3-1 「イサミさんだって男装ではないですか」
辛うじて修羅場を回避した翌朝、ツネに気を取られて聞きそびれていた一番の疑問をソウジに尋ねてみた。
「ソウジ、お主なぜわざわざ男装などしておるのだ?」
目の前の幼子は意外な事を聞くものだといった面持ちで応えた。
「イサミさんだって男装ではないですか」
「ワシのは……ほれ、」
確かに、ワシは家の中でこそ着流しであるが、一歩表に出る時は武士の象徴である袴をしっかり履いて帯刀もしておる。差している刀は未だ竹光であるが、それは師匠からこの道場を譲り受け、正式に天然理心流の四代目宗家となった暁には、本物の真剣を帯びようと考えての事だ。
「普段から男装しておらんと、道場を継いだ時に『昔は可愛いおなごだった』と舐められては困るであろう?」
「可愛い?……では、私も同じく元服した時に、いきなり男の姿になっては侍として
格好がつかないからです」
(うむむ、なんだか真意をはぐらかされた気がするのう……)
とはいえ、ソウジの中に『一人前の侍になる』という強い気構えがあることだけは、しっかりと伝わってきた。ただ、おなごが侍に成れぬ事は、幼いソウジの夢を壊すようで、黙っておくことにした。
侍とは仕える主人がいてこその侍。家督を継ぐのが男と決められている武家社会において、残念ながらおなごでは藩に仕官できぬのだ。ツネの様に武家の娘が書道や礼儀作法などの教養を生かし大名家へ奥奉公として召し抱えられる事はあるが、ソウジの思い描く『刀を差して天下を歩む侍』とは、違うはずだ。
それに沖田家は既に婿養子に入った林太郎が家督を継いでしまっている。幼い子供にそうした武家社会の事情を説くのはまだ早かろう。
ワシの場合、師匠の養子となったことで、天然理心流の宗家を引き継げる権利を得たのだ。これも厳密には『仕官した侍』とは違う。どこかの藩や幕府に直接召し抱えられて初めて、正真正銘の侍と名乗れるのだから。
だからこそ前世でのワシは、千載一遇のチャンスであった『浪士組』の募集に飛びついた。そこで手柄を立てれば、どこかの藩に仕官できるという強い思惑があったのだ。
実際、のちに新選組は幕臣として徳川幕府に直接、取り立てられる事となった……皮肉なことに、その半年後には徳川幕府そのものが大政奉還により崩壊してしまったが。
そうした事情があるゆえ、おなごとなった今のワシは、自身のことを軽々しく『侍』とは名乗らず、ただ心の中で『自分は武士である』と、誓うにとどめている。
だが、それよりもだ。
「しかしなぁ、普段から男装などしていて、もし御上に見つかった時、言い逃れ出来ぬぞ?」
「それは、イサミさんも同じではないですか」
「いや、ワシは……」
ソウジはこちらの痛いところを的確に突いてくる。
本来、羽織に袴という服装は『武士』の身分を証明するものだ。武士以外の町人や農民は、冠婚葬祭などの特別な節目でもなければ、普段から袴を着用することは固く禁じられている。
だから剣術道場では稽古の際、袴を堂々と着用できるとあって、武士に憧れる町人や裕福な農民たちが入門することがあるのだ。
ただ……徳川幕府が開かれた初期の頃ならば、身分による服装の規定は厳格に定められ、取り締まりも厳しかったと聞くが、昨今は武士階級の凋落が著しく、それに伴って徳川幕府の権威も弱まりきっている。
貧困に喘ぐ貧乏武士が、その権利の鑑札や身分(株)を裕福な豪商や豪農に買い取らせることも珍しくないと聞く。そうして武士の権威が薄れた結果、身分資格すらないのに武士だと偽ったり、見栄を張って武士の格好で歩き回る者が横行しているのだ。
だからワシの男装も本来はお咎めの対象ではあるが、時代の混乱に紛れて見逃されている。
――あの頃の京都でも、浪士たちが身分を偽って変装するなど日常茶飯事であったのだから服装の乱れとは、まさに世の乱れそのものを表しているのかもしれん。
「……まぁ、よいわ。好きにせい」
「ハイ。好きにします」
「即答しすぎじゃ。少しは自重せぬか」
「イサミさんを見習っているのです」
(……むむ、こんなに弁の立つ奴じゃったか?)
おなごとは本当に恐ろしい。中身が男のワシでは、到底口喧嘩やお喋りでおなごに勝てる気がせん。
「イサミさん、ソウジさん、おはようございます」
試衛館のもう一人のおなご、ツネがいつもの様に朗らかな笑顔でやってきた。ただ、いつもと違うのはその背には大きな風呂敷の荷物を背負っている事だ。
「どうしたんじゃ?その荷物は、」
ツネはにっこり笑うと言った。
「私、家を出て参りました」




