第36話「前夜」
夜。
部屋の灯りを少し落として、みらいはベッドの上で膝を抱えた。
エアコンの静かな風の音だけが、部屋の中にゆっくりと流れている。
カーテンの隙間から入る街灯の光が、床の上に淡く落ちていた。
スマホはもう置いてある。
直人からの新しい連絡は、たぶん今日はもう来ない。
——明日。
頭の中に浮かぶのは、長居公園の風景。
前のデートで、次に会う場所を相談していたときに、思いつきで自分から言った場所。家から近くて、行き慣れていて、気取らずいられると思った。
「ここなら、変に構えなくていいかなって思ったんだけど……」
小さく独り言みたいに呟いて、みらいは枕に顔をうずめる。
少し離れたローテーブルの上には、明日のお弁当のために買ってきた食材を入れていた袋が、まだ置かれていた。
卵焼き用の卵。
冷凍の唐揚げ。
彩り用に選んだ、小さなミニトマト。
そんなにお料理は得意じゃない。けど、自分なりにちゃんと用意した。
カフェデートを何度か重ねて、無理に予定を詰めない関係が、心地よく続いてきた。明日も、きっとそう。
……でも。
流れで、きっと。
「このあと、うち寄っていきませんか?」
って、自分から言うと思う。
たぶん、言わないと進まない気がするから。
来てくれたら、嬉しい。
本当に、嬉しい。
だけど同時に、胸の奥がきゅっとなる。
——来たら、そうなるよな。
大丈夫かな。
変じゃないかな。
うまく、できるかな。
布団の中で、みらいは寝返りを打つ。
これまで、考えないようにしてきた感情が、夜になると、静かに浮かび上がってくる。
経験がどうとか、正解がどうとかじゃなくて。
「ちゃんと、向き合えるかな……」
不安は、消えない。
でも、同時に思う。
直人は、急かす人じゃない。
街で隣を歩いているときも。
店の帰りに駅まで送ってくれたときも。
直人は、一度も無理に距離を詰めてこなかった。
言葉を選んで、距離を大事にしてくれる人。
自分が黙ったら、ちゃんと待ってくれる人。
——だったら。
「……大丈夫かも」
天井を見上げて、みらいは、そっと息を吐く。
ひなたから届いたメッセージを見返す。
中村さんに気持ちを伝えたこと。
同じ気持ちだったと知ったこと。
画面を見つめたまま、みらいは小さく息を吐く。
気づけば、さっきまでより少しだけ肩の力が抜けていた。
ひなたが勇気を出したなら、自分も、今ある関係をちゃんと大事にしたい。
直人との時間を、曖昧にしないで、逃げないで。
明日は、晴れるらしい。
お弁当も、完璧じゃないけど、ちゃんと用意した。
歩いて、
座って、
話して。
その先は、明日になってから考えればいい。
「……楽しみだな」
不安と一緒に、確かにそこにある期待を抱えたまま。
みらいは、ゆっくりと目を閉じた。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かいまま。
明日を待つ夜は、静かで、やさしかった。




