1-8 「きえぇーーーい!!」
「きえぇーーーい!!」
ワシは、行き場のない感情をぶつけるように、ただがむしゃらに鍛錬に打ち込んでいた。
(ツネはなぜ道場にやってこない?)
もしや、あの後も歳三と一緒にいるのではないか。それを確かめに、直接ツネの実家へ乗り込むだけの決心はつかない。
あの浪士共が巣くう池田屋にも勇ましく乗り込んだ局長のワシが、色恋沙汰ぐらいで気後れするとは、なんと女々しい事か。まあ、字のごとく今やこの体はおなごの姿ではあるが……
(本当にトシと密会をしていたらどうする?)
前世での記憶が脳裏をよぎる。結婚したばかりの頃、ツネの事をトシはやたらと褒めておったのだ。
『勇さんはいい嫁を貰いましたな。こんな器量よしは江戸中を捜し歩いても、そうはいますまい』ツネの方もまんざらでもない様子で笑い、『本当に歳三さんは顔だけでなく、口も良い』などと答える。それをまたトシが『いや、お世辞ではありません。私は薬売りで江戸の隅々まで歩いて回ったから分かるのです。おツネさんは江戸市中でも十指に入る良妻になられるでしょう』と、歯の浮く様な事まで言いおった。
新婚のワシ達を持ち上げていたのだろうと、その時は笑って流したが今にして思えば、あのやり取りは本心であったのではなかろうか?トシの様な、おなごの方から寄ってくる奴は華やかな美人には飽きておるのじゃ。対してツネは華美さこそないが質素で堅実。これぞ侍の妻であるといった風貌であった。
それにトシは侍という身分に対して人一倍、強い執念を持っていた。所詮、ワシらは農民じゃ。だからこそ、侍より侍らしくあろうとした新選組を、鬼の副長とまで呼ばれまとめ上げていた土方歳三には、ツネの様な気高い武家の娘を娶る事は夢だったはず……
「きえぇ――い!!」
雑念を払うように、ワシはさらに激しく竹刀を振るった。その鬼気迫る鍛錬を見た師匠は、どうやら日野での野試合が良い刺激になったと思い込んでいるらしく、満足げにうなずいているのだった。
悶々とした嫉妬と焦燥感を汗で発散させ続けること数日――
パタリと姿を消していたツネが、何食わぬ顔でひょっこりと道場へやってきた。
「稽古を無断で休み、申し訳ありませんでした」
師匠はなおも機嫌が良かったので、ツネに細かい事情を問いただすこともなく、あっさり復帰させた。
(何をしておったのか、代わりに聞いてくれれば、ワシの心も晴れようものを……)
自分で直接尋ねるだけの勇気は、まだどうしても出なかった。
前と同じようにワシの隣で稽古を再開するツネ。だがワシは目もくれず、一心不乱に素振りを続けた。
「あの……イサミさん?」
「稽古中じゃぞ!気を張らんか!」
「ハイ!」
せっかく何があったのか聞き出す好機であったのに、自らその機会を棒に振ってしまった。いや、本当は何があったのか聞くのが怖かったのだ。
結局、言葉を交わすことなく、その日の稽古は済んだ。だが、門下生たちが引き払ったあとも、ワシは誰もいなくなった道場に一人残り素振りを続けた。
ビュッ!
(なんと、情けない!)
ワシは稽古にかこつけて、ツネから逃げ背を向け続けたのだ。
ビュッ!
(ツネを一生守ると誓ったのは、嘘だったのか!)
それは今も変わらぬ。前世で苦労を掛けた分、今世では幸せにしたい。それは間違いなく本心だ。だが、今のワシはおなごの身。何をしてやれるというのか。
ビュッ!
(いっそ、ワシが身を引けばすべてが丸く収まるではないか!)
ツネの幸せを考えれば、それが最善のはず。
「きえぇ――い!!」
絶望的な結論を打ち消すように叫んだその時、背後から静かな足音が響いた。
「あの……イサミさん」
夕日に長く影を映し出しながら、そこにツネが立っていた。




