた。
「そういえば彼氏とかできた?」
それは、母から何度もされてきた質問だ。
この質問で、彼女という選択肢が出てきたことはない。
これまでは何も疑問を抱かなかったけど、今の私には違和感がある。
彼氏はいないけど彼女はいる――と言ったら、どんな顔をするのだろう。
でもそんなこと、私には軽々しく口に出せるはずがなかった。
「……まあ、いないかな」
そういってから、もう飲み物を口に含んだ。
水道の水が喉の奥にするすると入り込んでいく。
私が答えてから、母親はいつも通りの言葉を口にした。
「もし付き合うなら、ちゃんとした人にしなさいね」
うん、と頷いてから、私はすぐ別の話題に変えた。
『ちゃんとした人にしなさい』というのは、おっとりとした母がいつも口を酸っぱくして言うフレーズだ。
たぶん、私の父にあたる人はちゃんとした人じゃなかったからなのだろう。
そのせいで生活に苦労しているのだから、反論する余地なんてない。
それでも、母親の言うちゃんとした人とはどんな人なのだろうとも思う。
家族想いの人なのか、所得の高い人なのか。
それとも、もっと根本的な性別という問題なのか。
しかし深い話には立ち入らずに、私は久しぶりの団らんを楽しむことを選んだ。
「この味噌汁、めっちゃおいしいね」
「でしょ? 最近テレビで見たんだけど……」
母親はゆったりとした笑顔で、料理のテクニックを話始める。
そして食事は終わり、後片付けを手伝ってからお風呂に入った。
入浴後にスマホを見ると、葉山から通話したい旨のメッセージが届いていた。
すぐに通話ボタンをタップして葉山に電話を掛ける。
そして私たちは、軽い雑談をしながら穏やかな時間を過ごした。
私から見た葉山は、ちゃんとした子だと思う。
いつも私のことを見てくれるし、好きだということもよく口にしてくれる。
でもそれは私から見てであって、他の人から見たらどう思うかわからない。
『また明日、時間あったら電話かけるね』
「うん」
そこで私たちは通話を終えた。
スマホの電源を消してから、軽く伸びをしてベッドから降りる。ずっと話をしてて喉が渇いたので、リビングを通って水道水をコップに入れて自室に戻ろうとすると、母親に話しかけられた。
「さっきまでだれかと電話してた?」
「してたよ。友達からだった」
そういうと、納得してテレビに視線を戻す。
バラエティー番組を見ながら、母親はくすくす笑っていた。
恋人からだった、っていつか言えるかなと思いつつ、私はリビングを後にした。




