第22話 それが寂しいんだってば……
お互い裸のバスルーム、葉山に寂しい、と言われた。
けれども私には、彼女の言っていることが全く理解できなかった。
葉山は私とセックスがしたい。そして私はその期待に応えたい。
だから私たちの利害は一致していると思っていた。
「次、望月洗う……?」
「……洗う」
葉山が身体を洗い終えたので、それ以上の会話をせずに入れ替わる。
髪を洗いながら、高校時代のことが頭を何度も何度も頭に過った。
それは私のトラウマとなっている、性行為の途中で終わらせてしまったときの彼の不満そうな顔。あのときの気まずい空気やなんともいえない距離感は、まさに今の状況と瓜二つだ。
――また私は、相手を満足させてあげられないのか。
嫌だ。そんなの絶対に嫌だ。
葉山にだけはそんな風に思ってほしくない。
葉山にとって私は、いつでも満足してもらえる存在でありたい。
「私、もう出るよ……」
「まだあったまってないでしょ」
もうちょっといて、と強く言うと、葉山は小さく「……わかった」と口にした。
身体まで洗ってから、向かい合う形でバスタブに身体を沈める。
身じろぎひとつせず、私たちは目を伏せていた。
天井から滴る雫が、沈黙の深さを色濃く映し出す。
「葉山――」
名前を呼ぶと、口をつぐんでいた少女はやっと顔を上げた。
私から見てもわかるほど、居心地の悪い表情を浮かべている。
そんな顔しないでよ、という言葉を、すんでのところで飲み込んだ。
「さっきの寂しいってなんなの」
私の声は密室のバスルームに反響した。
「葉山とセックスするの、別に嫌じゃないよ。したいんだったら付き合うし、」
「それが寂しいんだってば……」
私の言葉を遮ると、葉山は顔をお湯の中に沈めた。
私は何もできず、その様子をただ眺めていた。
ぶくぶくと泡が水面に現れてはすぐに消える。
数十秒近く顔を浸けていたので心配になったけれど、やっと顔を上げてくれた。
苦しそうな表情を浮かべて、葉山は息を整える。
さっきまで静かだった浴室に、浅い呼吸音が漏れた。
しばらくしてから、言葉を選ぶように葉山は続けた。
「望月としたいけど、望月もしたいって思ってくれないと一方通行になるじゃん」
私だけ気持ちよくなっても嬉しくない、と言って目を伏せる。
じゃあ私がしたくならなかったら、葉山はずっと我慢するのだろうか。付き合って半年以上経っているのに、キス以上のことをしないことに不満を感じていないはずがない。もし我慢ができなくなって他の子に誘われたら、きっと葉山は――
……嫌だ。そんなこと絶対に考えたくない。
「我慢しないで私としようよ」
ただでさえ狭いバスタブの中でさらに近づく。
不意に葉山の下腹部に足を当ててしまい、彼女の身体はぴくんと跳ねた。
しかしそんなことは気にしないで、葉山は話を続けた。
「さっきから言ってるじゃん。しても終わった後に寂しくなるのは私なんだって」
「じゃあキスしようよ。キスは私もしたいから」
「なら最初からキスだけでいい」
「でも、キスしたら他のこともしたくなるでしょ」
「したくなる……けど、望月はしたくならないじゃん」
「私は良いんだって。葉山がしたいからしようよって言ってるんだけど」
したいかしたくないかって話で、葉山はしたいんでしょ。
それならしようって言ってるだけじゃん。
なんで堂々巡りになってるのか、意味がわからないんだけど。
「……はぁ」
静かな浴室に、彼女の湿っぽいため息が広がる。
私のことを憐れむような、そんな嘆息だった。
そして葉山は、私の目を見て続けた。
「私はしたいと思ってる望月としたくって、そうじゃない望月とはしたくない」
「……は?」
思わず零した声には、自分でもわかるほどの苛立ちが混ざっていた。
なにそれ、ふざけたこと言わないでよ。
私は女の子に欲情することはないってずっと話をしてるじゃん。現に今だって、裸の葉山を見ても特に何とも思わないし。でも葉山は私の胸も下半身もじろじろ見てくるし、セックスもしたいって思ってるわけでしょ。
そんな葉山の独りよがりな我慢なんて、私は一ミリも望んでいない。
「なに、じゃあセックスしないでひとりでするの」
「するよ」
「ここ、私の家なんだけど」
「自分の家に帰ってからするからいいでしょ」
「我慢できるわけないじゃん」
「できるよ」
「……ずっと、我慢してるんだし」と言って、葉山は唇を噛んで俯いた。
「……っ」
胸がぎゅうっと締め付けられる。
そうだ、葉山はずっと我慢しているんだ。
付き合ってからキス以上のことをしてないんだから当然だ。
だからなんとかしないと――
「……私がしてあげるって」
焦った私は、急き立てられるように葉山の胸を触った。そのときだった。
パシンッ――。
静かな浴室に、乾いた音が響く。
――胸に触れた瞬間、葉山に私の手を払われた。
「触らないでっ……」
痛々しい声が、浴室の空気を切り裂く。
はっと我に返り、自分の手に視線を向ける。
胸の柔らかさと、手を払われた感触がごちゃ混ぜになっていた。
少し遅れて、強烈な罪悪感が胸を蝕んでいく。
葉山は腕をぎゅっと組み、私から少しでも離れようと身体を小さくしていた。
彼女の目には、嫌悪や憎悪の色がはっきりと映っている。
――こんなの、無理やりしてるのと何も変わらないじゃん。
「……ごめん、ちょっとのぼせたかも」
先に上がる、と言って私はバスタブから抜けた。
「ひとりでしたかったらやっていいからさ。ごめん、ほんと反省してる」
そう言い残して、私は逃げるように浴室から出た。
軽くタオルで水気を取り、一目散にリビングに向かう。
ヘアオイルをなじませてから、ドライヤーで髪を乾かし始める。
そして見計らったかのように、浴室からシャワーの音がし始めた。
音をかき消そうと思ってるのかもしれないが、はっきり言って関係なかった。
シャワーとは別の音や声がかすかに漏れている。
葉山の湿った声は、いつか想像していた嬌声と気味が悪いほどに符合していた。
恋人の私を差し置いて、ひとりでするなんて――
「……マジで意味わからないんだけど」
感情を抑えるために太ももを叩き、何も聞こえないよう耳をふさいだ。
しかしどれだけ耳をふさいでも、頭に響くノイズまでは消すことはできなかった。
嬌声や水音が染み込み、言葉では表現しきれないほどの不快感に苛まれる。
耐え切れずにもう一度太ももを殴ると、パシン、と乾いた音がむなしく響いた。




