3-3 「たのもー!」
師匠が道着姿の弟子たちを引き連れて堂々と江戸の町を練り歩くさまは、まるで他流試合か道場破りにでも向かうかのようであり、すれ違う町人たちの目を大いに引いていた。しかも後ろから付いていくのは、おなごばかりなのだ。否が応でも悪目立ちしてしまう。
「師匠……どこへ行くのですか?」
不安でたまらないワシを余所に、師匠はカラカラと豪快な高笑いを上げるばかりだ。
「イサミよ、天然理心流の極意とは、一体なんだ?」
あまりに唐突な質問に答えあぐねていると、横を歩いていた総司がスッと師匠の前に進み出て、はきはきと答えた。
「臨機応変です」
「ハハハ!ソウジは剣の天才じゃな!」
満足そうに破顔した師匠は、ワシワシと総司の頭を激しく撫でまわす。
そして立ち止まると、空に向かって指でさらさらと筆を走らせるような仕草をしてみせた。
「荒海の水につれそう浮鳥の、沖の嵐に心動かず」
それは和歌の様だ。満足げに頷き、あご髭をさすっている。
「いいか?剣術とは、海に浮かぶ鳥が荒波の揺れに従うように、敵や周囲の状況に心を乱されず、臨機応変に自然体で対応する事こそ、極意なり」
師匠は再びガハハと豪快に笑ってみせた。通りかかる人々が一斉にこちらを振り返る。
「何が起きても心を動揺させてはイカン。一度動じれば、途端に身体の動きは鈍ってしまう。……とは言え、人というものは土壇場になれば誰しも狼狽え、咄嗟には動けぬものだ。ワシのような凡人ならば尚更じゃ」
師匠は横に並んで歩く総司の頭を毬の様に掴むと、今度はグワングワン乱暴に回してみせた。
「だからこそ!いざという時に身体が勝手に動くよう、日々の稽古を重ねるのだ。稽古の中で正しい『型』を徹底的に身体に叩き込む。さすれば、どんな不測の事態に直面しても、自ずと正しく対処できるようになるというものだ」
「はぁ、」
師匠が大切な剣の理合を伝えようとしてくれているのは分かるが、今のワシには正直それどころではなかった。まさに歩みを進めるこの道は、毎晩通っている道だったからだ。
「型をおろそかにしてはいかんぞ。それは何も剣の道だけではない。規律や慣習など、人というものは、おおかた『型』の中に生きておるものなのだ。そこから逸脱してしまっては、人としての道は決して開けぬ」
総司が師匠の手から抜け出し、乱れた髪を手櫛で整えつつ戻ってきた。
「ツネも天然理心流の内弟子となるのなら、その信念を心に刻まねばならぬ」
ツネからは返事が無い。ただ前を向いたまま、 表情ひとつ変えずに歩いている。その横顔は妙に静かだった。おそらくどこへ向かっているのかは既に見当が付いているのだろう。
「およそ『尊ぶべき者』とは何か。それは人として成すべき忠・孝の道を正しく実践する者である。主君への忠義なき者は侍とは呼べず、それは「無君の臣」、ただの暴漢となろう。また、親への孝行に背く者は「無父の子(父なき子・親不孝者)」となる」
師匠の言葉を聞くうちに、よいよその家が見えてきた。質素ながらも武家らしい気品を漂わせる佇まい。門口に掲げられた表札には「松井」の二文字が刻まれている。
(やはり……来てしまった)
師匠は門の前で仁王立ちになると、それこそ道場破りでもするかの如く、声を張り上げて言った。
「たのもー!」
ー補足ー
「荒海の水につれそう浮鳥の、沖の嵐に心動かず」
これは天然理心流に伝わる道歌(武術の教えを和歌の形にしたもの)
この場面で近藤周助が語っているのは、天然理心流の目録や免許皆伝の書に記された内容に則しています。
天然理心流では、師匠が弟子に対して一定の技や段階を修得したことを証明する伝授状(巻物など)が与えられます。
入門から最初の切紙を与えられるまでに一年。そこから目録、中極位目録を経て、免許を授かるまでには平均して十年以上かかったといわれます。




