第16話 じゃあ、ここでしよ
葉山のことが好きだ。
友だちとしても恋人としても。
今は恋人として好きという気持ちのほうが強い。
あの日以降、私の気持ちは割と簡単に動くようになった。
葉山と一緒にいられたら嬉しいし、いられなかったら悲しい、というように私の感情が葉山を中心に動くようになったのだ。
葉山も同じなら良いな、と思う。もちろん、悲しませることはしたくないけれど。
*
「ねぇ望月」
講義室を出た直後、隣を歩く葉山が口を開いた。
「なに?」
「望月ってさ、その……アレってわざとやってたの?」
「なんのこと?」
「いや、ほら、講義中に……」
言葉を濁して葉山は目を伏せる。
「私、講義中になんかしたっけ」
「アレって無意識なんだ……」
葉山は目を見開いた。私が意図的にしているものと思ったらしい。
「他の人にもわかりそうだったから、それでもいいのかなって」
葉山によると、講義を受けている最中にちらちら見たり、ペアで話をするときにボディタッチが多かったりと、いつもの私とは違ったらしい。
「私は別にいいんだけど、もし望月がアレだったら、公共の場では控えた方が良いんじゃないかな」
教えてくれてありがとう、と口にすると、葉山は唇をきゅっと結んだ。
鞄を握り直し、からん、とキーホルダーの揺れる音が聞こえる。
「……今日ってバイトだよね」
「うん」
「ちょっとだけ、望月の家に行っていい?」
別にいいよ、と言うと葉山はすぐ嬉しそうな表情になった。
葉山の方が好意漏れていると思うんだけど、という言葉は飲み込んだ。
そんな私でも望月の好意はわかりやすいんだよ、と言われたくなかった。
鍵を開けて家に入ると、葉山は私をぎゅっと抱きしめた。
私の背中に頭をぐりぐりとこすりつける。
彼女の甘くしっとりした香水の匂いが一気に感じられた。
「とりあえず上がってよ」
「……玄関まででいい」
上がったらずっといたくなる、と葉山は口にする。
「じゃあ、ここでしよ」
そういってすぐに、私は葉山に口づけをした。
何度か唇に触れたあと、葉山と舌を絡ませた。
静かな部屋に、私たちの小さな呼吸音と水音が響く。
こういうことを何度もしているけれど、慣れることはできなかった。
葉山とのキスはいつも気持ちよくて新鮮だった。
「もち、づき……」
名前を読んで、物欲しそうな目で私を見つめる。
――でも私は、葉山に対して性欲が湧かなかった。
「ごめん」
「……そっか」
いいんだよ、と力なく笑って、葉山は視線を落とした。
玄関に上がって、葉山にティッシュを渡す。
彼女は黙ったまま、口元を拭き始めた。
「じゃ、バイト頑張ってね」
葉山は手を振って私の部屋を出て行った。
私ひとりしかいない、静かな空間に戻る。
「……はぁ」
思わず、湿っぽい溜め息が出てしまった。
もちろん、葉山のことは好きだ。
でも好意と性欲は別物であることを、キスするようになってわかった。
葉山とそういうことをしたいという欲求が持てないのだ。
私がそういう気分になったら一緒にしたい、と葉山は言ってくれている。
だからずっと、私のせいで葉山には我慢を強いているのだと思う。
それが本当に心苦しい。
葉山がしたいのなら、その期待には応えてあげたい。
でも葉山は、きっと私が義務的にすることを望んでいない。
――焦燥感と罪悪感が首に巻き付き、ゆっくり締め上げられる感覚が生まれた。
「……そろそろ行かないと」
ティッシュでさっと口元を拭いてから、私はバイトに行く準備を始めた。




