第41話「努力と才能」
エトワールのメンバーが決まってから、数ヶ月が経ったころ。
いくつかの練習曲と、小さなミニライブ。
慣れないステージを重ねながら、五人は少しずつ「グループ」になっていった。
そして、その日。
事務所のレッスン場には、いつもとは少し違う緊張感が漂っていた。
初めてのオリジナル曲、 『流星エトワール』。
メジャーデビューも見据えたその曲は、これまでの練習曲とは明らかに扱いが違っていた。
振り付けを担当したのは、有名アイドルグループの振り付けも手がけるダンサー、AYAKA。
メンバーそれぞれが、事前に振りを覚え、個人練習を積んできていた。
今日は、その成果を初めて五人で合わせる日だった。
「それじゃ、最初から通します」
AYAKAの声に、五人が位置につく。
ひかり。
こころ。
ほのか。
まゆ。
そして、のぞみ。
レッスン場のスピーカーから、『流星エトワール』のイントロが流れ出す。
最初の一拍。
五人がそろってステップを踏んだ。
Aメロ。
Bメロ。
それぞれの動きが、音の上で少しずつ重なっていく。
まだ完成には遠い。
それでも、練習を積んできた分だけ、誰もが必死に食らいついていた。
サビ手前に入った、その時だった。
のぞみの足元が、半拍遅れた。
本来なら、ほのかが入るはずの立ち位置。
そこに、まだのぞみの身体が残っている。
「ストップ!」
AYAKAの声が飛び、曲が止まった。
空気が、一瞬で張り詰める。
のぞみは、すぐにほのかへ頭を下げた。
「……ごめん」
ほのかは、のぞみにちらりと視線を送る。
怒っているわけではなかった。
ただ、のぞみの顔ではなく、足元を見ていた。
「もう一回。サビ前から」
再び曲が流れる。
のぞみは、さっきより早く動き出そうとした。
頭では分かっている。
どこへ行けばいいのかも、誰と入れ替わるのかも、全部覚えている。
それでも、身体が遅れる。
二回目のサビ終わり。
ひかりのソロパートに入るところで、のぞみはまた、次の立ち位置に入りきれなかった。
曲が止まる。
AYAKAは、少しだけ息を吐いて、言った。
「高橋さん、ちょっと外れてください。横で見ておいて」
「……はい」
のぞみは、短く返事をした。
AYAKAが、のぞみの代わりに立ち位置へ入る。
「通しでいきます。最初から」
イントロが流れた。
四人のメンバーとAYAKAが動き出す。
ステップの位置。
身体の向き。
移動の距離。
視線を上げるタイミング。
さっきまで自分がいた場所で、別の人が迷いなく踊っている。
のぞみは、レッスン場の端に立ったまま、その姿を見ていた。
屈辱だった。
演劇で、立ち位置や段取りを覚えることには慣れているつもりだった。
誰がどこから出て、どこへ移動するのか。
相手との距離。
照明の位置。
台詞の間。
そういうものを覚えるのは、苦手ではなかった。
今日だって、何もしてこなかったわけじゃない。
何度も動画を見て、立ち位置を確認して、自分なりに練習してきた。
それなのに、身体が動かない。
頭の中では間に合っているのに、足が追いつかない。
追いつこうとすると、今度は腕が固まる。
焦れば焦るほど、音から身体が離れていく。
涙が出そうになる。
でも、まだ泣くのは早い。
ここで泣いたら、本当に足手まといになる。
のぞみは、奥歯を噛みしめた。
のぞみが外れたまま、四人は最後まで踊り切った。
その後も何度か通しで振り付けの確認が行われ、全体練習は終わった。
「はい。次の全体練習は来週です」
「それまでに、今日話したポイントを修正してください」
AYAKAはメンバーを見渡し、最後にのぞみへ視線を向ける。
「高橋さんも。いいわね」
「はい、分かりました!」
のぞみは、深く一礼した。
メンバーが帰ったあとも、のぞみはレッスン場に残っていた。
レッスン着のまま、スマホから曲を流す。
鏡の中の自分を見ながら、何度も同じ場所を繰り返す。
できないところだけを、何度も。
床に落ちる汗を拭う余裕もなかった。
曲が止まるたびに、すぐまた最初へ戻す。
遅れを取り戻さないと。
次の練習までに、絶対に追いつかないと。
その言葉だけが、頭の中で何度も回っていた。
翌日。
事務所の廊下を、ひかりともりっちが歩いていた。
「次の城天ライブやけど……」
もりっちが話しはじめた時、ひかりがふと足を止めた。
レッスン場のほうから、かすかに音が聞こえてくる。
『流星エトワール』のイントロ。
「もりっち、ちょっと待って」
ひかりはレッスン場の扉に近づき、そっと中を覗いた。
中では、のぞみが一人で踊っていた。
昨日と同じ場所。
昨日止まったところ。
何度も、何度も繰り返している。
額にも首筋にも汗が浮かんでいた。
息も上がっている。
それでも、のぞみは曲を止めようとしなかった。
「のぞみ!」
ひかりが声をかける。
のぞみはようやく気づき、曲を止めた。
「……あ、ひかり。今日来てたん」
「うん。てか、めっちゃ汗かいてるやん」
「ちゃんと水分とってるか?」
「……大丈夫や」
のぞみは、手の甲で額の汗を拭った。
「遅れ、取り戻さんとな」
その言葉に、ひかりは少し眉を寄せた。
「そうやけど、体壊したらしゃあないから」
「ほどほどやで」
「うん……分かった」
のぞみは軽く返事をすると、またスマホに手を伸ばした。
次の瞬間には、もう曲を流そうとしている。
ひかりは小さく息を吐き、レッスン場を出た。
「のぞみ、どうやった?」
廊下で待っていたもりっちが聞く。
「まあ、頑張り屋さんやしね」
「でも、闇雲に練習しても……」
言いかけて、ひかりはふと顔を上げた。
「あ」
「なんや?」
「……そや。ええ先生、おったわ」
ひかりは、少しだけいたずらっぽく笑った。
翌日。
のぞみは、いつものようにレッスン場へ向かった。
昨日より少し早く来たつもりだった。
誰もいない場所で、先に少しでも身体を動かしておきたかった。
けれど、ドアを開けた瞬間、のぞみは足を止めた。
床に、ショートカットの少女が座っている。
レッスン着姿の、水野ほのかだった。
「え……ほのか……どしたん」
ほのかは、床に座ったまま顔を上げる。
「遅かったやん」
「来んかと思ってた」
「……いや、来るけど……」
「練習しよや。一緒に」
のぞみは、すぐに返事ができなかった。
「……え……そんなん」
「これ以上、私のせいで迷惑……」
ほのかは、のぞみの言葉を途中で遮った。
「あのな、のぞみ」
その声は、強くはなかった。
けれど、のぞみの言葉を止めるだけのまっすぐさがあった。
「うちら、オーディションの時は確かにライバルやった」
「でも」
ほのかは少し間を置き、のぞみをまっすぐ見る。
「今は、五人でエトワールや」
「もっと頼ってや。わたしらにも」
のぞみは、すぐに何も言えなかった。
胸の奥に溜め込んでいたものが、急にほどけそうになる。
「……ありがとう」
かろうじて、それだけを言った。
ほのかは軽く笑い、立ち上がった。
「ほな、やろか」
「泣くんは、できるようになってからでええやろ」
二人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。
曲を流し、二人で動き始める。
Aメロ。
Bメロ。
のぞみは、昨日よりも慎重に動いた。
焦らないように。
遅れないように。
頭の中で、次の立ち位置を何度も確認する。
そして、サビ前。
やはり、足が半歩遅れた。
ほのかは手を上げ、合図を出す。
曲を止めた。
「ここな」
ほのかは、のぞみの立ち位置と、自分の立ち位置を指で示す。
「一人でやってたら分かりにくいと思うけど」
「五人で踊ってたら、ここ、かなり移動距離あるねん」
「……うん」
「ここに来てから動こうとしたら遅い」
「一個前の動きから、もう体重こっちに預けとかなあかんねん」
ほのかは、ゆっくりとステップを見せた。
足を出す前に、重心が動いている。
身体が次の場所へ向かう準備をしている。
見た目には小さな違いでも、音に合わせると、その差は大きかった。
「こう?」
のぞみが真似をする。
「そう。足だけで行こうとせんと、身体ごと行く感じ」
「腕はあとでええ。まず足と重心」
「そっか……なるほど」
「もう一回やってみよ」
もう一度、Bメロからサビ前。
のぞみは、ほのかに言われた通り、一つ前の動きから重心を意識した。
足を出す前に、身体を少しだけ次の方向へ預ける。
すると、さっきまで届かなかった場所に、自然と足が入った。
「……入れた」
「うん。今のは入れてた」
「ほんまや……ありがとう」
のぞみがほっと息を吐くと、ほのかも小さく笑った。
「できひんわけちゃうやろ」
「まだ、身体が知らんかっただけや」
その言葉に、のぞみは黙ってうなずいた。
何度か同じ場所を繰り返したあと、ほのかが手を叩いた。
「少し休憩しよか」
二人は壁際に座り、水を飲む。
のぞみは、ペットボトルを両手で持ったまま、ほのかを見た。
「私……ほのか見てて、ほんますごいと思う」
「急に何」
「ダンス、やっぱりメンバーで一番上手いし」
「才能あるなって」
ほのかは、少し考えるように首を傾げた。
「うーん」
「私は、のぞみもすごいと思うけどな」
「え……私?」
「うん」
「やっぱり舞台やってたから、表現力あるし」
「歌も、私より全然上手い」
「それに、いつもステージ全体見て気配ってるやろ」
「そういうの、すごいって思う」
「……そうかな」
「そうやで」
「自分では普通やと思ってることほど、他の人から見たらすごかったりするし」
ほのかは、ペットボトルを床に置き、指を折るように続けた。
「こころは、やっぱ一番歌上手い」
「まゆは、ちょっとウケ悪い時でも絶対笑わせてくれる」
「ひかりは、いつもきっちりメンバーまとめてくれる」
「みんな、それぞれすごいと思う」
そして、少しだけ得意げに笑う。
「……まあ、ダンスは私が一番やけどな」
のぞみは、思わず笑った。
「そこは言うんや」
「そこは言う。ほんまのことやし」
二人は、しばらく笑っていた。
「それじゃ、続きやろか」
ほのかが立ち上がる。
のぞみも、うなずいて立ち上がった。
もう一度、曲が流れる。
今度は、少しだけ足元が軽くなった気がした。
——それから、時間が流れて。
難波のキッズダンススクール。
HONOKAは、子供たちのレッスンを見守っていた。
小さな生徒たちが音に合わせて身体を動かしている。
できる子もいる。
途中で止まってしまう子もいる。
でも、それぞれが、自分の身体で音を探していた。
レッスンが一段落したところで、HONOKAのスマホが震える。
ひかりからのメッセージだった。
『うちらの後輩ちゃんが、ステージで流星エトワールやってくれるねん』
『ただ、ダンス未経験やから、ちょっとレッスンしたってほしい』
『ええ先生おるって言っといたから』
HONOKAは、画面を見て小さく笑った。
「ええ先生って……」
まったく、人を勝手にそういうことにする。
そう思いながらも、不思議と悪い気はしなかった。
「あの時も、そうやったな」
HONOKAは、少しだけ目を細めて、思い出す。
あの日のレッスン場。
必死に足元を見つめていた、のぞみ。
HONOKAはスマホを手に取り、ひかりに短く返信した。
『ええよ。見たるわ』
送信ボタンを押す。
画面が暗くなったスマホに、金髪になった自分の顔がぼんやり映った。




